侵食する夢、乱れる現実
第1章 恭二の夢
吉田恭二は、いつも夢を見る。
「お前は選ばれた人だ。」
その声の主の顔は黒い靄に包まれていて、どうしても思い出せない。
「まずは、ここからだ。」
手を引かれ、辿り着いた先は病院だった。
自動ドアが開く。手を繋いでいた人物は長椅子に座れと指示すると、そのまま消えてしまった。
そこに座っていたのは、見知らぬ子供。
「恭二ちゃん、ごめんなさい、遅くなったわ。」
小走りで駆け寄ってきたのは、メガネをかけ、ソバージュのかかった初老の女性だった。恭二には覚えがない顔。
(誰だ、この人は…)
「小宮山光一くん。」
看護師が呼ぶ。病棟の扉には「小児心療内科」の文字。
女性はウィンクをして、恭二の手を取り、診察室へと押し込んだ。耳元で囁く。
「とにかく暴れて、なんでも壊すの。いいわね?」
おとなしい性格の恭二には到底似合わない指示だった。だが、言われたとおりに振る舞うしかなかった。
診察室に入ると、ベッドをひっくり返し、椅子を主治医に投げつける。
――ガッシャーン!!
凄まじい音が響き渡る。
女性は冷静に言った。
「いつもこんな調子なんです。家でも学校でも暴れ回って、手に負えなくて…」
主治医は眉をひそめながらも微笑んだ。
「なるほど、落ち着かないお子さんですね。ではお薬で治療していきましょうか。」
恭二は真面目で寡黙な少年。今のすべては演技だった。
机の名札を見る――「徳田幸三」。
顔を上げると、主治医がにやりと笑ったように見えた。
(よくやった…君は合格だ…)
そう言っているように見えた。そして気づく。主治医の腕時計は、最初に恭二を連れてきた人物と同じものだった。
――その瞬間、夢が途切れる。
「俺は…誰なんだ……」
額から冷や汗が滴り落ちていた。
⸻
第2章 どっち?
プルルルル…プルルルル…
林芳美の家に固定電話の音が響き続ける。
(全く…いいところなのに邪魔しないでよ…)
芳美は無視して、まどかの頬に顔を近づける。
りんごのように紅潮した頬、甘美で恐ろしい毒林檎のように――。
「うふふ…まどかちゃん…」
唇が重なりかけたその瞬間。
「ちょっと!!芳美ちゃん!!」
まどかの目に涙が滲む。瞳の奥が黒い影に蠢くようで、不吉だった。
芳美の手がまどかの体を這い始めた、そのとき――
――ピンポーン。
インターフォンが鳴った。
(ちっ…こんな時に!!)
モニターを覗くと、そこには母・林サツキの姿。
「ただいまー。芳美いるー?」
玄関が開き、サツキが上がり込んでくる。
芳美が一瞬気を逸らした隙に、まどかは両手で芳美を突き飛ばした。
「やめてよ!!芳美ちゃん!!」
サツキはその声に驚き、慌てて娘の部屋へ駆け込む。
中ではまどかが芳美を押し倒したような格好になっていた。
「どうかした?…大丈夫?」
まどかは言葉を探すが、うまく説明できない。芳美も呆然と立ち尽くしていた。
サツキはため息をつき、柔らかく声をかける。
「あれ、まどかちゃん来てたの?どうも。向こうでご飯できてるから、そろそろ帰らないとお母さん心配するわよ。」
「ありがとうございます…」
まどかは安堵して、家を飛び出した。
残された芳美は、サツキを睨みつける。眉間に刻まれた皺が渦を巻いていた。
「何でまどかちゃんにあんなことをしたの…」
その言葉に、芳美の頭の中で何かが弾けた。真夏の花火のように。
「お母さんなんか…大嫌い!!!」
扉が勢いよく閉まる。
サツキはしばし黙って立ち尽くした後、ニヤリと笑った。
玄関から出ると、バッグから取り出したのは――サングラスとルイ・ヴィトンの財布。
「ふう…暑かった。」
マスクとカツラを外すと、現れたのは金髪の男。
「胸が小さくて助かったわ。」
団地の外で、本物のサツキとすれ違う。彼女は怪訝そうにその顔を見つめた。
(あんな男、いたっけ…?)
「…一体、何者なんだ。」
その場を離れた金髪の男の背中が、夕暮れの団地に長い影を落としていた