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二人の7300日  作者:


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3/6

第3話 5年目──すれ違いのはじまり

離婚式まで、あと五日。


 夕食の食器を片づけながら、美沙はふと手を止めた。

 今日は久しぶりに亮介が早く帰ってきて、二人で同じ時間に夕食を囲んだ。

 だが、会話らしい会話はほとんどなかった。


 静かな食卓。その沈黙は、ある“時期”を思い出させた。


「……ねえ」

「ん?」

「5年目ってさ。今思うと、あそこで狂い始めてたよね、私たち」


 亮介はしばらく考えて、静かに頷いた。


「たしかに。あの頃から、俺は家より仕事の方ばっかり向いてたな」


 ふたりは、ゆっくりと20年前の“5年目”へ心を戻した。




 社会人として脂の乗った30代に差し掛かった亮介は、営業部の中心選手になっていた。

 深夜帰りが増え、休日も資料を抱えていた。

 家にいても、いつも“何かを考えている顔”をしていた。


「おかえり」

「ただいま……悪い、また遅くなった」

「ううん。お疲れさま。お風呂まだ沸いてるよ」


 美沙はいつも通り迎えた。

 だが、待つ時間は長くなる一方だった。


 食卓の上の料理は、気づけばすっかり冷めている。

 亮介は申し訳なさそうに食べるが、疲れで会話は少ない。


「最近、帰り遅いね」

「悪い……大きい案件抱えてて」

「そうなんだ」


 それ以上は、聞けなかった。

 聞けば聞くほど“自分が負担になるんじゃないか”と感じてしまったからだ。


 その一方で、亮介も思っていた。


(……もっと頼ってくれていいのにな)


 心ではそう願っていたのに、口から出る言葉はいつも簡単な説明だけで、疲れた顔を隠すことで精一杯だった。


 ふたりの沈黙は、互いを思っての沈黙だった。

 なのに、その沈黙が距離を作っていった。




 ある夜、美沙が静かに言った。


「ねえ、亮介。たまには一緒に出かけない?」

「出かける?」

「うん。どこでもいいんだけど……最近、話してないなって思って」


 その時、亮介は疲れで尖った声を出してしまった。


「悪いけど……今そんな余裕ないんだよ」


 美沙の表情が、一瞬でしぼんだ。

 亮介もすぐに後悔したが、謝れなかった。


 その夜、二人の寝室には重たい沈黙だけが流れた。


(話したかっただけなのに……)

(誘ってくれたのに……なんで断ったんだ俺は)


 気持ちは互いに向いているのに、方向だけがずれていた。


 その小さな“ずれ”は、やがて何年も続く大きな“距離”となる。


◆現在──二人のリビング


「5年目って、悪気があったわけじゃなかったよね」

美沙がぽつりと言う。


「ああ……俺、仕事の方しか見えてなかった」

「私も……何でも一人でやらないとって思ってた。

 あなたに頼るのが悪いことみたいに感じてた」


 亮介は箸を置き、少しだけ美沙の方を向いた。


「頼って……ほしかったよ。本当は」

「……ごめん」


 謝罪の言葉が、ようやく20年越しに届いた気がした。


 だがそれは、修復ではなく“整理”のための言葉でもあった。


「ねえ、亮介」

「ん?」

「離婚式で話すこと、少しずつ決まってきた気がする」

「……そうだな」


 5年目の夜のように、もう互いを誤解することはない。

 けれど、距離はあの頃よりも静かに、深く、広がっていた。


 離婚式まで、あと五日。

 二人は今日も、7300日を一つずつ解きほどいていく。

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