仮面家族
ブーッ……ブーッ……。
結菜の枕元で携帯が震える。ハエの羽音のように響くバイブ音に、重たい手を伸ばして画面を取った。
「……もしもし」
電話の相手は看護師長だった。
夜間の急変。できれば出たくない。
けれど願いもむなしく、向こうの声は冷たく響く。
「あなたの患者さんが急変したの。私も緊急オペが入ってるのよ。悪いけど、すぐ来て」
結菜は舌打ちした。
仕方なく隣の部屋に電話をかける。
「ねぇ、まどか。私の代わりに病院行って“ナース”やってくれない?」
実はこの一家、怪盗一家。変装など朝飯前だ。
しかし、まどかはすぐさま噛みつく。
「はぁ?今何時だと思ってるの?隣の部屋なのに電話とかやめてよ。
ナースのコスプレはちょっと惹かれるけど、私じゃ若すぎて即バレでしょ。
新人は帰ってって言われるわよ。ママ、自分で行って!」
結菜は苦い顔をし、だるい体を無理やり起こし、夜の病院へ向かった。
翌朝。
「ただいまー」
疲れ切った声で帰宅した結菜を、蓮が両手を広げて出迎える。
「おかえりママ!」
小さな身体を抱き上げ、ベッドにダイブする。蓮は楽しげに笑った。
「ジェットコースターみたい!」
その笑顔に癒されながらも、結菜はぼさぼさの頭でため息を漏らす。
「まったく、最悪の朝。何で私、看護師なんて真面目にやってんだろ……」
台所では、まどかがトーストを焼いていた。
蓮用のゆで卵とヨーグルトも用意済み。
「ママが“ナースのコスプレしたい”って言って始めたんでしょ。
院長誑し込んで、この前だって推しの目白勇作のドームライブ、コネでチケット取ったじゃん。
文句言わないの」
コーヒーを飲みながら冷たく言うまどかに、結菜は渋い顔をしてスマホを開いた。
そのとき、テレビからニュースが流れる。
『80代の高齢者が“息子が交通事故を起こした”という電話を受け、示談金として300万円を振り込む事件が――』
画面には、防犯カメラに映った一人の男の姿。
「お父さんだ!テレビ出てる!かっこいい!」
蓮がはしゃぐ。
「……あの人がカメラに映るはずないわ。これもフェイクね」
結菜が冷静に呟く。
「パパもセコいわねぇ。まぁ、振り込め詐欺は最近の流行りだけど」
まどかは肩をすくめた。
朝食を終えた一家。
「ぼくはYouTube撮影する!おねえちゃんのバックアップもする!」
「私は寝るわ。何かあったら連絡して」
結菜が自室へ消えていく中、まどかは女子高生の制服に着替え、手帳を開いた。
――そこに書かれていた任務は。
『教育業界に潜むロリコンの撃退』
「さて、今日のターゲットは……聖レジーナ女子学院、ね」
一方そのころ。
恭二は仕事帰り、路地裏を歩いていた。
「よっしゃあ、300万ゲットだぜ!」
某アニメのモンスターを捕まえた子供のように、軽い声で叫ぶ。
だが――。
ぼやけた視界の先に、見慣れた後ろ姿を見つけた。
まどか。
友人と楽しげに歩いていたが、ふと立ち止まり、こちらを見た。
一瞬、視線が交錯する。
恭二「…………」
まどか「…………」
言葉はなかった。
空気が裂け、時間が止まったような感覚だけが残る。
「誰……?」と友人が小声で尋ねる。
まどかは答えず、視線を外し、歩き去った。
制服のスカートが朝の風に揺れる。
その背中を見送りながら、恭二は――。
ニヤリ、と笑った。
それが何に対する笑みかは、本人にもわからない。
だが確かにそこには、“まだ終わっていない”気配が漂っていた。