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召使い

私は、陛下の執務室の重い扉の陰で、じっと気配を殺していた。

 勇者様たちがお発ちになった直後。バルコニーで民衆と共に涙を流し、彼らの背中が見えなくなるまで手を振り続けていた陛下が、部屋に戻られるのを待っていたのだ。


 バタン、と扉が閉まる。

 その瞬間、陛下の背中から「慈父」のオーラが、まるで古びた上着を脱ぎ捨てるように滑り落ちた。


「お召し替えを、陛下」

 私が一歩前へ出ると、陛下は私の顔すら見ず、ただ忌々しげに右手を差し出した。


「洗え。あの小僧たちの、脂ぎった若さの感触が、いつまでも肌にこびりついて離れん」


 私は銀の盆に載せた温水と、特別に調合した強い香りの石鹸を差し出す。陛下は、さっきまで若者たちの肩を抱き、熱い涙を零していたその指先を、まるで汚物でも触ったかのように執拗にこすり合わせた。


 私が差し出した手拭いで指を拭きながら、陛下は卓上の「戦後処理案」に目を落とす。そこには、勇者様たちが勝った場合の『叙勲予算』と、負けた場合の『戦没者追悼式典費』が、全く同じ重要度で並記されていた。


「陛下。勇者様方は、あんなにも感激しておいででした。命を賭して戦うと……」


 私がわざとらしくそう呟くと、陛下は鼻で笑った。その笑いは、冷えたスープのように無機質で、救いようがない。


「いいかね、お前。若者というのは、安上がりな『感動』という餌を与えておけば、勝手に死地へ向かってくれる便利な生き物なのだよ。私が一滴の涙を流せば、彼らは十倍の血を流して報いようとする。……これほど効率の良い投資が、他にあるかね?」


 陛下の瞳には、勇者様たちの将来を案じる影など微塵もなかった。


 勝って戻れば、それは王の「人徳」の証明。

 負けて死ねば、それは王の「悲劇」の演出。


 どちらに転んでも、陛下の椅子は一ミリも揺るがない。むしろ、どちらの結果になっても、その物語をどう国民に『売る』か、その計算だけで頭がいっぱいなのだ。


「お前も、あの涙に騙された口か? ならばお前も、あの若者たちと同じく、使い勝手の良い『純真な駒』だということだ」


 陛下は冷たくそう言い放つと、香水の強く効いた外套を羽織り、鏡の前で再び「慈悲深い王」の顔を整え始めた。


口角の角度、眉の寄せ方。それは私が見てきたどんな演劇役者よりも正確で、血の通わない精密機械のようだった。


 私は、陛下が脱ぎ捨てた、あの「涙を拭いたハンカチ」を拾い上げる。


 そこには何の汚れもついていない。ただ、虚無という名の、決して落ちることのない「心の染み」だけが、私の手の中に残った。

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