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天使の仮面舞踏会  作者: 橘 伊津姫
プロローグ
15/26

恋慕と嫉妬の狭間

忘れていたはずの心の痛み。

どうして、お前の隣にいるのは俺じゃないんだ!?

 トゥッ……トゥルルルッ トゥルルルッ……

 静かな空間を電話の呼び出し音が鋭く切り裂く。夜間モードなので音は控えめだが、俺の考え事を中断させ、驚かせるには十分だ。

 誰だ? こんな非常識な時間に電話なんぞしてくる無礼な奴は? ハッ、ま、まさか、担当様ではあるまいか?

「──はい、萌木です」

「──」

 をい! こんな時間にイタズラ電話ぢゃねーだーろーなー?

「もしもし?」

「──伊津っちゃん?」

 棘を含んだ俺に言葉に、受話器の向こうから、消えてしまいそうな返事があった。この声は……この呼び方は……。

「もしもし? 美緒? ネコちゃんか?」

 頭の中に女友達の顔が浮かんだ。

「どうしよぉ、伊津っちゃん。助けてよぉ。もう、分かんないよおぉ」

 本橋美緒。俺の中学校時代の片思いの相手である。

「どうしたんだよ? 落ち着いて話してみろ。今、どこにいるんだ?」

 電話の向こうで、彼女の細い鳴き声が聞こえる。

「今、今ね。××総合病院にいるの。どうしよう。一人かずひとが、一人が死んじゃうぅ」

 上で、シェラの起きた気配がする。

「病院? ひとりが? 泣いてちゃ分かんないだろ? とにかく、そこにいろ。今から行くから。××総合病院だな?」

 シェラが不安そうに見つめる中、彼女がうなずいているのが伝わる。電話を切ると、シェラを振り返る。

「悪い。病院行ってくる。事と次第によっちゃ、彼女連れてくるから。何か軽いモン作っといてくれるか?」

「大丈夫か? お前、徹夜明けだろ? ついて行こうか?」

「ん、大丈夫だ」

 すっかり冷たくなってしまったジャケットに腕を通すと、財布と煙草を突っ込んで車のキーを取り上げる。

 普段、移動にはバイクを使っていたのだが、例の事故でおシャカにしてからは、車を使っている。どっちにしたって、美緒を乗せてくるんだったら、バイクじゃ無理だし。

「じゃ、行ってくるから」

 慌しくドアを閉めると、駐車場へ向う。

 倉田一人。通称ひとりは美緒の婚約者で、来年の春には挙式予定だ。そして、その事を考えるといまだに胸が痛む。忘れられない自分がいる。

 まだまだ空いている道路に、ヘッドライトの反射が白々として、俺の気持ちを逸らせる。ステアリングをきる手が震える。煙草に火を点けて、深く吸い込む。

 落ち着け、落ち着け。俺が事故ったら意味がない。落ち着いて──くそっ!

 ××総合病院は、事故った俺が目覚めた場所だ。エンジンを切るのももどかしく、病院内へ駆け込む。待合室の椅子に腰掛けていた女性が、俺の足音にパッと顔を上げた。美緒だ。

「来てくれたんだ、伊津っちゃん」

 真っ赤に目を腫らした美緒がしがみついてくる。明るくて、クルクルと表情の変わるその顔は、今はやつれて血の気が無い。

「ひとりは?」

 震える肩を抱きしめながら、美緒に尋ねる。

「今、手術中なの。伊津っちゃん、一人が死んじゃったら私、どうしよぉ」

 不安気な瞳が見上げてくる。俺は自分の胸に美緒の顔を押し付けると、そっと髪を撫でた。棘が刺さったままの胸に。

 お前は俺の胸の中で、奴の心配をする、俺の胸で泣きながら、他の男の名前を呼ぶんだ。俺の心のどこかに、昏い炎が灯ったような気がした。「嫉妬」という名の炎が。

 言葉にならなかった想い。告げられずに終わった恋。「好きだ」と言えずに、彼女の前から去ったのは俺。逃げ出したのは俺の方だ。俺に二人の事をとやかく言う権利は無い。

 諦められた、と──忘れられたと思っていたのだ。今までは。

 だが、現実は? こんなにも、彼女が愛しい。こんな状況でなければ、俺は躊躇わずに美緒をかっさらっていただろう。

 なぜ奴なんだ? 筋違いだとは思う。逃げ出したのは、自分なのに。だけど止まらない。止められない。なぜ? なぜ、俺ではなく、お前の隣にいるのは奴なんだ!?

「伊津っちゃ──ん?」

 黙り込んでしまった俺を美緒が覗き込んでいる。

「あ、ああ。何でもない」

 彼女の肩に手をかけながら、手術室へと向う。今は美緒に顔を見られたくない。恐らく俺は、とても醜い顔をしている。最高に浅ましい顔をしているはずだ。そんな顔を、彼女にだけは見られたくない。

「一体、何だってひとりが?

「先生の話では、大型の動物に襲われたんだろうって。私もまだ、一人に会ってないの」

 夜中に連絡をもらって駆け付けた時には、もうすでに手術は始まっていたのだと言う。

 倉田家の家族は来ていない。彼の両親は、一人が高校生の時に、事故で亡くなっている。親戚は、北海道に伯父夫婦がいるだけだと聞いたことがある。

 自分だけで、手術が終わるのを待っていた美緒は、消える気配のない「手術中」のランプに耐え切れず、俺の所に電話を入れてきたのだ。

 何を話すでもなく、病院に着いてから一時間が経過した。

“大型の動物”による怪我──。思い当たるのは、あの“妖獣”しかいない。だとしたら、もう動ける程に回復したというのか? 信じられない回復力だ。そんな奴を滅ぼす事は可能なのか?

 不幸にも一人は、その復帰第一号の犠牲者になってしまった訳だ。

 うつむいて考え込んでいた俺は、横に座っていた美緒の緊張した気配に、顔を上げた。「手術中」のランプが消えている。

 やがて扉が開くと、ストレッチャーに乗せられた一人が運び出される。

「あ──、かず……ひと──」

 追いかけて行こうとする美緒を押し止めると、出てきた医者に礼を言い、手早く事情を説明して容体を尋ねる。

「発見が早かったのが幸いしたようです。大型肉食獣の爪と牙のように鋭利な刃物で背中を数ヶ所、えぐられていますし、脇腹には内臓にまで達する傷もありましたが、生命は取り留めました」

 今まで“妖獣”に襲われて助かった者は、皆無である。まだ、本調子ではないのか? だとしたら、本当に運が良かったな、一人。いや、こんな目に遭ってしまって、運が悪かったと言うべきか……。

 今後の治療とリハビリについて簡単に説明を受け、何かあった時のために名刺を渡す。再度、礼を述べると、所在無げに立っている美緒の腕を引っ張って歩き出す。

「ち、ちょっと、伊津っちゃん? 私、一人の所に行かなくちゃ──」

 ゴチャゴチャ言っている美緒に、

「もう、俺達がする事はねえぞ。病室はちゃんと聞いたし、面会謝絶だ。ついでに言うなら、ここは完全介護だしな」

 美緒が恨めしそうな顔をして俺を見る。

「駄目だ。お前も休まなくちゃ、倒れちまうよ。ひとりの意識が戻った時に、お前が倒れたなんてバレたら、あいつ、這ってでも俺の事殴りに来るぞ」

 心の裡を隠しながら、もっともらしい事を言ってのける、お前が一人の側にいるのが、嫌なんだよ!

「俺んトコの同居人が、メシ作って待ってるからさ。何かあったらうちに連絡が来るように、先生にも話しつけたし。ネコの家にも連絡しとかねえと、心配してんぞ」

 俺の言葉に微笑みながら、美緒が答える。

「変わってないね、伊津っちゃん、中学の時から、女の子には優しかったんだよね」

 バカ。女の子に優しかったんじゃねえ。俺は、美緒、お前にだけ優しくしたかったんだ。

 美緒の手を握ったまま、愛車へ向う。

 時計を見ると、そろそろ八時になろうかというところだ。

「んぁ、行こうか」

 車の増え始めた道を走り出す。

「ありがとね、伊津っちゃん。誰かに助けてもらいたいと思った時、伊津っちゃんしか思い浮かばなかったの」

 信号待ちの間に美緒が呟く。

「伊津っちゃんには迷惑だったかも知れないけど、私、伊津っちゃんがいてくれて、すごく助かったから」

 うつむいている彼女の頭をポンと叩くと、アクセルを踏み込んでいく。

「覚えててくれて、嬉しいよ」

 アパートの裏の駐車場に車を停めると、美緒を部屋へ案内する。

「あ、そうだ。今のうちに言っとくけど、うちの同居人、壮絶に顔が良いんだわ。あんまし、まともに見ないほうがいいぞ」

 とりあえず、警告だけはしておく。

「え? もしかして、伊津っちゃんの彼女? だったら悪いなぁ」

 ちっがぁ──うっっ! 断じて、そんなんじゃないっっ──と思いたい(こら!)。

 まあ、他の事に気が回るようになっただけ、良しとしておかうか。

「……ただいま」

 ドアを開けて、美緒を促す。

「あ、お帰りぃ」

 奥からシェラが返事をする。

「ん。彼女が、本橋美緒。俺の中学時代の同級生。んで、コッチが──おい?」

 顔を出したシェラにペコリとお辞儀をして、顔を上げた美緒の動きが停止した。

「もしもし?──美緒?」

 最悪の状況を想像しながら、呼びかける。ギギギと音がしそうな動作で、美緒がゆっくりと振り返った。

「──伊津っちゃんって、ゲイだったんだ……?」

 だぁぁかぁぁらぁぁ!! 違うって言ってんだろぉぉぉっ!!



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