王様②
執務室に戻ったエドワード王は、扉が閉まった瞬間に、先ほどまで頬を濡らしていた涙を、事務用の無機質な手拭いで無造作に拭った。
彼は大きな椅子に深く沈み込み、テーブルに置かれた「予算執行計画書」の束を、指先で退屈そうに弾いた。
「……さて。これでようやく、不確定要素が片付いた」
王の瞳には、先ほどの慈悲のかけらもない。あるのは、厄介な帳簿のミスを修正した後のような、冷淡な安堵だけだ。
彼が勇者たちにかけた「生きて戻れ」という言葉。あれは祈りではなく、「責任の所在を不明確にするための保険」に過ぎない。
「陛下。……もし彼らが、魔王に敗れたら?」
影に控える老魔導師の問いに、王は薄く笑った。
「敗れれば、『神託に選ばれし者ですら敵わぬ強大な災厄』という大義名分が手に入る。増税の理由には事欠かぬし、民の怒りは魔王へと向かう。私は、彼らを悼む『悲劇の王』として、さらに求心力を高めるだろう」
「では、もし彼らが魔王を討ち果たし、生還したならば?」
「それも悪くない。魔王というコストを削減できたのだ。彼らには適当な領地と爵位を与え、田舎で静かに朽ちていってもらおう。……もっとも、あんな熱病にかかったような『正義漢』たちが、平和な世に適応できるとは思えんがな。いずれ何かしらの不祥事を起こす。その時に、民の手で処刑させればいい」
王にとって、勇者が勝とうが負けようが、実はどちらでも良かった。
重要なのは、「王が若者のために涙を流した」という記憶を国民に植え付け、責任を「神託」という名の運命に放り投げたこと、その一点に尽きる。
王は、勇者と握手した際に付着した、かすかな「馬の匂い」が鼻につく。
彼はベルを鳴らし、侍従に冷たく命じた。
「この部屋を消毒しろ。それと、今夜の晩餐は香りの強いものを。……あの中途半端な若者たちの、青臭い情熱の匂いを消したいのだ」
王は、勇者たちが今どこを歩いているかなど、一秒たりとも考えない。
彼にとっては、もう終わった仕事の、シュレッダーにかけた紙屑と同じなのだから。




