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東雲の苦労は日常茶飯事?

「――あ~……こりゃあもう、祝言には間に合わないな」


 あきらめるように「うん」とうなずきながら、白地の帝国海軍軍装のポケットに入れていた懐中時計を見やり、東雲(しののめ)はため息をつく。

 本来であれば――。

 上野の駅で汽車に乗車していなければならない時刻だというのに、まだ二十代後半の若さでありながら、すでに帝国海軍中将まで昇りつめた東雲昂一(しののめこういいち)の姿は、帝国海軍軍令部を出て、上野の駅に向かう移動中の車のなか……その後部座席にあった。


 ――今日は、嫁ぐことが決まった妹の祝言があるというのに……。


 予定では、その祝言の会場となる北関東へは昨日のうちに移動しているはずだった。

 しかし。

 こういうときにかぎって帝国海軍軍人として優先しなければならない所用が入り、昨日のうちの移動は断念。

 せめて午前のうちに……とどうにか用件を終わらせ、こうして移動の途中にいるのだが、車窓を見てもまだ上野の駅は見えず、時間ばかりが過ぎていく。

 おかげで口からはため息しか漏れない。

 車窓から見やる帝都は、今日も何も知らずに活気に溢れていた。

 人の往来は足取りがしっかりとしているし、街頭では「帝国海軍の腰抜けめ!」と弁論師たちがさらなる戦争を求め、富という好景気を求め、煽るように声を張り上げている。


 ――戦争。

 ――戦争。


 もう歯止めの利かない帝国陸軍の無謀な大陸進軍によって、この国は好景気どころか沈む一方だというのに……。

 何も知らないくせに、よくもまあ――。

 ご苦労さん、と心中でつぶやき、東雲は顔ごと逸らす。

 そんなことよりも、


「帝国海軍中将を兄に持つ――と言えば聞こえもいいが、その兄が祝言の席に遅れたら嫁ぎ先には申し訳ないし、そのせいで妹に恥をかかせることになったら……」


 すでに、祝言への参列は叶わないと、電報は打っている。

 非礼と詫びを兼ねて、祝いの品も先に盛大に贈っているが……。

 この祝言だけは何としてでも顔を出したい。

 兄……長兄として。

 東雲家の家長として。


 ――何せ。


 すでに妻子ありの所帯を持つ弟ふたりの祝言のときもそうだったが、東雲は帝国海軍軍人として見事に時間が取れず、所属していた志那方面艦隊所属にして日本にいなかったので、どちらの宴席も不参加という実績があるのだ。

 それだけで充分「長兄の面目丸潰れ」寸前だというのに、本日執り行われる妹の祝言も不参加となれば、これはもうどう考えても意図的だと思われても仕方がないし、東雲自身もいよいよ、東雲家の長兄として弟妹に顔向けできなくなってしまう。

 そう!

 いつまでも情けない「兄」ではいられない。


 ――おまけに!


 東雲の家は、帝国維新前の幕府時代の中期からはすでに名家として地元では名高かったが、――ここ数代。

 その跡取りとなるべき男児に恵まれず、娘が婿を取って家名と血筋を支えてきたので、そのなかで生まれた東雲は久しぶりに誕生した男児――嫡男として喜ばれ、たいそう可愛がられたのだが……。


 ――あと数年で三十路になろうというのに、いまだに女っ気がない。


 幸い、というのもおかしいが、東雲家はその後も次男、三男を母が生んでくれたので万々歳だったが、その母も数年前に他界。

 かわりに勝気な祖母があれこれ見合いやら何やらを用意して、


 ――何が何でも、東雲家長男に嫁を!


 と、街頭の弁論師よりも勇ましく躍起になるが、そのたびに東雲は戦地に赴くか、あるいは所属艦隊勤務地での長期滞在がつづいて、とても嫁取りをしている暇がなかった。


「ばーちゃんは会えば、嫁、嫁、としか叫ばないし……」


 正直、これさえなければ、東雲は何を押してでも妹の祝言に参列するのだと必死になっただろう。

 だが、どんな宴席も最後はこれがオチになるので、東雲はどこか意識的に家族親戚一同が会する場に顔を出すことが億劫になっていたのかもしれない。

 いまも心中では兄らしく妹に詫びているが、この祝言の参列も「もういいかなぁ」と思い、過ぎていく時間にどこか安堵している節がある。

 だが……。

 今回はちがう。

 今回だけは、どうしても顔を出したいと思っている。


 ――大掛かりな出撃命令が現実味となっている、現在……。


 ときは大日本帝国の国策要綱で、帝国海軍も米国との開戦がいよいよ避けられない状況にまで陥っている。

 しかも、その初手を優位に導きたくて、帝国海軍聯合艦隊司令部が、国策の予定がないところに米国海軍大太洋艦隊の基地があるハワイ諸島のオアフ島――黒真珠湾(くろしんじゅわん)に奇襲を仕掛けて、開戦の火ぶたはこちらが切ると勝手に腹を括り、とんでもない計画書を持ち出して、いまも上層部にあたる帝国海軍軍令部と意見衝突している。

 傍から見れば、勝手にやっていろ、と言いたいところだが……。

 東雲も、その身はすでに帝国海軍中将。

 お上の命令にただ従う、そんな立場ではいられない。

 何せ、


 ――航空母艦……空母六隻を中心に編成した機動部隊、第一航空艦隊でこの奇襲攻撃作戦を行い、成功させてみます!


 と、自分が直截行うわけでもないのに、すでに「鬼才」と謳われている聯合艦隊司令部の先任参謀である前島(まえじま)と、その長である聯合艦隊司令長官の本山(もとやま)が鼻息を荒くしているのだ。


 ――この俺を、その機動部隊の長に据えて!


 東雲は不運にも、その奇襲作戦を承諾しない軍令部と、是が非でも国策要綱にこれを捻じ込もうとする聯合艦隊司令部の、ちょうど板挟み状態にあるのだ。

 それだけでも充分に胃痛を覚える立場だというのに、


「この俺に、大規模航空戦が処女ぞろいの第一航空艦隊を指揮しろなんて……」


 ――聯合艦隊司令長官のやつ、俺に帝国を沈めろとでも言うのかッ!


 できることなら、いますぐ「辞任願」を出したい!

 自分に、第一航空艦隊の司令長官が務まるはずもない!

 本来であれば東雲は、帝国海軍において魚雷攻撃を中心とする駆逐艦、巡洋艦で構成される水雷戦隊が専門で、知識と実力、指揮がすでに神がかった域だと帝国海軍内では高く評価され、名高かった。

 それなのに……。

 栄えある中将に昇格したと思いきや、いきなり専門知識が皆無の航空部隊、聯合艦隊司令部が今後の「花形」として据えようとしている第一航空艦隊の長である司令長官に命じられてからは立場も評価も一変。

 東雲はいま、


 ――素人長官。

 ――お荷物長官。

 ――空母のお飾り。


 などと日々、陰口を堂々叩かれて、毎夜枕を涙で濡らしている。

 だから、現状で言えば、


 ――妹の祝言がどうのこうの、自分の嫁取りがどうのこうの。


 そんなことに気を取られている場合ではなかった。

 だが返せば、その出撃が人生の最期になるかもしれない。

 それを思うと、妹の祝言は集う家族親戚を見納める機会でもあったので、東雲は最後にひと目と覚悟を決めていたのだが――。

 その覚悟も前に進まない車中でため息をつていると、


「東雲中将。つぎの汽車ですが、上野の駅で待つよりも、このまま行先の地域まで車を走らせたほうが幾分かは早いかと……」


 運転手を務める男が声をかけてくるが、東雲はかるく頭を振るだけ。


「いいって。参列は難しいと電報は打ってあるし、俺は顔さえ見られればそれでいいし」

「けれども、帝国海軍中将であり、第一航空艦隊司令長官まで拝命している兄上さまが顔を出すと出さないとでは、ずいぶんと違いましょうに」

「――いいんだ。肩書っていうのは、すくないほうがいい。妹には東雲家から嫁ぐっていう重みだけで充分だ」


 だから、祝言に間に合うように無理に動くのはもう断念しよう。

 東雲は自分でそれを決めて、予定どおりに上野の駅で下ろしてもらった。

 駅前は大通りで、にぎわいもある。

 だが、そこでも弁論師たちが該当で大声を上げて対米戦を望み、


 ――戦争をすれば金になる!


 誰も彼もがそれを本気で思っている盛り上がりに嫌気がさして、その「腰抜け海軍!」と悪口を叩かれている帝国海軍の軍装を着ている東雲は目立たぬよう、足早に駅のホームへと向かった。


 ――この国はいったい……。


 いつから戦争が金を稼ぐと思うようになったのだろう?

 そんな儲け話など、あったとして一過性に過ぎないというのに。

 たったひとつでいい。

 些細なことでいいから。

 世の中、ひとつぐらい円満に収まる事柄はないものだろうか?

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