シェラの本音と俺のリビドー
垣間見たシェリ・ルーの本音。そして理解してしまった、自分の本音。
参ったな。俺ってばマジで?
「あ、そーだ。ちょっくら本屋に寄りたいんだけど、いいか?」
あの後、五時間程眠った俺は、必要以上に元気を取り戻していた。
「うを? ああ、構わんよ」
木曜日の午後八時。街がこれから活気付き、美しく化粧を施す時間。いつもなら通りにはまだ人が溢れ、行き交う車のテール・ランプが赤い列をなしているはずなのに。妙に閑散としている街中を、俺達二人は歩いて行く。
やっぱり「謎の猛獣」事件の影響が大きいのだ。すれ違う人々は、一様に不安の表情を浮かべ、少しでも周囲に人がいる間に家に、目的地に辿り着こうとしている。塾帰りの小・中学生も、遊びに繰り出す高校生、コンパに目のない大学生──。いや、学生だけじゃない。人目をはばからず、自分達の世界に没入するための場所へと急ぐカップルも、仕事の憂さを晴らしに赤ちょうちんの暖簾をくぐるサラリーマンも、めっきり数が減っている。深夜十一時まで営業している近所の本屋も、ここんトコ早仕舞いだ。まあ、営業してても客が来ないことにはねぇ。仕方ないよな……。
「エート。参考書、自然科学、経済、歴史、資格に趣味っと。あ、これだろー。それから──」
小説の資料である地図と、自分用の文庫本を二冊。
おや? シェラはどこじゃ? 店内をぐるうりと見回す。あ、おった。……をい。料理本の棚の前かよ……。
おそらく本人は気がついていないだろう。一心に本を眺めている自分が、店内の注目を集めている。なぁんてこたぁね。ま、いいや別に。──ん?
視線を感じる。連れと違って、特に目立つ事はないはずだ。何だろう? 気のせいかしらん?
努めてさりげなく店内を見回す。
──いた! ……いたのだが……しかし。
視線の主もシェラに劣らず、派手派手な奴でやんの。肩にかかる金髪を斜めにカット(クレオパトラカットって奴?)し、緑色の瞳でジッと俺を睨み付けている。うう。視線が痛い。ちょうど俺の鎖骨の辺りに、相手の視線がビシビシと刺さる。人の視線に何らかの物理的な力があるとすれば、間違いなく俺の体には穴が開いている。それ程、あからさまに“悪意”ってモンを人に遠慮なくぶつけてくれやがる。
くそっ! 一体全体、俺が何したってんだよ! 外国人に知り合いはいねぇぞ、俺は! あ、でも、知らない間になんかした?
側の宗教書の棚の前に立つと、適当な一冊を抜き出して広げながら、体の位置を変えてみる。相手に対して、俺の横顔が見えるようにして立つ。そして大きく息を吸い込むと、ツイっと相手の方へ顔を向ける。デッハデーハーな金髪の兄ちゃんは、俺と目が合うと弾かれたように視線を外し、 そのまま店から出て行ってしまった。何だったんだよ、マジでぇ……。ホーッと息を吐き、手に取った本に視線を落とす。『天使と悪魔の系譜』──「アズラエル」──そうだ。シェリ・ルーは俺と初めて会った夢ん中(なのか?)で、確かにそう言った。その言葉の意味は「死の天使」だったはず。
「よ、伊津留。買う本決まったか?」
どっええぇぇぇ──!
すでに本を買い終わったシェラが、袋を抱えてニコニコと立っている。
「お、おお。会計してくんよ」
広げていた本を閉じると、そのままレジへ直行する。ぐぬぬ、重いぢゃねーかよ。
「さてと、メシにしようかね」
しかし、さっきの金髪兄ちゃん、何だったんだろう? 使用頻度の少ない頭に活動を強制しながら、本来の目的地であるステーキハウスへ、スタコラサッサ。 店内に一歩踏み込んだ瞬間そこいら中の視線が一点に集中した。すなわち、シェリ・ルーこと我が相棒殿に。レジカウンターの奥ではウエイトレスのお姉様方が、熾烈な「オーダーを取りに行くのは私よ」合戦を繰り広げている。こりゃあ、しまったぜなぁ。今度から外食ん時は、気ぃつけんと……。 テーブルについて煙草を出していると、やっとの事でその資格を獲得したのであろう、目をハートにしたウエイトレスがサービス過剰な笑顔でやってくる。連れの俺の方なんざ、完全無視だもんねぇ。まぁ、しょうがねぇよなぁ。その気持ちはよぉく分かる。……けど、エプロン破れてっぞ。
名残惜し気に彼女がテーブルを去ると、煙草をくわえて苦笑して見せる。
「お前みたいに顔のイイ奴は、女に不自由しねぇな。羨ましいこって」
上着のポケットから煙草を取り出していたシェラは、皮肉っぽく眼を光らせて答える。
「羨む事なんかないさ。上辺に魅かれてやってくる、中身の見えない連中が多すぎるだけだよ」
「そんな、誘蛾灯に集まる蛾みたいに。そこまで言っちまったら、身も蓋もないだろうによ」
「似たようなモンさ。顔と中身が比例するなんて誰が決めたんだ? 顔がキレイだから、中身までもキレイとは限らない。天使の顔した悪魔がいたって、ちっとも不思議じゃない。でも、それを見ない奴が多すぎる。それだけの事さ」
煙をフッと吐き出し、俺の方へ視線を流す。
「俺もそうかも知んないぜ。どうする?」
ゴクリと喉が鳴る。正直言って、シェラの話の半分も耳に入っていない。背筋にゾクゾクくる。
体中に鳥肌が立つほど、凄絶な色気が漂う。性別を超越した、純粋な“美”がここにある。知らず知らず呼吸が速くなる。
「──かまわねぇよ。お前が何者だったって、俺は一緒にいる事を選んだんだから」
上の空状態だ。自分が何を言っているのかさえ、よく分かっていない。ただ、今ここで、自分を信じている事の証を、一緒に在る事の証を示せとシェラに言われたら、俺は迷わず自分の喉首を掻っ切っていただろう。己の命を証とするために。それほどまでに、この時の俺はシェラの全部に魅かれていた。
短くなった煙草を灰皿でもみ消すと、前髪をかき上げ、シェラはポツリと呟く。
「……俺は、この顔が嫌いだ」
話題が日常的なモノに移ると同時に、俺を縛り付けていた鎖が切れたように、思考回路が正常に戻る。
「そおかぁ?」
努めて、バカ明るい声を出す。氷の溶けてしまった水に口をつけて、知らないうちに渇いていた喉を潤す。
「俺は好きだぞ、お前の顔。いいじゃねぇか。第一、みっともねぇぐらいブ男で、自分の顔が嫌いだってんなら分かるけど、お前みたいに顔が整ってる奴が言うと、俺を含めて十人並みの連中は自殺するしかないぞ」
新しい煙草に火を点ける。
「この顔、伊津留は気に入ってるのか?」
覗き込むように俺に向けられた瞳には、先程の剣呑な光はない。
「おお。大好きだぜ」
念のために言っておこう。俺はゲイでもなければ、バイでもない。女の子大好きな、三十歳の健全な男なのよぉ。夢だって希望だってある。結婚願望だってあるんだ。なのに──。
ある意味、俺は完全にシェラに惚れていた。例えこいつが妖怪だったとしても、天使でも悪魔でも──そう、死神だったとしても構うものか。シェラが何者だったとしても、俺はシェラと一緒に在る事を選んだんだから。
「お待たせいたしました」
タイミングよくウエイトレスが料理を持ってやってくる。くぅー。腹が悲鳴をあげとる。
「さぁて。不毛な会話はやめて、人間の基本的欲望を満たすとしましょうか」
「だな。消化に悪い話は止めよう」
ニヤリと笑うと、互いの皿に取り組む。うー。しかし──。
「こういう店に来て、こういう事を言うのもアレだけどさぁ」
フォークの肉を口へ運びながら、声を潜めて言う。
「やっぱ、シェラのメシの方が美味いわ」