シェラと真砂と顔のいい奴ら
シェラといい、真砂といい、何で……。グッスン。
「──ほぁ?」
前髪をバサッとかきあげ、空を見上げてから
「夢だと思って死ぬならまだしも、伊津留ってば、生きてんじゃん。それって何でだろうなぁ?」
眼を細めてニマッと笑うシェリ・ルーの顔が、スッゲー面白いイタズラを思いついた時のガキ大将の顔に見える。
「そ、そんな。大体よぉ、生き返らせただの、ケガを治しただの、どうやってやったんだよ? お前がやったっていう何か証拠でもあんのかよ。ええっ?」
俺の先を歩いていたシェリ・ルーが、クルリと振り返り、人差し指を俺の顔の前に突き出してひと言。
「企業秘密です」
目が点になった。何か、足元からスーッと力が抜けた感じだわ。
「わかった。もー、何も言わんでいい」
無性に煙草が吸いたかった。ポケットの中の煙草の箱を手で押さえながら、大きなため息を吐き出した。
「ハアァァァ──」
そのまま深呼吸して、腹に力を入れる。
「んじゃ、伊津留のところに行ってもいいのか? あ、もしかして家族と一緒? 一人?」
──? ここまで来て、何かシェリ・ルーが慌て始める。んだ?
「アパートに一人暮らしだけど?」
「エ? あ、いや。家族と一緒だったりすると、やっぱりマズイかなぁ、とか思ってさ」
「別にマズかぁねえよ。俺以外に誰かが住んでるわけでもなし」
流れる車の列を見ながら目を眇める。
むー。やっぱり眼鏡がないとキツイかも。
普段の俺は眼鏡がないと日常生活に支障をきたす。細かい作業が好きなのと凝り性が祟って(単に姿勢が悪いとの噂あり)、俺の視力はかなり低下している。まったく見えない訳ではないが、見えにくい事に変わりはないのでイライラする。
「なぁなぁ、伊津留。本当にいいのか? すっげー迷惑なら俺、無理言わないぞ」
隣ではシェリ・ルーが、いまだにゴチャゴチャ言っている。
「そんなら聞くけど、俺がお前の事『すっげー迷惑』っつったらどうすんの? まず今夜の寝床。どっか、行くアテでもある訳? なあ?」
自分でも意地が悪いと思うよ。さっきまでやり込められていた、その反動なのだ。大人気ない事に──。
シェラはグッと言葉に詰まると、ボソッと呟いた。
「別にいくアテなんてないよ」
だろーと思ったよ。ったく。これを聞いてシェラを放り出せる程、俺は無慈悲にはできていない。
「はぁふ。来いよ。構わないよ、一人くらい増えたって」
捨てられた仔犬みたいな瞳で俺の事を見ていたシェリ・ルーに、右手の親指を立てて言う。
「ん。頼むわ、伊津留」
そう。余計な事はウダウダ言わない方がいい。
ニパニパと笑顔を振りまくシェリ・ルーを連れて自分ん家の近くまで歩いてきた時、俺は妙な事に気が付いた。眼鏡がないので、多少ボンヤリと霞んで見える街の風景。いつも見慣れているはずの風景の中に、ハッキリと見えるモノが混じっている。
例えば──。
行き交う人々の足元をかすめる黒い影。5・6メートル離れた店の前に佇む、若い女性の表情。走ってくる子供にダブって見える奇怪な生物。地面からウネウネと這い出てくるデロデロ等々。
それらは街の風景に溶け込む事なく、俺の視界に暴力的に飛び込んでくる。目をこすったり、まばたきしたりするくらいでは、それらは消えそうにもない。
「なあ、シェラよ」
多分、俺の声は、みっともない程うわずっていたに違いない。
「なんか俺さ、変なモンが見えてんだけど」
「変なモン?」
お、おおっ! 今、俺の前を横切った奴! オメー、何でシッポ生えてんだよぉ!
一人静かにパニックに陥っている俺を見て奴は言った。
「もしかして、ウネウネとかデロデロ?」
シェラの言葉に俺はただ、コクコクとうなずく。あ、涙目だ。
「ああ、別に大した事じゃあないさ。伊津留の傷を治したりするんで、俺の魂の一部がお前の身体ん中に入って、それが不安定なだけだ」
なんだ、そんな事か。ってな顔だ。
「んじゃ、んじゃさ。その、お前の魂の一部とやらが安定すれば、こういうのは見えなくなんのか?」
すがり付きたい思いで尋ねる俺に、シェラはニッコリ笑いかけると
「安心しろ。シッカリ、ハッキリ、クッキリ見えるようになる」
あう──。
「でも俺が側にいる時は、ヤバイのは寄ってこないから。心配すんな」
そのひと言に、俺はシェラの両手を握り締めてまくし立てた。
「来て。頼む。家賃入れろとか言わない。お願いします。一緒に住んでください」
お目目ウルウルの俺の勢いに一瞬息を飲んでから、奴はのたまった。
「もちろん。ところで、伊津留の家って、ここから近い? まだ結構ある?」
「いや。あとちょっとだけど」
何とか膝に力を入れ、背筋を伸ばす。
「あ、んじゃさ、ちっとばかし寄り道してもいいかな? 知り合いがこの近くに店を出してんだけど」
クイッと目の前の路地を親指で示す。
「あんまり遠くじゃなきゃ、かまわねぇよ」
何? 知り合い? いるの、この街に?
シェリ・ルーの後について示された路地へ入り込む。
ん? こんな所に道なんかあったっけか? ぬぬー。思い出せん。思い悩む俺を知らぬ気に(いや、完璧に無視して)、シェラはサクサクと進んでいく。ま、何とかなるでしょう。
説明してもらいたい事は山ほどあった。そしてその質問のほとんど全部に、シェリ・ルーは説明する事はない。する気がない事も、同時に理解できてしまった。
──だが、この男とも女とも知れない美貌の持ち主。出会ってから(目覚めてから)数時間しか経っていない謎の人物「シェリ・ ルー」を信用する気になっている俺。
「ここ。この店」
シェラの声につられて足を止めたその場所は、「仮面舞踏会」と飾り文字の看板を出した喫茶店だった。
──カロン、カロロン
ドアのカウベルが独特の音色で迎えてくれる。カウンターでグラスを磨いていたマスターらしき若い男が顔を上げ、シェリ・ルーと俺を認めると微笑んで口を開く。
「いらっしゃいませ。おや、ここんトコ姿が見えないと思ったら、本当に突然ですね」
「ご無沙汰、真砂。店の方はどうよ?」
カウンター席に腰を降ろした俺達二人の前に水のグラスとおしぼりを置き、肩をすくめて苦笑した。外人臭い仕草が様になっている。
「まあ、見ての通り。こんな店だからね」
通りに面している窓ガラスから差し込む陽の光が、店内を柔らかく染めている。路地ひとつ入っただけで街の喧騒が遠い。まるで別の空間に入り込んだようだ。
「ご注文は?」
真砂と呼ばれた男に声を掛けられて、俺はメニューに目を通した。ヒョイと顔を上げると、カウンターの奥の棚にズラリと並んだ酒のボトルが目に入った。俺のもの言いたげな視線に気付き、真砂はチラッとボトルに目をやり、
「残念でした。こっちは街の景色がセピア色に染まってから」
そう言ってウインクをひとつ。ばっちり決まったそれが嫌味にならない。
「カフェ・オ・レ」
「ストロング」
俺の事を外見で“こういう人物”と思い込んでいる奴は、一緒にコーヒーを飲みに言ったりすると必ず、
「え、萌木さんて、コーヒーに砂糖入れるんですか?」
とか言いやがる。悪かったな。俺は元々、基本的に、根本的に甘党なんだよ。
「あ、そうだ。真砂、紹介するよ。今度、俺の家主になった萌木伊津留。作家なんだぜ。そんでこっちが『仮面舞踏会』のマスターで、豪徳寺真砂。でも豪徳寺ってな顔じゃないけどな」
確かに古臭く、厳めしい姓にはそぐわない、色白のほっそりした青年だ。
「だから萌木さんも、真砂って呼んで下さいよ。姓の方で呼ばれると、何か自分もゴッツクないといけないような気になるから」
俺の前にカフェ・オ・レのカップを置くと、ニコッと笑う。
顔の造作は整っている。肩の辺りまで伸ばした髪を、根元でゆるく結わいている。
「俺の事も伊津留でいいわ。『萌木さん』とか呼ばれると、締め切りの催促にあっているみたいでさ。落ち着かんのだわ」
しかしシェリ・ルーといい、真砂といい、何で顔のいい奴が寄ってくんだ? 腹立つなぁ~~~。
──ハァ。トホホ。だからって、 別に俺が不細工って訳じゃないからな。まあまあ、いい男なんだから。十人並みには男前なんだからなっ!
負け犬の遠吠えにしか聞こえないトコロが、また悲しい。