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彼女のオムライスが、いつも1分早く完成する理由

作者: 新里泰久
掲載日:2026/05/16

「はい、お待たせ。特製オムライスの完成だよ」

ユイが満面の笑みを浮かべ、湯気の立つお皿をテーブルに置いた。

ケチャップできれいにハートマークが描かれた卵は、芸術的なほどにふわふわだった。

僕は手元のストップウォッチを止め、そのデジタル数字を睨みつけて息を呑んだ。

(……おかしい。僕の計算では、卵を混ぜてから焼き上がるまでに、どうしてもあと1分はかかるはずなのに)


「うわあ、今日もすごく美味しそうだね。ありがとう」

僕は引きつりそうな笑顔をなんとか取り繕いながら、スプーンを手に取った。

ユイは嬉しそうに僕の向かいの席に座り、自分の分のオムライスを食べ始めた。

窓の外からは、いつもと変わらない爽やかな朝の光が差し込んでいた。

(……ユイってば、半年前まではお湯を沸かすことすら怪しかったのに、最近の手際は神がかかりすぎているよな)


「残さず食べてね。あ、お皿を洗うのはタクミの係だからね」

ユイはスプーンを口に運びながら、楽しそうに小首を傾げた。

口いっぱいに広がるバターとチキンの風味は、文句のつけようがないプロの味だった。

だけど、僕の頭の中は、先ほどからキッチンで起きていた奇妙な違和感でいっぱいだった。

(……トースターのタイマーが鳴る前にパンが焼き上がったり、お湯が沸騰する速度が異常に早かったり、絶対に何かが変だ)


「なあ、ユイ。最近、料理の腕が上がりすぎじゃないか?」

僕はさりげない口調を意識しながら、オムライスを一口飲み込んで尋ねた。

ユイは一瞬だけピクリと肩を揺らしたが、すぐにいつもの朗らかな笑顔に戻った。

キッチンの方では、さっきまで使われていたフライパンが、まだかすかにパチパチと音を立てていた。

(……まるで、僕の見ていないところで、時間を早送りしているような感覚なんだよな)


「そんなことないよ。タクミに美味しいって言ってほしくて、毎日練習してるだけ」

ユイは照れたように視線を泳がせ、お水をゴクリと飲んだ。

その健気な言葉は嬉しかったけれど、理系の僕としてはどうしても物理的な矛盾が許せなかった。

僕は昨日、キッチンの換気扇の隙間に、ある実験のために小型の定点カメラを仕込んでおいた。

(……ユイを疑いたくはないけれど、この日常の謎を解き明かさないと、気になって仕事に集中できないよ)


「そっか。いつも本当に助かってるよ」

僕はそれ以上追及するのをやめ、急いでオムライスを完食した。

ユイが仕事に出かけた後、僕はすぐにパソコンを開き、仕込んでおいたカメラの映像データを再生した。

画面には、ユイがキッチンに立ち、冷蔵庫から卵を取り出す姿が鮮明に映し出されていた。

(……さあ、ここからだ。彼女がどうやってあの『消えた1分間』を叩き出しているのか、見極めてやる)


映像の中のユイは、ボウルに卵を割り入れ、箸を動かそうとした瞬間に動きを止めた。

いや、動きを止めたのではない、彼女の持っていた箸が、手元から滑り落ちて床に激突した。

その瞬間、画面全体に激しいノイズ走り、ユイの体が衣服ごと『一瞬だけブレた』ように見えた。

(……なんだこれ。カメラのバグか? いや、ユイが落としたはずの箸が、なぜか彼女の手元に戻っているぞ)


「嘘だろ……巻き戻って、いるのか?」

僕は思わず立ち上がり、画面に顔を近づけてコマ送りを繰り返した。

ユイは箸を落とした直後、ポケットから見たこともない青い携帯端末を取り出し、ボタンを押していた。

すると、彼女の周囲の空気だけが歪み、時間が数分ほど過去に逆行しているような描写が捉えられていた。

(……これって、SF映画とかに出てくる本物のタイムリープガジェットじゃないか! なんでユイがそんなものを持ってるんだ?)


映像をさらに進めると、ユイはその端末を何度も使い、料理の失敗をその場で「なかったこと」にしていた。

塩を入れすぎたら時間を戻し、焦がしてしまったら再び数分前に戻ってやり直す。

彼女が驚異的なスピードで完璧な料理を作れていたのは、裏で果てしない試行錯誤を繰り返していたからだった。

(……なるほど、1分早く完成していたんじゃなくて、僕の知らない時間軸で、何十分も戦い続けてたってわけか)


「ただいま。タクミ、夕飯は何がいい?」

夕方、玄関のドアが開き、疲れた顔をしたユイが大きな買い物袋を下げて帰ってきた。

僕はパソコンを閉じ、リビングのソファから立ち上がって彼女を迎え入れた。

彼女のポケットの膨らみが、昼間に映像で見たあの時間跳躍デバイスの形をしているのが分かった。

(……真実を知ってしまった以上、もう今まで通りに騙されたフリをしているわけにはいかないな)


「ユイ、ちょっと話があるんだ。座ってくれるかい」

僕は真剣な面持ちで、対面の椅子を指差した。

ユイは僕のただならぬ雰囲気を察したのか、買い物袋をそっと床に置き、不安そうに腰掛けた。

部屋の中には、夕方の静寂が静かに満ちていこうとしていた。

(……よし、怒らせないように、でもハッキリと、全部知っていることを伝えよう)


「これ、見ちゃったんだ。キッチンのカメラの映像」

僕はスマートフォンを取り出し、先ほどのタイムリープの瞬間を捉えた動画を彼女に見せた。

ユイは画面を見た瞬間、顔から一気に血の気が引き、細い肩を小さく震わせた。

彼女の綺麗な瞳から、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。

(……あちゃあ、やっぱり泣かせちゃったか。でも、僕が言いたいのは責めることじゃないんだ)


「ごめんなさい……。私、タクミに嫌われたくなくて、ずっと嘘を……」

ユイは下を向き、声を詰まらせながらポケットから青い端末を取り出してテーブルに置いた。

それは彼女が未来の研究所から持ち出した、未完成の時間制御プロトタイプなのだと白状した。

彼女は自分の不器用さのせいで、僕に愛想を尽かされるのが怖くてたまらなかったと言った。

(……そんなことのために、国家機密レベルのテクノロジーを私物化して日常をループさせてたのかよ!)


「ユイ、顔を上げてよ。僕は怒ってるんじゃないんだ」

僕はテーブル越しに手を伸ばし、ユイの冷たくなった両手を優しく包み込んだ。

彼女の不器用な嘘の裏にあったのは、僕に対するあまりにも一途で、深すぎる愛情だった。

日常の怪現象だと思っていた謎は、僕のために時間を何度も巻き戻してくれた、彼女の血の滲むような努力の結晶だった。

(……呆れるくらいに愛おしいな。こんな最高な彼女を、手放すわけがないだろ)


「嫌うわけないじゃないか。むしろ、僕のためにそこまでしてくれて嬉しかったよ」

僕は微笑み、彼女の目元に浮かんだ涙を指先でそっと拭った。

ユイは驚いたように目を見開き、それから本当に安心したように、ふにゃりと破顔した。

テーブルの上のタイムリープマシンは、役目を終えたように静かにその光を消していた。

(……これからは失敗したって構わないさ。その不完全な日常こそが、僕たちの宝物なんだから)


「ありがとう、タクミ。……じゃあ、今夜の肉じゃがは、時間がかかっても待っててくれる?」

ユイはいたずらっぽく笑いながら、端末をバッグの奥底へと仕舞い込んだ。

僕は大きく頷き、彼女と一緒にキッチンへ立って、今度は二人で並んで野菜を刻み始めた。

僕たちの時間は、もう巻き戻る必要のない、輝かしい未来へと真っ直ぐに動き出していた。

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