第八話 積み重なるもの。
「あー……なるほど、パックさん。少しずつですがわかってきたような気がしなくもないような、そんな雰囲気を感じています」
街の路地の袋小路。焚火の傍で大声を張り上げる老人を前に、俺は形式的な相槌と、機械的な反復を繰り返しつつ、合いの手を入れていた。一緒に来た少女は、立っているのに疲れた様子で、少し離れたところにある木箱に座っている。それもそのはずだ。今目の前で行われているのは、会話ではなくて、一方的な妄言をただただ片方が聞いているだけの状況だからだ。
しかし、俺はそれでも話を聞いていた。そうしながら、後で一応ルーシーに確認しておくことを纏めていた。
「……であるから、我々は運命の支配者ウルタース・ン・ケーの壮大な眼から……」
パックというこの老人が時折口にする、このウルタース・ン・ケーなる強力らしい何者かの存在。これが他の人物も認識しているのかどうかだ。まあ十中八九眉唾ものだろうが。ただ、パックの態度は、この存在と、その力を信仰する集団への恐れが起源になっている。その事実に一人で耐えることができず、こうして誰かに向けて話をせざるを得ない状況になっているのだろう。同じ話を何度目かさせて、俺は次第に相手の精神状態にあたりをつけていった。
焚火の炎が、中で重ねてあった薪を焼き崩す。上に重なっていたそれがごとり、と中央に落ちて、炎が勢いを殺さないために新たなそれに纏わりつく。その時わずかに舞い上がった灰が、パックの方に向かっていき、吸い込んだ彼はゴホゴホとむせた。
「もう少し離れておきましょう」
俺は反射的に動いていた。パックの肘あたりをつかんで、ジェリとは反対方向に連れていく。もう二歩ほど焚火から離れたときに、俺は口を開いていた。
「ところでパックさん。貴方のお話を聞いていると、僕も少し街の外に興味が湧いてきました」
老人は顔をきっ、と上げるとだめだ、いくな、と呟いた。
この時、初めて老人は俺を見たような気がした。自身の不安の発露を遠巻きに見る観客ではなく、俺自身への警告を発したように見えた。俺は質問するなら、今しかない、と思った。
「あなたは昔から、街の外は怖いのですか? 子供の頃から?」
老人は首を振った。
これこそが、俺の聞きたかったことだった。すかさず、質問を重ねる。
「他の街に行ったことはありますか? 子供の時でもいいですが」
老人は頷いた。そして、小声で、幼いころに、と呟いた。
俺は静かに立ち尽くしていた。もう、それ以降の老人の言葉は耳に入っていなかった。
「お話、ありがとうございます。ジェリ、行こうか」
俺は木箱に座る少女に声をかけた。ジェリは突然声をかけられたことに少し驚いたようだったが、ぴょん、と飛び降りるとこちらに近づいてくる。
その時、パックが俺の手をつかんでいた。といってもその力は弱弱しい。手元から目線を上げて、表情を見ると、そこにはこちらを窺うような表情があった。
「興味深いお話でした。外から帰ってきたら、パックさんにも外の様子をお伝えすることにしますね」
できるだけ好印象で別れたかった。彼の言う、謎の存在を信仰する集団の一員などに認定されてしまえば、厄介極まりない。俺は優しく手を握り返すと、軽くぶんぶん、と上下に振った。そうすると、握られていた弱弱しい手はするり、と離れていった。
「次はどこにいくの」
俺の手が新たに握られる。ジェリが下から見上げながら、俺の手を自身の小さな手で握りしめていた。
「そうだな、歩きながら考えようか」
そんなことを聞きながら、俺は老人に会釈をして、立ち去る意を示した。彼は、もう何も口にしていなかった。ただ、自身の手を静かに撫でていた。
焚火の薪がはぜる。そこから離れれば、少しだけ温度が下がる。ここでやることは終わった。ここはパックの場所だった。用が無くなれば、いることはできない。
もうすぐ夕暮れだった。俺は今夜の寝床を探した方が良いかもしれない、と思った。
「絶対、夜中に行っちゃわないでね!」
とある小さな一軒家の前で、ジェリはもう三十回以上も同じ言葉を投げつけてきていた。
「わかったわかった。俺もまだ確認したいことがあるから、出発はしないよ。だから早く家に帰りな」
パックと別れて、広場に戻ってきた時に、俺がとりあえず暗くなってきたから、ジェリを一旦家に帰そうと提案すると、彼女の態度が一変した。帰りたくない、一緒にいてほしい、と言い出したのだ。本当は広場で別れようと思っていたのだが、彼女があまりにも大声を出すので、悪目立ちしてしまうことにビビった俺は、家の前まで送るから、となだめながらここまで来ることになった。
ジェリはぎゅっと口をへの字に曲げて俺を見上げた。それを見ながら、彼女の父親が、ジェリが見ていないときにいなくなった、ということを思い出した。おそらく、ジェリの就寝中に仕事で出かけて、そのまま帰ってこなくなったのだろう。
「大丈夫だよ。今晩は、ルーシーを頼るつもりだし、明日また会おうじゃないか。だから早く家に戻って、お母さんを安心させてあげて」
その言葉を聞いてやっとジェリは俺の手を放すと、じゃあまた明日、と呟いた。そうして、玄関の扉をあけるとくるりとこちらを向いて、背中から家の中に入っていった。最後まで俺の方をみようとしているようだ。その様子に思わず笑ってしまいながら、扉の閉まる音を聞いて、ようやく俺は一人になった。
胸いっぱいに空気を吸い込む。寒すぎることは無いが、ひんやりとした空気が肺の中に流れこんでくる。女神エステルから、この地に送りこまれて、ただただ目の前の状況に対応するだけの一日が、ようやく終わろうとしていた。自分が、一度死んだ身で、ただの高校生だったことが、遠い昔のことのように思える。そこまで考えたとき、空腹を感じた。この街で今のところ俺を助けてくれそうな人のところへ向かうしかない。俺がそう考えた時、今閉じたばかりの扉が開いて、中からルーシーが現れた。
「あら、奇遇ね、ハァト」
「……!」
俺は一瞬反応できなかった。呼びかけられたのは、名前だ。俺がこの世界で生きていくために決めた名前。……そう決めたのなら、もっと自分のものとして使いこなさなければ。
ルーシーは扉を閉めると、俺の横に並び立った。
「ああ、ルーシー、何していたんだ」
俺はハァトだ。今日パックと話しをしたのも、ジェリを引き連れてうろついたのも、ハァトだ。そう思いながら、俺は口を開いた。
「あんたたちが出て行ってから、カーツヤ……ジェリの母親がギルドにやってきたのよ。娘の姿が見えなくて、どこかで見ていないかって心配しながらね」
「ああ……なるほど。それで、俺のことは話したのか」
「ええ。カーツヤはジェリが街の外に出たんじゃないかって心配していたから、私はそれはないと思う、と言ったの」
「おいおい、まさかジェリが依頼を出したことは……」
「……言わなかったわ。そもそもギルドとしては断った依頼だもの。あんたが、勝手にやっているだけってことですものね」
「……じゃあ、俺のことを説明したっていうのは?」
「街を観光したいって奴がいたから、ジェリはそいつの案内を買っていた、って説明したわ」
俺はそれを聞いて、少し疑問を抱いた。
「街を観光したい奴……ってことは、俺が外から来た人物だってことは説明したのか? じゃないと、元からの住民が観光なんて望むわけないだろ」
「ええ、言ったわ。女神エステルから送り込まれただのなんだの言う奴で、ギルド脇の藁の山から見つかった奴ってとこまでね」
「……それ、大丈夫なのかよ。我ながら、カーツヤさんの不安が煽られるんじゃ」
「だから、さっきまでじっくりお話していたってわけ。とりあえず、あんたのことは怖がらなくてもいいということを伝えておいたから」
「……ありがとう、ルーシー」
素直に俺は頭を下げた。この子には助けられっぱなしだ。
「ま、私も夕方になるまでの午後の時間は暇だったからね。でも今からは晩御飯食べにくる人がいるから、早く戻らないと」
「あー……ルーシー……その、晩御飯なんだけどさ。仕事、手伝うから、まかないとか、もらえませんか? 少しでもいいので」
ルーシーは肩をすくめながら笑うと、「しょうがないわねぇ」と言いながら頷いた。
次回も月曜更新!




