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二人の7300日  作者:


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第5話 15年目──離れられなかった理由

離婚式まで、あと三日。

 結婚記念日まで、あと三日。


 洗濯物を畳みながら、美沙はふとカレンダーを見つめた。

 赤く丸がつけられたその日付は、20年前と同じ曜日だった。


「……偶然って、残酷ね」


 小さくつぶやくと、背後で亮介が「何が?」と聞いた。


「結婚記念日がさ、今年も同じ曜日なんだって思って」


 亮介は少し黙ってから、ゆっくり言った。


「……15年目も、そうだったな」


 美沙は手を止めた。

 忘れるはずのない年だ。




 結婚15年目。

 ふたりの生活は“安定”という言葉で包まれていた。


 大きな喧嘩は減り、会話も最低限。

 それは平穏に見えたが、内側は静かに乾いていた。


 その年の春、亮介に転勤の話が持ち上がった。

 地方都市への単身赴任。期間は未定。


「……行くの?」

美沙がそう聞いた夜、亮介は即答できなかった。


「会社的には……行く方向だと思う」

「そう」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 本当は聞きたかった。

 “私についてどう思ってるの?”

 本当は言いたかった。

 “一緒に来てほしいって言って”


 でも、二人とも言わなかった。




 単身赴任が始まって、家は驚くほど静かになった。

 洗濯物は減り、冷蔵庫はいつも半分空いていた。


 夜、テレビをつけたまま、美沙は一人で食事をした。

 亮介からの電話は、週に一度。


「元気?」

「うん。そっちは?」

「まあまあ」


 それだけで、通話は終わった。


 ある夜、美沙は勇気を出して言った。


「ねえ……このまま、ずっと別々?」


 電話の向こうで、亮介が息を吸う音がした。


「……わからない。でも、今は仕事が——」

「うん、わかってる」


 “わかってる”という言葉は、

 理解ではなく、諦めに近かった。


 電話を切ったあと、美沙は泣かなかった。

 泣くほどの期待を、もうしていなかったからだ。




 その年の結婚記念日。

 亮介は帰ってこなかった。


 代わりに届いたのは、宅配便だった。

 中には、シンプルな腕時計。


 メッセージカードには、短い文字。


 「いつもありがとう」


 それだけ。


 美沙は時計を手に取り、しばらく動かなかった。


「……ありがとう、ね」


 嫌いになったわけじゃない。

 憎んでもいない。


 でも、一緒にいる意味が、わからなくなった。


 それでも、その日、美沙は離婚を考えなかった。


 なぜなら——

 “ここまで来た時間”を、壊す勇気がなかったから。



◆現在──夜のリビング


「15年目、離婚しなかったの……怖かっただけだと思ってた」

美沙が言う。


「俺は……楽だったんだと思う。

 離れる決断をしなくて済む場所が、そこにあったから」


 亮介の言葉は、言い訳でも弁解でもなかった。


「でもさ」

美沙が続ける。

「それでも一緒にいたのは……無意味じゃなかったよね」


 亮介は静かに頷いた。


「ああ。無意味じゃなかった。

 だから、ちゃんと終わらせたい」


 時計の秒針が、静かに進む。

 15年目に贈られた腕時計は、今も時を刻んでいた。


 その時計を外す日が、もうすぐ来る。


 離婚式まで、あと三日。

 結婚20年目の記念日まで、あと三日。


 二人は、過去を抱いたまま、

 “終わりの日”へと静かに歩いていく。

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