第5話 移ろう四季の湖で
あれからボクと先生はいつも通りに時間を共有していた。
湖には色々な顔がある。ただ海と違って静かな変化であり、うっかりすると見過ごしてしまう。昼と夜の違い、冬と夏の違い。
海は季節の差が、遅れて一か月半の時間差があるのだという。湖にはそれほどの差はないという。河川の流入など外的要因で左右される方が影響が大きいだけだから。
ボクは夕マズメから月が出ていない漆黒の暗夜になる湖が好きだ。季節は夏。
「先生、ほら、小さなカエルがいるよ」
「小さいままかい? それならヒキガエルかな」
「へぇ、ウシガエルのオタマジャクシより小さいのに、大きくなったらウシガエルと同じぐらい大きいよね。陸上に雨になると出てくるし、飛び跳ねずに歩くし、変わってるね」
「ふふ、よく違いを把握しているね、そんな学び方で良いかもしれない。事象を関連付けて考える方が、図鑑の丸暗記よりもいい感じと思うよ」
「先生、いい感じと思う、のと、いいと思う、って使い分けてるの?」
「うん、その時々でね」
「へぇ、やっぱりよく分かんないや」
「あ、大きなトンボだ」
「トンボも種類が一杯だね。大きなものはクマゼミと同じように立派な体つきをしてるね」
「クマゼミって金の装飾があるみたいで高級感が凄いよね」
「そうだね。あれを捕まえたら大金星、みたいに友達に自慢できるね」
「お尻の光る虫って何だったけ、ホタル?」
「そうだよ、そろそろ夜になると用水路の所で観れるかもしれないな。湖畔の草の所でもフワフワと浮遊してくるだろうから楽しみだね」
「うん、ホタルは昨年も見れたし、今年はじっくりと観たいね」
「良いことを教えようか、ホタルの点滅する光なんだけど、あれが群れで一致しているらしいんだよ。どの虫がリーダーなのかは分からないけど、暗かったのが急に点滅する、そのタイミングが全匹で一致しているそうで、なぜ一致しているのか研究がされていたなぁ」
「点滅が一致しているだなんて、すごいのですか? 先生」
「そりゃもちろん、群れが全匹、一律に光らせてタイミングがずれる虫がいないのは奇蹟みたいなものと思うよ」
「ふぇー」
こんな感じで、ボクの今日は一日中、昆虫の世界の話で終わった。
また、別の日には、急に科学的になり、淡水中の酸素の拡散のような話になって学校で勉強しているのと変わらなかった。海と淡水では酸素の含まれる量が、わずかに淡水の方が多いとか、理由は海水には色々と溶け込んでいるからだって。
先生は難しい話でもギャグ……オヤジギャグというらしい、を交えて分かりやすく教えてくれる。尊敬すべき先生だ。海は月の潮汐作用で満ち潮から干潮まで差が出ることや、長潮・若潮・小潮・大潮などの区別があって、海で魚を捕る漁師さんたちは色々と勉強しているんだって。
一方で、湖の漁師さんは躍層という上層と下層の温度差で分ける層があって、それの張り出しとかでポイントを変えるらしい。ふーん、ちょっとしたことでも専門家って凄いんだなと学んだよ。
「夏の虫は冬にはどこかへ行っちゃうよね? だって居なくなっちゃうから」
「そうだなぁ、虫の寿命の違いってのがあってね、ほとんどの虫は寿命が短いという印象かな。冬を越し生き延びるのを越冬っていうんだけど、セミやクワガタやカブトムシは一部を除いて越冬せずに死んでしまうんだ」
「冬を超えるのは難しいんだね、クワガタにはどういうのが越冬できるの?」
「一番いい例はオオクワガタってやつだね。実物は凄く頑丈でビックリするよ。ミヤマクワガタも一緒の場所に棲んでいるけど掌に載せて頑丈さを観ると驚きの差が有るね」
「へぇ~、ワクワクする! 尊敬するよ、先生」
「いやぁ、実をいうと僕は虫は専門外でね、どちらかというと脊椎動物が専門かな」
「そうなんだ……」
「うん」
「あのね、夏の虫のようにいつの間にか居なくなっちゃうのって、凄く寂しいと思うんだ」
「そうだね、冬は湖の中でも冷水に適したサケ科魚類ぐらいかな、活発に餌をついばんでいるの。氷の下でも泳いで僅かな食料を摂ってるよ」
「ひやぁ~、冷たそう~~」
「冬の貴重なたんぱく源に、冷水に強いコイ科やサケ科の魚類を養殖すると村での食糧事情は改善するかな。今、村で溜池を作ろうとしているのは、その発案からだよ」
「ボクは先生と一緒に居れるだけで満足だよ。ご飯もくれるし。居なくならないでね」
「もちろんだよ」
「い、いなくなっちゃイヤだよ、せんせい……」
「なんだい、心配そうに言って。僕がミユを放っておいてどこかへ行くわけがないだろう?」
「来年は村の祭りに行く約束してるもんね、先生が居なくなるだなんて言って、ごめんね」
「心配性だなぁ、ミユは」
「僕はね、今、湖を如何にうまく利用できるかの基礎科学の資料を村に収めるために作っているんだ。調査をしてね、何メートルまで透明度があるかとか、酸素分布とか、躍層の位置とか、生息魚類とか。そしてどこが冷水塊が張り出しやすいかなど漁業にも役立つ資料なんだ。未来永劫、役立つ資料だよ」
「ひゃぁー、そんなことまでしてるんだね、先生って、暇がなくて体を壊しそうだよ。でも、ボクに会いに毎日ここに来てくれるんだもの、ありがとうね。大好きだよ」
「ははは……ミユはオマセさんだね」
「ぜ、ぜったいに居なくならないでね……」
こうやって今日もまた日が暮れて星空が見える時間帯になるのであった。