第8話 澄んだ湖
今日は稼働し始めた用水路のチェックに来ていた。
沢山の枝を湖の取水口に置き、簡易のフィルターにした。大嵐などでゴミが詰まるのは宿命 として、村の男性陣でローテーションを組み、ゴミ掃除をする手はずも整えた。
用水路は村に点在する畑に直結するよう枝分かれをさせて分散しており、その中に魚の養殖場を設けた。魚の種類によっては縄張り争いする種類がいる。海の魚では殆どの肉食魚がそうだが、淡水魚では温厚な雑食性が多いので養殖しやすい。
淡水魚でも肉食の陸封型であるサケ科は味が美味しいのに仲間同士で喧嘩が多いので、最初は一匹が占有する空間を大きく採ったり、喧嘩が発生しない、縄張り争いが不要な程たくさん入れたりして工夫を繰り返した。
用水路を中心とした計画は順調に進んでおり、村の発展にも寄与した。今までは川に水を汲みに歩いて行き、重いバケツで帰ってくると云う作業が必要だったが、用水路で出来た労力の余暇の分は刺繍や着物などの文化的発展に使われた。
またキャベツタイプの野菜は効率がとても良くなり、村への定住まで推し進めた。それまでは野菜は僅かしか採れないため他の町まで行かないと野菜不足で脚気や壊血病などの病気に繋がっていったから、安定した生活というのは本当に文化の発展に寄与するものだなぁと実感できた次第であった。
水の安定供給のためには河川に作った小規模なダム、いわゆる砂防ダムで賄うことにした。都会と違って土や泥が溜まる池や湖と違い、自然の中の湖や流入河川では浚渫という工事は基本的に必要がない。多大な資金を投入して毎年浚渫し、現状維持を四苦八苦している都会のダム周辺と違って気楽なものである。
水関係がクリアーされると、次は取水口などにたまった泥や土を固めてレンガ状にして家づくりに役立てた。基本的に木造建築だった村の中では、たちまちレンガ式の家が好まれるようになった。
大嵐の際に雨漏りはしないし、木材が倒れることもない、更にはもし村に侵入してきた魔物も手が出せないだろうという事で、辺境の田舎なのに立派な街らしき雰囲気になりつつあった。
街の雰囲気みたいになってくると、ふと寄った冒険者や旅人、吟遊詩人、旅の劇団などが口々にいい評判を各地に広めてくれ、一度住んでみたいという人を集め始めた。特に若い女性が集まると、嫁を目当てに男性が集ってきて、子供を作り、自然と村の人口が増えてきた。
村長へは公的な工事をするための費用に税金を宛がうため明朗会計を進言し、税を聴取する人口を把握するために戸籍をしっかりと管理できるように、管理スタッフの人材を養成し、役所という名の施設へ宛がった。ただ、お金が集まるため横取りの様な輩が出た場合は、きっちりと厳罰にするようにと彼は注意深く提言した。
まぁ、後は誰かの家が燃えたら村民で補填し合ってお金を出すという、保険みたいな制度を作ってもらって、いい感じの町が出来上がりつつあった。
・・・・・・・・・・
「先生、働きすぎです! まるで町長じゃないですか!!」
プンスカしているミユと彼は隣同士で岩に座り、湖の畔で寛いでいた。
今は夕マズメ時。紅く染まる夕陽が心地よい夕方である。これから夜の帳が徐々におろされる。空気も心もち涼しげに感じられた。
「そうかな、自分の知識が役立ってくれるならと嬉しくて、でも一生懸命に仕事をし過ぎたかもしれないね。前世では物事を教えるのに喜びを感じていたし、治療も研究も……。あ、研究だけは最後の最後で失敗してしまったけどね」
「体を壊しちゃったら悲しむ人が一杯いると思うの。一番悲しむのは私だよ」
「そうだな……」
「もう、恋人の私が心配になるじゃないですか」
「恋人ではなくて娘だけどね」
「ムッ……」
「あ、ホタル? うん、違うな、何だろう? 卓球の玉みたいに火の小さな玉がフワフワしている……虫の発光とは違うようだが……」
「卓球の玉って何なのでしょうか?」
「ああ、小さなこれぐらいの玉のことを言うんだ。またはゴルフボールの玉だね。ウミガメの卵もピンポン玉みたいだよ」
「先生、例えが分かりにくいです。ゴルフボールの玉って何ですか。普通ならニワトリの卵とか、ワニの卵とかの方が適切だと思います!」
「ごめん、ごめん。ワニの卵ってよく分かるねと寧ろそっちに驚くよ」
「あ、お玉の光が増えてきましたよー」
「む、うむ……、何だろうね」
「未確認飛行物体」
「よく覚えてるね、オヤジギャグで使ったネタとか全部覚えてるんじゃないか?」
「私、先生のお話は全て覚えてるよ。好きな人の事は一番詳しいから。だって奥さんになったら何でも知っていなきゃ失格ですもの」
「おいおい、奥さんって……。まぁキミの夫になる人には相応しい奥さんでいられると好いね」
「またそうやって誤魔化すんだから……」
そんな会話を続けていると、火の玉の数は数百にも及び、湖面を照らしていた。ゆらゆらと舞う小さな玉は、見事に幻想的な世界を作り上げる。
「先生、横にくっついていいですか?」
「どうぞ。大きくなるまでは一杯甘えるといい」
「もう大きくなりました! 私も外見は十五歳に近づいていますよ」
(注:この異世界では十五歳で成人になります)
「僕はアラフォーだよ。年齢に差が有りすぎるよ」
「また知らない単語! アラフォーって何ですか?」
「ごめん、四十歳前後のことを言うんだ。僕の記憶の二つのうち一つには、妻と二人の子がいたと話したよね。当時は、もっと年齢が行っていたかもしれないな。だからミユのことは娘と同じぐらいの感覚なんだよ」
「それだと結婚できないのですか?」
「う、うーむ、出来ないことはなかったな……前世の世界でも二十歳差とか普通にあったし、子供の頃の一歳は大きいけど、大人になってしまうと変わらなくなってしまうよなぁ」
彼は自分で言っていながら悩み始めた。うんうん唸っているのでミユは覚悟した顔でツッコミを入れる。
「じゃぁ、先生。私とも結婚できるじゃないですか?」
「そ、その前に恋人になって経験を積まなければ。どんな人か分からないからね」
「もう先生が村に来てから長いのですけど。お付き合いも充分していますし、一緒のお布団で寝たじゃありませんか」
「いや、あれは娘として一緒に添い寝しただけでだな……寂しいだろうと思ってだな」
「まぁ、未婚の乙女と同衾したのに責任を取らないのですか?」
「同衾って……ミユの知識は変な方向に偏ってないかい? しかも今日はヤケにグイグイ来るね……」
「ウフフ、もう許してあげます」
「(なんだか色気みたいなもんも獲得してるし、ミユの成長率が不思議だ)」
「来年の村のお祭りは一緒に行くんですからね。約束、忘れてないですよね?」
「もちろんだよ。忘れてない」
そしてミユは、以前に教えて貰った照れる時に使う言葉”なり”を付けて発し始める。
「祭りでデートした後は、キスしてくださいナリよ。分かったなり?」
「了解なり」
(ミユのやつ変な覚え方してないか?)
「ほっぺたじゃダメなりよ」
(この方言みたいな訛りみたいなのって、どこかで記憶が……でも思い出せないや)
異性らに対して照れる時に使う表現だという勘違いのまま、ミユは時々使うようになってしまった。そして、このことを指摘してくれる人たちは既にミユを『湖の女神』、『村の守護神』という扱いになっていた為、矯正されることもなく続けていくこととなる。
「……お口にキスは、ミユに恋人が出来たら、その人にしてあげなさいね」
「先生はイケズなり」
まだまだ子供だと思っていたミユが想像以上に大人びた会話が出来るようになり、タジタジになるオヤジこと先生であった。村長、マリーナさん、誰でもいいから助けて欲しいと、初めて他人を頼りたくなった。