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天使の仮面舞踏会  作者: 橘 伊津姫
プロローグ
16/26

無自覚の醜さと自覚した醜さ

俺は何を望んでいるのだろう?

何を願ったのだろう?

自覚しなかった自分の弱さと、知ってしまった自分の醜さ……。

「そうそう、よろしくね。俺、伊津留の『彼女』で、シェリ・ルーって言います」

 だああぁぁぁぁ──!

 頭を抱える俺をよそに、ニコパッと笑ったシェラが答えている。

 くおらぁっ! お前ら楽しいか? 俺をからかって、そんなに楽しいか?

 俺の全身から立ち昇る殺気に反応したのか、慌ててシェラが手を振った。

「とまあ、冗談は置いといて。お腹空いてない? サンドイッチとコーンスープ出来てるから、一緒に。ね?」

 そうだよ。玄関先で漫才やってる場合じゃないだろ?

 ようやく部屋に上がり、ソファーに美緒を座らせて電話の子機を持ってくる。

「先に電話しちゃいなよ。俺ン家にいるって、言っていいから」

「うん」

 子機を手に取ると、自宅の番号をプッシュする。

 ピポ パ──トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「あ、もしもし? お母さん? うん、あたし。今、伊津っちゃんの所」

 美緒や一人は、学生時代よくうちの実家に遊びに来た。彼女の両親も、俺の事は良く知っている。

「あのね、お母さんが代わってって」

 彼女から子機を受け取ると

「もしもし、萌木です。ご無沙汰しております。──ええ。今回は、大変な事に──」

 医者から説明された事を、手短に伝える。うちで朝食を摂り、少し休ませてから帰宅させると言うと、よろしくお願いしますと返事があり、電話は切れた。

 子機を元の場所に戻すと、シェラが温め直してくれたコーンポタージュの鍋を持ってくる。マグカップに注ぎ分け美緒に渡すと、彼女は両手で包んで、ホウッと息をついた。

 俺がサンドイッチに手を伸ばすと、すかさずシェラに手の甲をはたかれた。

「だめ。お客さんが先でしょう」

 皿を美緒の方へ押しやる。

 えーーーっ。俺も腹減ってるんですけどぉー。ぶーぶー。

「伊津留は、おにぎり食べたでしょ?」

 食ったけどぉぉ。でもぉぉ。

「本橋さんは、何も食べてないんだよ」

 うっ──。はい、分かりました。

 俺達のやり取りを見ていた美緒が、堪らずにクスクス笑い出した。笑うゆとりが出てきたのは有り難い事だが、笑われた俺の立場がない……。

 まあ、しかし。気分もほぐれたのか、シェラの作ったサンドイッチを食べ終わると、美緒はソファーの上でうつらうつらし始めた。緊張が解けて、疲れが一気に出たのだろう。

「ほら、ココにクッションあるから。いいから、横になって。少し眠っとけ。後で送って行ってやるから」

 起きていようとする彼女を無理やり寝かしつけ、毛布をかけてやる。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。

「まあ、当たり前だけど、よっぽど気を張ってたんだな」

 シェラを手伝って食器類をキッチンへ運ぶ。たまにはやらないとね、手伝い。

「そうだな。そういう伊津留も疲れてんじゃないのか? 徹夜明けでバタバタして」

「ん、まあな」

 美緒をリビングで寝かしちまったからな。仕事の続きが出来んのよ。

「今のうちに、お前も少し休んどけよ。それで車に乗ったら、確実に事故るぞ」

 うむ。少々、頭がボーっとしている。もう二度と事故りたくないからな。ここは、お言葉に甘えさせていただこう。

「んじゃ、悪い。上で少し眠らせてもらうわ。美緒が起きたら、起こしてくれよ」

 自分で思っていたのより、はるかに疲れていたようだ。ロフトに上がり、シェラの布団にもぐり込むと、そのままストンと眠りに落ちてしまった。


 ──フッと何かの気配で眼を開く。視界が真っ白だ。俺はたった一人で、真っ白な霧の中に立っている。

“夢か?”

 ぐるりと周りを眺め回す。何の変化もない。仕方ないな。少し動いてみよう。

 特にこれといった方向もない。適当な方へ向って歩き出した。

“おいおいおい。俺ってば、また死に掛けてるんじゃあるめーなー?”

 以前「死に掛けた」時と状況が良く似ている。

“勘弁してくれよぉ。あんな体験、一回やりゃあ上等だぜ”

 身体にまとわり付く霧を掻き分けながら歩いていくと、不意に人影が出現する。

“美緒か……”

 乳白色の闇の中に浮かび上がったのは、微笑んでいる美緒の姿。

“あのね、伊津っちゃん”

 世にも幸せそうな笑顔で俺を呼ぶ。両手を広げて俺が一歩を踏み出した瞬間。

“私ね、結婚するの。伊津っちゃんには、一番に知らせたくて”

 俺の身体が凍りついた。

 一点の邪気もない笑顔。彼女は弾む足取りで、俺の横を通り過ぎる。

“美緒!”

 無理やり振り返ると、そこには一人が立っている。そして、その腕を抱いて幸せそうに笑っている美緒。

“伊津っちゃん、私、幸せになるから”

“悪いな、伊津留。俺のほうが先に結婚するらしい。こいつの事、幸せにしたいんだ”

 そう。過去に見た光景を、俺は追体験しているんだ。

 あの時、俺は二人に「おめでとう」と言った。でも、その言葉の裏に隠されていた思いは?

“嫌だ!”

 叫びが口を突いて出た。

“行くな、美緒。ここにいろ。俺の所にいてくれ! 美緒っ!”

 振り返った美緒が残酷な言葉を口にする。

“だって、伊津っちゃん、何も言ってくれなかったじゃない”

“伊津留。美緒はお前じゃない、俺を選んだんだ。諦めろよ”

 一人の言葉が、俺の理性を引き裂いた。

“嘘だ! 違う! 行くな、美緒!”

 言葉が意味を成さない。一人が美緒の肩を抱いて遠ざかっていく。

“離せっ! 俺のだ──美緒は俺のモンだ! その手を離せ!”

 届かない。どんなに叫んでも、美緒には届かない。──彼女が選んだのは俺じゃない。ならば、いっそ──いっそ奴がいなくなってしまえば……。

  ソウ。奴ガイナクナッテシマエバ。

 別の声が俺の思考にかぶさってくる。

  何ヲ悩ム必要ガアル?

  オ前ノ欲シイ物ヲ、手ヲ伸バシテ取レバイイ。誰モガヤッテイルコトダ。

 誰もが……手を伸ばして……。

  欲シクハナイノカ?  ──欲しいとも。

  悔シイダロウ?  ──悔しいさ。

  ナラバ……  ──ならば……?

 その瞬間、鋭い痛みと景気のいい破裂音がして、ポカッと眼が覚めた。

 目の前にシェラの顔がある。あ、起こしてくれたのか。ん? でも──。

 シェリ・ルーの右手はまるで誰かをひっぱたいたかのように、奴の顔の前に掲げられ、俺の左頬は熱を帯びてジンジン痛みを訴えている。

 どうやらコノヤロは、俺の事をひっぱたいて起こしたらしい。

「伊津留?」

 そのままの姿勢で、シェラが口を開く。

「何だよ?」

 思いっきり不機嫌に返事をする。

「目ぇ、覚めたか?」

「くらぁ! ひっぱたいといて『目ぇ、覚めたか?』はねーだろー、フツー!」

 くそっ! ヒリヒリする頬に手を当てて起き上がる。そんな俺を見て、シェラが大きく息をついた。

 はしごを降りるためにシェラを促すと、奴が俺の腕をつかんで声をひそめた。

「お前、どんな夢を見てたのか知らないけど、連中の言う事に耳を貸すなよ。いつも俺がフォローしてやれるとは限らないんだ」

 その言葉にギクリとする。

「ち、ちょっと待てよ。その『連中』ってのは何なんだよ? 訳わかんねーぞ」

 シェラは俺が夢見たのを知っている。俺は何を思った? 何を願った? その『夢』の中で?

「そう。その『連中』だよ。奴等は、人の心の隙間に入り込む。そうやって、人間の『負の感情』を喰ってデカくなるんだ。お前の夢の中に入り込んでいたのは、あの“妖獣”の一部だ」

 げろっ! 何と!?

「彼女を送っていったら、詳しく話してやる。とにかく、自分の心に隙を作るな。伊津留、お前は自分が思っているよりも、精神的に強いんだ。よっぽど心が乱れていない限り、奴等はお前に手が出せない。いいな?」

 こくこくこく──。らじゃーです。ただ、首を縦に振るばかりである。

 かなりスッキリした顔で起きていた美緒を、安全運転で実家へ送り届ける。せめてお茶でも、という美緒のお母様のお誘いを丁重にお断り申し上げ、俺は自宅へと急ぐ。

 シェラに聞きたい事が沢山あった。伝えておきたい事が沢山あった。

 俺の「負の感情」──それは一人に対する「嫉妬」以外の何者でもない。

 どこか俺の目の届かない場所で、ヤツが嘲笑っている気がする。所詮、お前も人間なんだと。どんなに気取って見せても、結局は自分が一番可愛いんだと。

 駐車場に車を入れると、身体を引きずるようにして部屋へ向う。

「たぁだいまぁ──」

 今日一日は始まったばかりだと言うのに、すでに疲れ切っている俺は、一体何者?

 ポテポテとリビングへ入る。シェラの返事はない。普段なら少しは変だと思うのだが、今の俺に、通常の思考は望むべくもない。

「おーい。帰った──ぞ……」

「お早いお帰りだな。邪魔しているぞ」

 俺は言葉を失った。



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