関東大震災と幻の航空母艦《天城》
――あれは忘れもしない、関東大震災のときだった。
大昭十二年九月一日。
当時、東雲はまだ充分に幼かったが、もしかするとこの島国は壊れてしまうかもしれない、そんな激震を体験したことをいまも容易に思い出すことができる。
――それを経験した日。
東雲は親戚の集まりがあった横浜にいた。
突如として関東を襲った激震の避難の際、不運にも家族とはぐれてしまったが、幸運なことに知らない男に背負われて助けてもらい二日も家族を探しながら瓦礫のなかを男と一緒に歩いたことを――横浜を歩くたびに思い出してならない。
その当時。
大日本帝国海軍が保有していた軍艦《赤城》は、巡洋艦から航空母艦へと艦種変更が決まっており、大改装のため呉にある海軍工廠に移っていたため難を逃れたが、姉妹艦となるはずだった《天城》が横須賀にある海軍工廠でまさかの被災。
激震に耐えきれず、船台の上で大破してしまい、処分を余儀なくされてしまった。
――その幻の航空母艦《天城》を、東雲は震災前日。
帝国海軍将校だった親戚の叔父に見せてもらうため、横須賀を訪ねている。
それから十数年。
――正和十六年、夏。
「何の因果だろうなぁ……」
その《天城》の姉妹艦であり、あれほど忌み嫌っていた航空戦略の主体、これからの時代の戦争の象徴になるだろうと言われている航空母艦《赤城》に、東雲は座乗することが決まった。
しかも――。
大日本帝国海軍中将として。
航空母艦――空母《赤城》を旗艦とする新設・第一航空艦隊の司令長官を拝命して。
まだ二十代後半の東雲は、心底うんざりとしながら、
「――まさか、この俺が空母を旗艦とする航空艦隊の長官になるとは」
世も末。
大いに、世も末だ。
横須賀にある海軍工廠で、東雲はそこに錨を下ろしている空母《赤城》を見上げながら、深い、深いため息をつく。
「何で魚雷の専門家が、役に立つかどうかもわからない戦闘機の発着艦に乗らなくちゃならないんだよ? ――新手のイジメか?」
――航空母艦こと、空母《赤城》
――全長約二六〇メートル。
――全幅約三一メートル。
――戦闘用艦載機六十六機。
おまけに。
《天城》が処分されることによって、本来であれば国際軍縮会議の決定で廃棄されることが決まっていた戦艦《加賀》が航空母艦へと艦種改装が決まり、《赤城》の相棒となって、第一航空艦隊所属・第一航空戦隊に編入されるとは。
縁起がいいのか、悪いのか。
何とも奇縁すぎてならなかった。
「ワシントン軍縮会議と大震災に翻弄された空母が、俺の旗艦で座乗艦――か」
――ほんとうに帝国海軍聯合艦隊は、この俺をどうしたいんだ?
かつては見栄えもよく、活気に溢れていた東雲もすっかり苦労人のように変貌し、海軍軍装を着ていなければ「冴えない兄ちゃん」という印象が似合うだろうと様変わりをしていた。




