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東雲中将という青年

 何だかんだと言って、東雲(しののめ)はそのまま上野の駅から無事に汽車に乗ることができた。

 この調子なら、夜の入りかけには祝言が行われている現地に着くことができるだろう。


 ――そう思っていたというのに……。


 その汽車で乗り合わせた女の腹は、すでに臨月間近であった。

 しかも、まだ手が離せそうもないやんちゃな子どもがふたりもいて、荷物も抱えている。

 何となく話がはじまると、女は三人目を出産するために里帰りするのだと東雲に話してくれた。

 ほんとうなら実家の父母が迎えに来てくれるはずだったのだが、父母が働く夏の工場はなかなか忙しく、夫も陸軍徴兵で家を空けているという。

 その話を聞かされると、大きなお腹の女が荷物を抱え、子どもふたりの手を取って移動するのが忍びなくて、


「よかったら、ご自宅まで送りますよ」

「ええッ?」


 東雲はつい、そう言ってしまった。

 女は、いかにも高級将校の軍装を着る帝国海軍軍人にそのようなことをさせるわけにはいかないと、手も首も激しく横に振ったが、人見知りのないやんちゃな子どもたちはすでに東雲と打ち解け合って、よじ登って離れる素振りがない。

 ここまで来たら、もう決定したようなものだ。


「俺は急ぐ旅でもないですし、先ほど行商から野菜や西瓜をもらったのはいいですが、何せこの量だ。よかったらご実家への手土産として食べてもらえると嬉しいので」


 ――妹よ、すまんッ!


 東雲は名家の長男として育ったため、どこかのんびりとした気風があり、根っからの軍人気質で物事を考えたりはしない。

 それを差し引いても、目の前で困っている人がいたら手を伸ばさずにはいられない。しかも女は重みだ。

 じつを言うとこんなふうに東雲が先々で手伝ったり、背負ったりする経験はすでに一再ではない。

 この配慮が身内に率先して発揮できればいいのだが、東雲は身内以外に遭遇する率のほうがはるかに高いのだ。

 なので――。

 女が降りるという駅で一緒に下車し、可能なかぎりの荷物を持ち、西瓜四玉を背負い、周囲をぐるぐる遊びながら歩く子どもたちを誘導しながら女の実家まで送り届け、行商の老婆たちからもらった野菜のほとんどをその家族に渡した。

 道中、はしゃぐ子どもたちに負けて西瓜のひとつを割ってしまったが、それは腹ごなしと言って道端で食べた。

 常温の西瓜は、川や井戸で冷やしたそれよりは感動も薄かったが、甘い汁気が喉を潤してくれて、それはそれで美味しかった。

 白地の帝国海軍軍装の背に西瓜の汁をつけた東雲に驚愕し、女の実家では手ぶらで帰すわけにはいかないと言って、夕飯を食べていかないかと誘ってくれたが、それでは最終の汽車には乗れない。

 女たちを見ていると、これからそんな未来が待っている妹と重なったので、やっぱり妹に会いたくなった。

 こんなふうに、すでに家庭を築いている弟たちにも会いたい。

 東雲は好意を丁重に断り、握り飯だけをもらい、つぎの汽車に乗って真の目的地である妹の祝言が行われている旅館へと向かった。


 ――その旅館に着いたとき、すでに時刻は夜深い。


 祝言はとっくに終わっていて、それをとことん祝う酒の席も終わり、ほとんどがもう寝るだけの時間になっていたが、東雲のやっとの到着に妹や弟たちは喜んでくれて、妹の夫、その家族とも顔を合わせることができた。


「こんな遅くに訪ねたにもかかわらず、お会いできて光栄です。――ご挨拶が遅れましたが、妹をよろしくお願いいたします」


 東雲はきちんと座して手をつき、長兄として、家長として深々と頭を下げる。

 その所作は軍人らしい動きがあり、名家の出自である優れたものもあった。

 これでいまだに嫁がいないのが不思議だ、と周囲は内心で思う。


 ――俺の発艦はじめの号令が、この国の運命を左右させる……。


 それは考えただけで心底身震いしたが、出会った誰もがこのままでいられるために、自分は帝国海軍軍人として身を粉にするだけだ。

 東雲は思い、聯合艦隊司令部が教皇に裁可をもぎ取るだろう黒真珠湾奇襲攻撃作戦に向けて――覚悟を決めた。


 ――そして。


 この日を最後に、東雲は生きて家族に会うことはなかった。

 家族は対米戦勃発後、やがて頻度が増す帝国広域空襲の被害を受けて三男の弟家族がそれの犠牲となり、東雲本人もミッドウェー海戦の大敗北後に心を病ましてしまい……。

 つづいてマリアナ沖海戦で敗北し、戦況悪化の末にサイパン島で自決。

 遺骨となって帰国するという末路を迎えることになるのだが……。

 そのことを知る者は、東雲本人を含め、いまここにはいなかった――。



《完》

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