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二人の7300日  作者:


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6/9

第6話 18年目──届かなかった声

離婚式まで、あと二日。

 結婚記念日まで、あと二日。


 夜更け、リビングのソファに座ったまま、美沙はスマートフォンを見つめていた。

 画面には、三年前の日付。


「……18年目、だったね」


 誰に向けるでもなく呟くと、キッチンから亮介が顔を出した。


「何か見てたのか?」

「昔のメッセージ。ほとんど残ってないけど……これは消せなかった」


 亮介はそれ以上聞かなかった。

 聞く勇気がなかった。




 結婚18年目の春。

 美沙は体調を崩していた。


 大した病気ではなかった。

 ただ、原因不明の不調が続き、夜も眠れず、仕事にも集中できなかった。


「病院、行ったほうがいいんじゃない?」

亮介はそう言った。

言葉だけ見れば、優しさだった。


「……一緒に行ってくれない?」

美沙の声は、ほんの少し震えていた。


「え? ああ……悪い。今週はどうしても外せない会議があって」


 その瞬間、美沙は分かった。


(ああ、もう頼れないんだ)


 責める気持ちは、不思議と湧かなかった。

 代わりに胸に広がったのは、静かな諦めだった。




 病院の待合室。

 白い壁と、番号を呼ぶ機械音。


 一人で座る美沙は、ふと周囲を見回した。

 隣には、夫に肩を支えられた女性。

 その向こうには、手を握られている人。


 自分だけが、一人だった。


 診察結果は、軽い自律神経の乱れ。

 医師は笑顔で言った。


「少し、休みましょう」


 美沙は頷いた。

 でも本当は、“休みたい”のではなかった。


 「そばにいてほしかった」

 それだけだった。




 その夜、亮介は遅く帰宅した。


「どうだった?」

「……大丈夫だった」

「そうか。よかった」


 それで、会話は終わった。


 亮介は疲れて眠り、

 美沙は眠れないまま天井を見つめていた。


 その天井を見つめる時間の中で、

 美沙は一つの決意をした。


 “もう、この人に期待しない”


 期待しなければ、傷つかない。

 それは、自分を守るための選択だった。




 その年の冬。

 二人は何事もなかったように年を越した。


 笑顔で年賀状を書き、

 揃って親戚に顔を出し、

 “問題のない夫婦”を演じ続けた。


 だが、心の奥で何かが確実に終わっていた。


 壊れた音はしなかった。

 ただ、聞こえなくなっただけだった。



◆現在──深夜のリビング


「……あの時さ」

亮介が初めて口を開いた。


「一緒に病院、行けなくて……悪かった」


 18年越しの謝罪だった。


 美沙は、しばらく黙ってから言った。


「ううん。謝らなくていい。

 あれで、私、覚悟が決まったから」


「覚悟……?」

「一人でも立てるって覚悟。

 そして、あなたに“何かを求めない”覚悟」


 亮介は唇を噛んだ。

 その言葉の重さが、今になって胸に落ちてきた。


「……遅すぎたな」

「うん。でも、気づけただけでも、いいよ」


 二人の間に、責める空気はなかった。

 あるのは、受け入れる静けさだけ。


 離婚式まで、あと二日。

 結婚記念日まで、あと二日。


 7300日の中で、

 一番小さくて、一番決定的な出来事は、

 声が届かなかった、あの一日だった。

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