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行商の老婆たち

 東雲(しののめ)が簡単な荷物を持って歩いていると、近郊の農家から行商に来ているのだろう、大きな、大きな籠を傍らに下ろしている老婆たちが幾人、足休めしているのが目につく。

 そんな行商を見るのは、珍しくない。

 むしろ、毎日、毎日、こうして町場まで野菜を背負って売りに出向いてくるのが凄いなと思う。

 そんなふうに見やって歩いていると、老婆たちが明るい声をかけてくる。


「あれ、まあ。その恰好はひょっとすると海軍さんですかい?」


 東雲は一瞬、「え? 俺、腑抜けの海軍めって言われて、これから大根でボコられるのかッ?」などと勝手な被害妄想を浮かべたが、老婆たちがそれをするはずもない。

 もしやるとしたら、手には鍬か鎌が握られているだろう。

 それはともかく――。

 海辺や軍港付近から離れたところでは、階級問わず帝国海軍軍装姿の男たちを見る機会はあまりない。

 とくに、東雲のような上級将校が気さくに荷物を片手に駅を歩くのが珍しいのか、


「海軍さん、お国のためのお勤め、ご苦労さまでございます」


 と言って、なぜか東雲に向かって両手を合わせてくる。

 それから、


「売れ残りで悪いですが、よければ食ってくださいませ」


 と言って、トマトやらきゅうりを入れた袋を東雲に差し出してくる。

 東雲は久しぶりに何気ないこの時間に笑んだ。


「いやいや、まだ商売途中なんでしょう? ちゃんと払うもの払いますって。それくらいの持ち合わせはありますから」


 で、その財布は……と、荷物をごそごそとしていると、


「いいえぇ、海軍さんにお金を払わせるなんて、そんなことできません。ご苦労感謝の気持ちですので、もらってくだせい」

「いや、でも……」


 ほら、と差し出されたのは、丸々とした西瓜。

 季節柄美味しそうなのは目に見えているが、その育ちのよさはすでに砲弾のようにも見えてしまう。


 ――これを四つも抱えろってか?


 それでも困った顔はできないので、東雲は極力笑顔を務めて、


「それでは遠慮なく――」


 そう言って、ついには手では足りず風呂敷包みで背負う羽目になった東雲に、老婆のひとりがじっと見てくるものがあった。

 何だろうと思っていると、


「お兄さんはずいぶんと若いのに、ずいぶんと偉い人の服を着ておりますねぇ」

「偉いって、そんな」


 たいしたことなどない。

 確かに帝国海軍の階級で言えば、すでに関係各所の最高ポストに就くこともできる「中将」まで昇進したが、そのおかげでこの大日本帝国の国運を握るとんでもない艦隊の司令長官を拝命し、夜ごと辛くて泣いているのだ。

 などと、そんな愚痴をこぼすわけにもいかないので、愛想笑いでごまかす。

 すると、


「私の孫も海軍に志願しましてね。いま、海兵団でお国のお役に立つよう訓練に励んでおります。けども百姓育ちですからねぇ、きちんとお勤めできるかどうか心配で……」


 と、老婆が言ってくる。

 そんな他愛ない会話を皮切りに、老婆は語る。

 いまはすっかり老体だが、連れ合いの老爺もかつては日本海海戦に参加した海軍兵だったとかで、孫はそれを聞いて育ち、農具より艦艇で身を粉にしたいと言って海兵団にいるとか。


「もし、お兄さんの下で働くことがありましたら、そのときはうんと働かせてくだせえ。不出来があるようでしたら、遠慮なく叱ってくだせえ」

「では、お言葉に甘えて。うんと働いてもらいましょう」

「もし、お声をかけていただく機会がありましたら、家のことは心配しないでいいから、お国のために恥ずかしくない働きをしろと、この婆が言っていたとお伝えくだせえ」

「しかと」


 老婆はそこで孫の名を口にしたが、申し訳ないことに東雲が彼と会う機会はなかったし、そもそも所属も存在自体も雲泥の差がある。

 けれども、老婆もそれは承知だったらしい。

 東雲が話を聞いてくれたことが嬉しかったようで、東雲が立ち去るとき、老婆たちは感謝を込めて何度も頭を下げていた。

 何気ない会話だったが、そのお辞儀は何か重要なものを託されているような気がして胸が痛んだ。

 軍役についた以上、死んで帰って来いというのが世情だが……。

 きっと、生かして帰してほしいというのが本音で、それを託されたような気がする。


 ――俺が向かう、対米戦……。


 それは身近な顔を見れば、是非もすぐに判断できるような気もするが、それでも聯合艦隊司令部は護る決断だと信じて、この東雲に国運を背負う機動部隊を預け、はるか遠くの黒真珠湾を奇襲せよと言うのだろうか?

 東雲は避けられそうもない現実を思い、なお胸を酷く軋ませた。

 その前に――。


 ――背負う羽目になった西瓜爆弾の四玉が、あまりにも重すぎる……。

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