『仮面舞踏会』というトコロ
目の前に現れた不思議な店「仮面舞踏会」。ここって、どこよ?
俺が側の二人に対して妙な(不毛な)対抗意識を燃やしている時、店内に来客を告げるカウベルの音が響き渡った。
「いらっしゃいませ」
真砂のテノールに迎えられて入ってきたのは、どこか疲れた表情の女の子だ。窓際のテーブルに落ち着くと、真砂がオーダーをとりにいく。
「何にいたしましょう?」
「あ、ミルク・ティーを」
「かしこまりました」
テーブルに頬杖をついて、窓の外の景色をボンヤリと眺めている。何分かして、ミルク・ティー特有の柔らかい香りが静かに流れてきた。
「お待たせいたしました」
ピンクに花の散ったカップを女の子の前に差し出す。その声にハッと我に返った彼女は、恥ずかしそうに笑んで礼を言った。
「不思議ね。ここでボーっとしてたら、今までの色んな事が浮かんできて。なんだか少し、あったかくなったみたい」
「当店にいらっしゃる方は、皆様がそうおっしゃいます」
ミルク・ティーをひと口すすって
「おいしい……。今までこんな所にお店があるなんて、知らなかったわ。もう、全部が嫌になっちゃって。心の中が硬くなっちゃった。そしたら、このお店があったのよ」
彼女の言葉に、真砂はゆっくりと微笑んだ。
「楽しい時、嬉しい時、満たされている時には、この店は見えないんです。でも反対に悲しい時、寂しい時、辛い時には、すぐに見つかるんですよ。冷めてしまった心を温めるために。硬くなってしまった気持ちを柔らかくするために」
「本当ね」
彼女に一礼すると、真砂はカウンターに戻ってきた。
「相変わらず、女には優しいな」
「男にやる優しさは、あいにくと持ち合わせがないんですよ」
シェラの皮肉を軽く受け流した真砂は、おかわり分のカップを俺に出してくれる。しばらくの間、とりとめもない会話が続く。俺達以外、たった一人のお客だった女の子が、ニッコリ笑顔で帰るのを見届けてから、
「そいじゃ、俺達も帰るとしようか」
「そうだな」
シェラの掛け声にヨッコイセと立ち上がり、ゴソゴソと財布を探す。
「あ、一杯目は私のおごりですから。お近づきのしるしに」
「んお、サンキュー」
釣銭を受け取ると、先に店を出たシェリ・ルーを追いかけようとする。
「伊津留──さん」
「ああ? 何? 真砂」
相手が敬称を付けてくれたのを、分かっていて無視する。
「天使って、いると思いますか?」
ムムム──。何事だ、いきなり? しかし真砂の目は、冗談を言っているにしては真面目すぎるようだ。
「“天使”ねぇ──」
ついこの前までなら「いる訳ねぇじゃん、そんなモン」と、即答するところだ。が──。分からなくなってしまったんだなぁ、これが。死にかけた経験。シェリ・ルーとの出会い。圧倒的な存在感を持って視界に入ってくる不思議な物体──。ひと言で切り捨ててしまう事も出来ない。
「んー。そうだな。この広い世の中、何がいても不思議じゃねえと思うんだよな。いるかもしれないモノを、絶対いねぇんだと言い切れる程、世の中知らないしな。かと言って、いると大見得切れる程生きてもいないしなぁ。難しい問題だな」
胸ポケットから煙草を取り出す。
「でもさ、『いる』んじゃねぇかと思った方が、生きるの楽しいよな。夢あってさ」
一本抜き取って火を点けずに咥える。
「伊津留らしい答えなんでしょうね」
真砂はクッと笑いながら手を振った。
「シェラの事、よろしく」
その言葉にこちらも手を挙げて応える。
「また、くんよ」
「いつでもどうぞ」
カロロン──
カウベルに送られて「仮面舞踏会」を出る。
「なぁにを話し込んでたのかな?」
だいぶ短くなった煙草の灰を、店先の灰皿に落とし込みながらシェリ・ルーが尋ねてくる。何気ない素振りを装ってはいるが、実は気になって仕方がないらしい。
「別に。いろいろとナ。シェラは性格が悪いから、気をつけた方がいいとかってな」
「う゛っ。伊津留、お前って意地悪いよな」
「ほっといてくれ。生まれつきだ」
次元の低い言い争いをしながら、我が家へと急ぐ。
五日振りの我が家への道を、奇妙な同居人と一緒に。




