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二人の7300日  作者:


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7/9

第7話 前夜──最後の夜

離婚式まで、あと一日。

 結婚記念日まで、あと一日。


 夜のキッチンに、湯を沸かす音だけが響いていた。

 美沙はマグカップを二つ並べ、いつものようにコーヒーを淹れる。


「……砂糖、いる?」

「いや、大丈夫」


 こんな何気ないやりとりが、

 もう“最後”なのだと意識すると、不思議と胸がざわついた。


 二人は向かい合わず、横並びに座った。

 テレビもつけず、ただ夜の音を聞いていた。




「ねえ、亮介」

「ん?」

「明日さ……結婚記念日だね」


「……ああ」


 声は落ち着いていたが、

 その一言に、20年分の時間が詰まっていた。


「10周年のとき、何してたか覚えてる?」

「……喧嘩してた」

「そうそう。15周年は?」

「俺、出張中だったな」

「18年目は……」


 美沙は言葉を切った。


「……いいや、やめとく」


 亮介は、それ以上追わなかった。

 聞かない優しさも、今の二人には必要だった。




 寝室のクローゼットの前で、美沙は指輪を手に取った。

 結婚指輪。

 20年間、外すことのなかった指輪。


「……明日、これ外すんだよね」


 亮介は黙って頷いた。


「不思議だね。

 外すって思うと、急に重く感じる」


 美沙はそっと指にはめ、しばらく眺めた。


「でもさ」

 少し笑って言う。

「この指輪、私の人生そのものだったと思う」


 亮介は、初めて目を逸らさずに言った。


「……俺もだ」




 布団に入ってからも、二人は眠れなかった。

 同じ部屋、同じ距離。

 なのに、心の距離だけがはっきりしている。


「ねえ、亮介」

「どうした?」

「もしさ……明日、何かが変わったらどうする?」


 亮介は少し考えてから答えた。


「変わらないと思う。

 でも……後悔はしないようにしたい」


「うん。それでいい」


 その言葉に、嘘はなかった。




 深夜。

 亮介はそっと起き上がり、ベランダに出た。

 冷たい空気が肺に入る。


 20年前の同じ夜、

 彼は結婚式を前にして、緊張で眠れず、

 “一生この人を守る”と本気で思っていた。


(……守り方、間違えたな)


 そう思っても、

 過去は書き換えられない。


 ベランダの向こう、

 街は何事もなかったように眠っている。




 亮介が部屋に戻ると、美沙は起きていた。


「眠れない?」

「うん。あなたも?」

「ああ」


 二人は、何も言わずに並んで横になった。


 手を伸ばせば触れられる距離。

 だが、触れなかった。


 それが、今の二人にとって

 いちばん自然な“優しさ”だった。


 時計の秒針が、静かに進む。


 あと数時間で、

 結婚20年目の記念日が始まる。


 そして、

 二人の7300日が、終わる。

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