第8話 当日・前編──結婚記念日の朝
結婚20年目の朝。
そして、離婚式当日の朝。
カーテンの隙間から差し込む光は、
20年前と驚くほどよく似ていた。
美沙は目を覚まし、しばらく天井を見つめていた。
胸が高鳴るわけでも、涙が出るわけでもない。
ただ、静かだった。
隣の布団は、もう温もりを失っている。
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キッチンでは、亮介が朝食の準備をしていた。
トーストと、簡単なサラダと、コーヒー。
「……おはよう」
「おはよう」
20年前と同じ言葉。
でも意味は、まるで違った。
「今日さ」
美沙が言う。
「雨、降らなくてよかったね」
「ああ。結婚式の日も晴れてた」
亮介のその言葉に、美沙は少し驚いた。
「覚えてたんだ」
「……忘れないだろ」
二人は、少しだけ笑った。
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式場は、市役所近くの小さなホールだった。
派手さはなく、静かで、どこか温かい場所。
受付には、
《離婚式/相沢亮介・美沙》
そう書かれた紙が置かれていた。
「……本当に式なんだね」
美沙が呟く。
「結婚式より、緊張するな」
亮介が苦笑する。
係の女性が、穏やかな声で説明を始めた。
「本日は、お二人の20年間を振り返り、
感謝と区切りを大切にする式となります。
無理に何かを話す必要はありません」
その言葉に、美沙は少し肩の力を抜いた。
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控室には、大きな時計が掛かっていた。
秒針が、はっきりと音を立てて進んでいる。
「……あの時計、家のと似てるね」
「15年目に俺が送ったやつと、同じメーカーだ」
二人はしばらく、その時計を眺めていた。
「不思議だね」
美沙が言う。
「結婚記念日に、こんな場所にいるなんて」
「でも……選んだのは、俺たちだ」
「うん。後悔はしてない」
その言葉に、迷いはなかった。
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式が始まるまで、あと十分。
係の人が言った。
「もしよろしければ、
最後に“結婚生活で一番覚えている日”を
それぞれ心の中で思い浮かべてください」
亮介の脳裏に浮かんだのは、
病院の待合室で一人座っていた美沙の背中。
美沙の胸に浮かんだのは、
新婚旅行の夜、テーブルの下で触れた手の温度。
同じ7300日を過ごしても、
心に残る場面は、少しずつ違っていた。
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「……呼ばれるね」
「行こうか」
二人は並んで立ち上がった。
歩幅は、自然と揃っている。
扉の前で、一瞬だけ足を止める。
亮介が言った。
「……20年間、ありがとう」
美沙は、微笑んだ。
「こちらこそ。
一緒にここまで来てくれて、ありがとう」
ドアが、静かに開く。
結婚記念日。
そして、離婚式。
二人の7300日は、
ここから、最後の時間を迎える。




