第6話 偲ぶ
「先生、ご家族の事を考えていらっしゃるのですか?」
彼が毎日のルーティーンである湖へ行こうとしたら、ギルドのマリーナに声を掛けられた。
「マリーナ……さん、はい、その通りです。顔に出ちゃっていましたか?」
「出ていましたよ。似合わない暗い顔をされてて、心配になってしまいます。慣れましたけど」
「ふふ……、制服姿のマリーナさんは休憩の外出ですか?」
「すぐ戻らないといけないのですけどね。でも先生って外で偶然会うと敬語になっているのですもの、いつも新鮮に感じていますわ」
マリーナは顔を赤らめ下を向きつつ、目は彼の顔をチラチラと見ていた。第三者の男性なら可愛すぎて大変になってしまうほどの美貌だが、彼は普通に対応している。それが小さい頃から男の子にモテていたマリーナに『私に下心がない、対等に扱ってくれる素敵な人』という好印象を与え、心の中で彼に対するあこがれと共に密かな恋心を育てることとなった。
彼は冒険者として腕が立ち、依頼の成功率は99%である。1%を失敗するとしても前情報が間違っていたとか、作為のある依頼だとかのギルドの審査を潜り抜けてしまったミス依頼であった為、彼のせいではない。
「それじゃ、また。マリーナさん」
「はい。先生、お気をつけていってらっしゃい」
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先生こと彼には二つの記憶が混在していた。
一つは恋人が浮気しているのを目撃し、ショックで走り出したところで車に轢かれた記憶。
そしてもう一つは妻と息子、娘がいる四人家族の記憶。一つ目より大人になっていた。息子は高校一年生で娘は中学三年生。息子が高校二年生になるころに天使が二人降臨し、その後、記憶が途切れる。
共通するのは大学で教鞭をとっていた専門だった。なぜなのかは分からなかったが、二つの記憶は混在しており、不思議と頭の中では混乱せずに整理整頓され、矛盾なく共存していた。
彼は、この頭の中の記憶の整理整頓をするために、湖の畔に来て腰を下ろして自然の風景を観ながら思索にふけるという事を始めた。そして日常生活に湖を訪問するというルーティーンに繋がって行った。
「よいしょ」
湖の畔にある大岩に腰かけ、マジックバックから平行になるようなテーブルを出し、飲み物を添え、いつも通りにしていると、湖の水面から霧が立ち込め幻想的な雰囲気になっていった。
気がつくと、これまたいつも通り、隣にミユが座っていた。出現するまで気配もしないので、興味深い存在の娘だ。
「やぁ、ミユ。お弁当を食べよう。お茶は今回、違う香りのするものを用意したよ」
「先生、こんにちは! いただきまーす」
数時間を過ごしているとミユは膝で眠り込み、彼はミユの頭を撫でながら自分も仮眠をとってしまった。気がつけば夕方から夜になっていた。そして真っ黒な雲が広がり輝く星たちを隠してきた。
「おっとっと、雨が降りそうだ、遅くなったけど帰ろうかな。ミユはどうするかい?」
「先生のお家で雨宿りしたい(そしてお泊まりしたいの)」
テーブルに広げていた荷物を片付けていると、いよいよ雨がぽつぽつ降ってきた。乾燥した道が次第に雨粒に濡れていき、すると雨が土を叩きつけるように強まった。土砂降りの雨。濡れた道に目を落としながら自宅のある前を見る。かげろうのように雨がはじく中、ちょうど村長さんが自宅の玄関に駆けてきたところだった。
「先生、こんばんは。ひとつ相談がありまして。劇団が来たんですよ」
「雨が酷い、家に入ってください、今すぐ玄関を開けますから」
いつの間にかミユは居なくなっていた。彼にとっては不思議な現象だったが、村長はミユの存在が見えていないのか、これまでも気づかないことが多かった。このことはマリーナはじめ他の村民にも言えた。
彼からしてみると、ミユは精霊のような存在かも? と思い始めたところ、彼女は物理的に食事がとれるので精霊とは違うようだと考えた。もしかしたら妖怪かも知れない……。
そんなことを考え始めたところで、村長の相談内容を振り返る。
『村に旅の芸人一座が来たので、村民のエンターテインメントのためにも先生に協力して欲しい』
エンタメ……まさか村長がそんな単語を知っているとは思いもよらなかったが、この世界には慣れ親しんだ単語が普通に存在しているので、過去の転移者が広めたのだろうと思われる。
この劇団というのは、王都で起きた英雄譚などを劇で見せて楽しませる王族お抱えの仕事、美男美女の揃った役者たちで、劇場を設置して各地を巡回しているという。
村長も彼も聞いたことはあるが観劇したことはなかった。ここまでの辺境の地へは商用馬車ですら少なく吟遊詩人はまだしも劇団というのは珍しい事だったのだ。
また、ミユはとうとう彼の家には来なかった。
「雨宿りはしなくて良かったのかな、ミユには出来れば泊って行って欲しかったが、仕方があるまい、明日、謝ろう」
【次の日】
今回の演題は『魔王と勇者と王妃』だった。
彼は王妃役の女優に目が行っていた。何だか雰囲気が懐かしい人に似ていると感じ、目が釘付けだった。想定している人とは、年齢が若そうで一致しないし顔も少し違っているが、持っている雰囲気が似ていた。名前は知らない。特に美人だから惚れたという訳ではなかった。
そして、その物語を神官崩れの魔法使いであるユイも観劇していた。なぜか彼女も感じ入って観劇しているようだ。
舞台挨拶の際、その王妃役の女優が目を見開いて彼やユイを見ていて、視線が交わっていた。何故かは互いに分からなかったようだった。
この劇団は数日、村に宿泊したのち、他の地へと出発するという。
また魔法使いミユもギルドの依頼仕事が終わるらしく、他の依頼地へ赴くという。
彼らを取り巻く運命のロ-カスは残酷だった。
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夕焼けで赤く染まる湖畔。
先生に、二つの記憶が混在してしまった原因は、おぼろげながら彼自身が分かっている。
「僕のせいだ。僕のあの実験のせいだ」
彼は一人呟いた……