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天使の仮面舞踏会  作者: 橘 伊津姫
プロローグ
7/26

悪夢の到来

悪夢は知らないうちに忍び寄る。そう、誰の側にでも……。

「ねぇ、知ってる? この間から続いてる事件の事」

 助手席の女が尋ねる。

「事件? ああ、野良犬が人間を襲ってるっていう奴? 犬のくせに人様襲うなんてな」

 右手の煙草を口元へ持っていきながら、運転席の男が答えた。

「そうそう。ニュースで、夜間の外出は控えるようにって言ってたよね」

 そういってから女は、腕時計に視線を走らせる。時刻はすでに十一時半を回っている。久しぶりのデートで浮かれていた二人は、映画のレイトショーの帰りであった。事件も警告も知っていたが、普段から会社の残業などで帰りが遅くなる事に慣れていたために、あまり気にていなかったのだ。何より「自分達に限って」という気持ちもあった。

 だが、一度時刻を気にし始めると、途端に不安にかられてしまうのだ。まるで、人間の時間の流れの外にある、人間外の時間帯に足を踏み入れてしまったように。

 そんな恋人の怯えに気が付いたのか、運転していた男が口を開く。

「平気だって。そんなに不安がるなよ。イザって時には、俺が守ってやるから」

「本当ね。絶対よ」

「ああ、ホントホント」

 大通りを抜けて、静かな住宅地へと車を乗り入れる。

「さ、ホラ。もうすぐ家に着くから安心しろよ」

 しかし次の角を曲がった瞬間、男はブレーキを思いっきり踏み込んでいた。タイヤの滑る甲高い音が、夜の闇に響き渡る。

「うわっ──!」

「キャアッ──!」

 ガクンッというショックと共に、車体が止まる。

「何? 一体、何なのよ?」

 両手で胸を押さえながら、女が男に詰め寄った。

「あ、ああ。ここ曲がったら、目の前に大きな犬がいたんだよ。そんで、慌ててブレーキ踏んだんだけど……」

「轢いちゃった、の?」

「いや──、でも──。わかんねぇよ」

 男の手がノロノロとシートベルトを外す。

「ちょっと後ろ回って見てくるわ。やっぱ、いてたりすっとマズイしな。ちょっと待っててくれよ」

 車内に女を残してドアを開けると、男は後方へ回って確認しに行く。

 ハイ・ビームに照らされて、シンと静まり返った家並みが、白々と浮かび上がっている。ただ自分の鼓動と息遣いだけが、閉ざされた狭い空間に響いている。

「お、遅いな智司(さとし)。何してんだろ……」

 小声で呟いたつもりだったが、想像以上に大きく聞こえる。車の後ろに回ったきり、相手の戻って来る気配はない。

 不安を紛らわそうと、カーラジオのボリュームを上げようとして、女はふと疑問を抱いた。

 静かだ。静か過ぎる──。行き交う人影もない。先ほどのブレーキに対しても、何の反応もないのだ。交通量の多い町中での道ではない。それこそ文字通り、他人の家の玄関先なのだ。まだ家々の窓には明かりが灯っている。何らかのリアクションがあって、然るべきだ。

「やあよぉ。智司、早く戻ってきてよぉ」

 両手で己の肩を抱くと、震えているのが良く分かる。

 ピシャ──

 まるで雨がフロントガラスを叩くかのような音に、女は飛び上がって反応した。

 ガラスの上部に数ヶ所、水滴が落ちている。雨にしては、変な降り方だ。ガラスを伝いながら、水滴が流れてくる。

 ゆるやかに、ネットリと──。

 それが雨であろうはずない。なぜなら、雨には「色」がないからである。ましてや赤い雨など存在するはずがない。

 ドンッ!

 ボンネットの上に、丸いボールのような物体が落ちてきた。ボールは周囲に闇色の飛沫しぶきを撒き散らし、ボンネットの上を飛び跳ねた。

「ひっ──!!」

 ゴロリと転がったボール=生首の見開かれた瞳と女の視線がモロに合った。悲鳴をあげようとする声帯と、深く息を吸い込もうとする気管の別々の動きによって、自分の声とは思えない、かすれた声が喉に引っ掛かっている。

 半分引きむしるようにしてシートベルトを外し、車外へと転がり出る。

「あ、あぁぁぁ、さ──さとさとさと──さささ、さとしぃぃぃ──ヒィィィ──!!」

 精神に異常をきたしたかのように、意味を成さない言葉をわめきながら、少しでも車から──男の生首から──遠ざかろうとする。 腰が抜けているために、全力で進んでいるにもかかわらず、ちっとも前に進まない。

 不意に背後でうなり声が沸き上がる。それは新鮮な獲物を見つけた肉食獣の歓喜の唸り。

「ヒィィヒァァァぁぁぁ──!」

 顔中を涙と脂汗とよだれで汚しながら、爪が剥がれるのも構わず、四つん這いになって必死で逃げる。

 ──嫌っ! イヤァァッ! 来ないでぇ、嫌よぉ! 助けて助けて誰かあぁぁっ!!

 叫び声を上げようとした女の背中に、ズンッ、と獣の体重がかかる。耳元に、生臭い息が触れる。体中の毛が逆立った。

「いやあぁぁぁぁぁ──っ!!」

 最後に女の口から出た意味のある言葉も、唐突に終わりを告げた。


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