護衛を募集したら騎士団長が応募してきましたが
え~っと…
私は手元の身上書と、対面で座る応募者その人を交互に見る。
「ハルロイド・ノアイユさ…様」
「ああ」
大きな重低音の声が響いた。
ひと言の放つ威圧感に思わず竦むと、ハルロイド・ノアイユ様はハッとしたように慌てて顔の前で手を振る。私は泣きそうになるのをグッと我慢した。私は家人以外の男性とまともに接することがない。こんな風に言うと女性なら交流可と思われそうだけど女性も難しい。つまりコミュ障である。
「いや、あの、失礼しました。ええ、そうです」
「…あの、ノアイユ様がどなたかをご紹介して下さる、そういうことでしょうか」
「え?俺が君に…失礼、あなたに他の男を紹介?」
「そうです」
「まさか!絶対に紹介などしない!!…です」
その似非敬語をやめてもらえないだろうか。
私は困惑しているので、その困惑を隠すつもりもないくらいにただ困惑しているので、もう失礼を承知で尋ねることにする。
「クビに?」
「……何を?」
「だから、だから…ノアイユ様は騎士団長様ですよね!?」
思わず小声になる。応接には面接官(私)と応募者(騎士団長)と老執事しかいないのだが。
「ご存知でしたか」
「当り前です!あの、これは私の護衛の募集なんです。おかしいでしょう?なぜ現職の騎士団長様がご応募を?」
たかだか伯爵家の娘、しかも次女、の短期護衛募集。
そんな小娘の護衛には、普通はどこか少し怪我をした騎士の退職者や、騎士を目指していたけど試験に落ちた多少腕の立つ青年などが応募に来る。はず。まだ一人も来てないけど。
それが初回からこんな大物が釣れるなんて聞いていない。いや、釣るつもりもない。
「なぜ?そこに護るべき人がいるからです」
登山家みたいな発言は止めて頂きたい。
「ご立派な使命をお持ちなのですから、騎士団長として遺憾なくお勤めをお果たし下さいませ。わたくしめのような人間の護衛、では!なく!万人の為に!!そう、守りの対象は万人なのですから、ノアイユ様はお忙しいではないですか」
何万人といる組織の長なのだ。目が回るほど忙しい筈だった。今日面接に来ているのだって公務の時間を割いているに違いない。ほら、窓の外にはクラクラしそうな明るい陽射し。
「その点は問題ない」
体躯通り、威風堂々とした様子でハルロイド・ノアイユ様は胸を張ってそう仰る。
「何がですか」
「本職は長期休暇中なんだ。この護衛は三週間限定だった。そうだろう?俺が休暇をどのように使っても誰も文句はない」
「長期休暇?」
休めよ。
「ああ。騎士団に所属して以来、休みなど取ったことがなくてな。だからまとめて取ることにした。だけど趣味もないし。身体を動かすのは好きなんだ。ほら、ちょうどいい物件」
おー…んん~…
ちょっと待って?面接官は私。採用するのは私、立場が強いのは私。
第一、誰が休みまで取って来いと言った?
縋るように応接室の戸口に控える老執事のガロンを見たけど、スッと目線を外された。
「…あのでも、ほら、私は特段護衛を隠そうと思っている訳ではありませんから。例えば騎士団長様が私のような者と連れだって歩いていたら、どう思われるか」
「どうもこうもない」
「いえいえ。ありますよ?誰も護衛だなんて思いません。だって『本職』の重みが大きすぎて!」
「望む所だ。それに騎士団でも副業をしているやつは多くいる」
どこらへんを望んだ?騎士団長の副業なんてあるかーい。
だけど頭の中で突っ込んだって身分も立場も雲の上の方に言える訳もない。
「カノン嬢、いやカノン様」
「………はい」
「護衛として力量不足だろうか?」
「それは、その、ありませんが」
「では他に何か問題が?」
「……」
ジッと正面から見下ろしてくる。
力量に問題など有るわけない。国中で一番とか二番とか、なんか強いんでしょう。知らんけど。
だけど雇用主は私です!!決めるのは私!!
眼圧に耐えられず、私は手のひらに視線を落とした。
「では明朝からこちらに出勤する。で、よろしいですね、カノン様?」
「……ぁぃ」
なぜか決定権がないという珍妙な状態に陥り、コルベール伯爵家の次女カノン(私)の護衛にノアイユ侯爵家三男のハルロイド騎士団長(現職)が決定してしまった瞬間だった。
****
我がコルベール伯爵家の歴史は長い。王都の一等地に構えたタウンハウスには使用人の他に護衛もいる。だけどそのうちの一人だったハリスが昨年、定年退職してしまった。彼には子供の頃から何度も護衛をしてもらったことがある。定年間際は護衛というより庭師のようになっていたけど。そもそも、この国は長らく平和で護衛など不要なのだ。貴族と言っても余程の高位貴族の長男や長女でも無ければ護衛は付けないし、家全体で一人か二人、多くて三人を雇うくらいで。正当な理由があって大量に必要な場合などは騎士団から人を借りたりも出来る。
コルベールには今、お父様の護衛を中心にした古株のグルジッドが働いている。
グルジッドはまだまだ若い。だけど要職に就いていらっしゃるお父様に張り付いているから、買い物に行くお母様ならまだしも、私が借りる時はよっぽどの場合だけだった。
それでも今回は『よっぽど』で、ちょっとだけ長く必要な期間があるのだ。
私は遠方に行かねばならない用がある。まだ二十歳の私が、あまり社交的でない私が…要は世間に疎い私が一人旅をする。
だから短い期間、お供をしてくれる護衛を雇う必要があった。
「お父様」
「何も言うな」
「身上書です」
「見たくない」
「捨てます?」
「ばっ!!貸しなさい!!」
チラッと見かけてギュッと目を瞑り、お父様はガチャガチャと鍵のかかる引き出しにノアイユ様の身上書を仕舞われた。見なかったからと言ってノアイユ様でなくなるわけではないのに。
「なんてややこしい護衛を雇ったんだ!!」
「私のせいではありません。完全に押しかけです。お父様、断って下さい」
「出来る訳ないよ!?侯爵令息で騎士団長相手に!!こっわ!断りなど入れた日には心身が破滅する!!」
「じゃあ無理ですね」
「カノン、お前妙に落ち着いているな」
「落ち着いているのではありません。諦めただけです」
うんざりしてお父様とガロンを睨んだ後、さっさと自室に下がった。
ベッドに飛び込み大きな溜息をつく。明日からどうすればいいのかしら。
断ったのにノアイユ様は明日から来ると言って聞かなかった。
一万歩譲って、もう護衛の件は良い。第一条件としての強さは比類ない。申し分なかった。彼ならきっと、難なく切り抜けてくれそうな気がする。
だけど、その辺の武骨なだけの騎士もどきが来たら二人旅になるわけだし、それなりにコミュニケーションを取らなければいけない。だから雇用期間を実際の旅よりも長く取った。少しずつ互いに慣れてから出発する予定だったのだ。二週間もある。旅程はその次の一週間。なぜ二週間も取った、私!?
「ぐ…面倒くさい…」
思わず本音が漏れる。
私は姉と違って人とのコミュニケーションが得手でも好きでもない。事務連絡以外は何を話していいのかわからない。ひとりでじーーーーーーーっとしているのが大好きです。趣味は読書と書評を少し。天体観測。スワッグ作り。他人?一生要りません。
狂った同級生たちが踊る舞踏会にも夜会にも行きたくないし、姉に呼ばれた時以外には社交の場には出ないと決めている。行っても殆ど控室で姉の背を撫でているのだけど。
そんな私がなぜノアイユ様を知っているかと言うと、騎士団長として姉の警備をされていたことが有ったから。私の姉、マリアンは学院の先輩だった王太子に熱烈に求愛されて、側妃になったのだ。
マリアンは私の誇り、私がこの世で一番大好きな人。そして私がこんなにダメ人間になったのは、ある意味彼女のせいでもある。いつでも優しく朗らかで、妹の私をデロデロに甘やかしてくれたお姉様。『無理しなくていいのよ』って優しい声で言ってくれて、ふんわりしたマシュマロボディで抱きしめられると、なぁ~んにもしたくなくなる…
そりゃあ王太子もイチコロだっただろう。
あ~、思い出したらお姉様に会いたくなってきちゃった。
だけど手紙も来ない。まだ会えない。
ノアイユ様とは王太子主催の夜会、姉の控室で挨拶をした、ただそれだけだった。向こうは覚えてもいないだろう。
だけどもう、大体役職や評判から為人はわかり切っているので、二週間も無駄に一緒に過ごす必要はない。全然ない。ないったらない。
****
うんと高い視点から、護衛が私を見下ろす。
サイドが潔く刈り込まれた焦げ茶髪のベリーショートは昨日と同様、頭頂部辺りで綺麗に右から左へ流れている。
「おはようございます、カノン様」
「ぉ…ぃ……す」
二メートルほどの十分なパーソナルスペースを保って朝の挨拶をする。
「声が聞き取りにくいな」
「……いまっす、っ!」
さっきよりお腹に力を入れて声を出すのと同時、軽々しくパーソナルスペースを乗り越えてきてギョッとする。
「ちかいです!!」
「護衛ですから」
当り前だと言わんばかりの顔で言われたけど、冷や汗しか出てこない。
「あの、昨日も申し上げましたが、旅からで十分です。今日も旅程について説明した後は速やかにご帰宅頂いて構いません。ノアイユ様はゆっくり休暇をお楽しみくださいませ。もちろん給金を値切ったりも致しませんので」
「ハル、と」
「はい?」
「ノアイユでなく、どうぞハルと」
「ハル…様?愛称で?」
「呼び捨てで。護衛ですから、カノン様の」
ぐぅ…またコミュニケーション能力高めの要求を…
「……ハル」
「はい」
面倒が勝ち、私はツンとして要望通り呼び捨てた。
筋金入りのコミュ障なのだ。気を悪くさせずにお断りできるスキルだと?そんな持ち合わせはない!
「では雇用期間だけハルとお呼びします」
「一生でも構わない」
時々敬語を忘れる社交モンスター。
応接に通し、奥の一人掛けソファを勧めて長椅子に座った。
旅程について書いた紙を渡し、説明をする。
しばらく護衛は黙って紙を真剣に読んでいた。
「参拝が目的ですか?犬神の寺院ですね、ここは」
「はい。ハルには道中の馬での移動、私の警護と宿の手配を頼みます」
「宿の手配?手配せず行くのですか?」
「はい。どこの宿にするかは行ってから決めたいからです」
「……なるほど?」
「それと、これは本当に申し上げにくいのですが、私は馬に乗れません」
護衛が少し目を開いて私を見る。改めて見ると、鋭いけれどスッキリして綺麗な瞳だった。この人は三十を目前にした独身貴族。踊り狂うご令嬢達にとっては超大型の獲物でもある。
「申し訳ないのですが、一緒に乗せて貰えますか?」
「…心得た」
「行きたい道は、馬車だと都合が悪いのです」
「山道を通るルートも確かにあるが…広い道もありますよ?」
ドキリとする。
「ええ…ですが、遠回りです。だから馬で。それと、念の為得物をお持ちくださいませんか」
「護衛なのですから、それはもちろん」
「ありがとうございます」
ホッとして、礼を言った。
「では、あと一つ。
こちらを被って頂けますか?」
「は!?」
ゴソゴソと大きな布で包んでいた長髪の鬘を取り出して見せる。昨日買ってきたのだ。
「念の為、今被って頂いても?」
「い…いやだ!」
「まぁ。そう仰らず。ハルであると旅路でバレるのは都合が悪い時もあるかもしれませんので。貴方でなければそう支障もなかったのですが」
「だから、俺は君と一緒にいて誤解されても問題はないと」
「違います」
私は強く念を押す。
「この鬘は、それとはもう別の為なのです。例えば街中でハルと歩いている所を見られても構いませんが、旅の間に剣豪で知られるあなたを連れているのは意味合いが違ってしまうんです。それ以上は今言えませんが、これは絶対条件です」
「……」
本当は街中でも勘弁したいが、そう言うと護衛はちょっと黙った。
「わかった」
嫌そうな顔はそのままだったので、近づいて屈み、ベリーショートに鬘を載せる。
撫でて馴染ませた後で生え際の感じ、耳の後ろ、うなじの感じを確かめて、一歩引いてから護衛を見た。うんうん、なかなか自然に…
真っ赤な顔でこちらを睨んでいる顔。それを見て我に返った。この人騎士団長だった!
「申し訳ございません!!もう終わりでございます、サイズは良いみたいです。大変不愉快でしょうけれど…どうぞ堪えてください」
「んぁ~~~…いや、はい、心得て、おり、おる」
呂律の怪しくなった護衛は鬘を取った後の頭をぐしゃぐしゃに掻いてふてくされたような顔をしていた。
****
来なくていいと言ったのに護衛(騎士団長)は毎日やってきた。
「なぜ毎日来るのですか」
「給金を貰うのだから、仕事はしないと」
真面目か!!サボっていいと言っている雇用主の意図を理解しろよぉ。
「では給金を減らしましょうか?」
「契約書と違う金額は違法です」
にべもない返事の同じやり取りを二度して、一気に面倒になった。
一人の時間が欲しいのに、終日護衛なんてされると本当に落ち着かない。ハルは視線の圧が凄いのだ。居間でお茶を飲んでいても、テラスで読書をしていても、物凄い視線を感じる。それはさながら蛇に睨まれた蛙のような気持ちにさせられた。護衛より寧ろ捕食者になっている。
ガロンに事情を説明して、私が自室に籠っても彼の好きにさせてやるように取り計らい、三日目にして朝から部屋に鍵をかけて引き籠った。
はぁ。今日はもう一歩も部屋から出ないで過ごそう。おかえりなさい、いつもの私。
そうしてサイドテーブルに積んだ本を心行くまで楽しんでいると、コンコンコンとガロンが戸を叩いた。ガロンの音は規則正しい響きで直ぐにわかる。
「はぁい?」
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「ええ」
何かしら、と扉をあけた。
「おはようございます」
「!!」
見えた顔に咄嗟に引いた扉を押し戻そうとして、ガっと入ってきた靴を思い切り挟んでしまう。
「いたっ」
「あああああ!ごごご、ごめんなさ、ごめんなさい!!」
騎士団長の足を損害したらどれくらいの賠償金が!?泡を食ってしゃがみ込み、挟んでしまった靴をとりあえず撫でようとすると、手を掴まれた。
「結構ですよ、手が汚れます」
「だって」
「嘘です。痛くはありませんでしたから」
「嘘?」
なにこの人…
いけしゃあしゃあと悪びれもせず嘘をつき、しかも雇用主の手を離さない。引っ張ってもビクともしなかった。怒鳴ってやりたいけど怖いので代わりに佇むガロンを睨んでやるが、スッと目線を外される。おのれも主人を謀ったな。お父様に言いつけてやるんだから!!
「手、手は離してください」
「カノン様、馬に乗る練習をしましょう」
「馬?なぜです?」
「道中何も無いとは思いますが、咄嗟の場合に馬に乗って頂く場面があるかもしれません」
少し屈んで説明してくる護衛の目を見ながら、頭の中では旅の間に予想される出来事を妄想した。
「かわいいな」
「…そう言われると、そうですね。かしこまりました。では着替えます。今、何か仰いました?」
「いえ、大丈夫です。カノン様」
「…ん!」
握られている手の内側がスリリ、とかたい指先で撫でられる。背中がゾワッとなった。
「なっ」
「剣の練習を?」
耳元で、ハルが小さな声で尋ねてきた。数秒黙って、頷く。
「では、それも持ってきて」
また耳元でそう言ってから、なぜか鼻先を耳にそっと当ててくる。ちょっとビクッとなってから、慌てて頷いた。
「庭はさすがに狭いので、丘の方に出ます。さぁ、鐙に足をかけて、手をどうぞ」
馬上から軽々と引き上げてもらい、護衛の前に乗せてもらう。それからロープの輪っかに二人で入った。背後から伸びてきた腕が私のお腹の前まで留め金を移動させて輪を縮める。
何か言いたげな老執事に手を振って、馬は出発した。
タウンハウス街が過ぎ、少しだけ街を走ってから国道に出る。そこから丘へと駆けあがっていく間、王都が見渡せた。なんてはやい!
「うわぁ」
「乗るのは初めてですか?」
「いえ!お父様に小さな頃乗せて頂いたことがあります!だけどこんなに大きな馬ではなかったですし、ゆっくり歩いたくらいで…すごい!かっこいいですね!」
「しっかり持って。俺ともロープで括ってはいますけど」
「はい!」
すごく気持ちがよかった。馬車に乗るのとは違って、ぐんぐん景色が立体的に後ろに過ぎていく。相当に大きくて黒い馬は、二人分乗せているのにとても軽そうに駆けた。
「これは俺の馬で、ググと言います。呼んでやって、撫でて下さい」
「ググ!」
言われた通りに呼んで、こわごわと撫でてみる。もちろん何も返事はない。
「本職の時にもググに?」
「もちろん。命を預ける馬ですからね」
そんな大切な馬で練習を、と思ったが言葉を仕舞いこんだ。こうなったらもう、逆に幸運を引きずり込もう。
「あの…」
「はい?」
「ググのお食事代や手当も出しますから、旅にググを出して頂くことは可能でしょうか」
後ろを振り返って、お願いしてみる。家にいる脚の速そうな馬のどれかに乗っていくつもりだったから、深く考えていなかったのもあった。
「……ええ、最初からそのつもりですよ」
「えっ、本当ですか!?ありがとうございます!!」
良かった!ツいている!
「君は」
「はい?」
「…いや…いい」
誰もいない丘について、一人でググに乗る練習、ゆっくり歩かせるなどをした。大きな護衛が乗るだけあって大きすぎて、地に足を付けた状態から一人で乗るのは無理だった。股下の長さ問題が大半だが、もう少し私に脚力があれば。もしくは踏み台さえあれば何とかなるのだが。
「まぁ大丈夫でしょう。咄嗟の時には俺が乗せますから」
「ご面倒おかけします」
暫く馬の生態や扱いについてレクチャーしてもらい、休憩を挟んでハルが二つの剣を出した。私の剣はガロンにバレないよう、家を出るより先にハルに渡してあった。
「カノン様、なぜ剣の稽古を?素振りをしているんですね?」
手のひらのマメを指差されて、観念して頷く。
「旅路の護身の為です」
「俺がいる」
「いえ、私ばかり護られる訳にはいけませんから」
きっぱりと返答すると、護衛は眉間に皺を寄せて眼圧をかけてくる。
だけど押し負ける訳にはいかなかった。一人より二人の方が良い。そんなのは分かり切った算数だ。唇を引き結んで私も強気で見返した。それからツンとして言ってやる。
「この件についても鬘と同様に雇用主としての絶対条件です。嫌なら解雇します」
護衛がたっぷり間をあけてから、舌打ちした。
雇用主に舌打ちだと!?完全に舐めている!!
腹が立って私も大きく三回舌打ちして返してやった。さようなら、淑女教育!
ところが、舌打ちに目を丸くした後、護衛は肩を震わせて笑い出した。
「ちょっと!!何笑っているのよ!」
「いえ…っくっくっく…あまりに可愛くてつい…」
「馬鹿にしないでください!」
こっちは真面目な案件なのだ。笑われる要素などない。
「…はぁ…わかりました。では出発するまでは二度と一人で稽古しないこと。良いですね?怪我でもしたらどうするんですか。俺が教えますから」
「えっ、教えてくれるんですか?」
「…ただし、目的はあくまで護身です。少し自信を持ったからって自分で突っ込んでいったりしないと約束できますね?」
ジッと凝視してくる護衛をまた見返しながら、妄想タイムに突入した。いやしかし、突っ込んで意味がある場面が来るかもしれない…
「………」
「可愛いですが、約束できないなら剣は没収します」
「えっ」
「良いね?何があっても、基本は護られる。どうしても危なくなった時だけ、身に危険が迫って、なおかつ使えそうな時だけだ」
「……はい」
ぐぅ。偉そうな。護衛の圧に渋々頷いて、恭順の意を示す。示しておいた。
「約束を破ったらお仕置きですよ」
お仕置きだと?やれるもんならやってみろ。残念ながら、旅が終われば私はまた引き籠りだがな!!
「なにをニヤニヤしてるんですか?」
「していません」
護衛がため息をついて片手で顔を覆った。
「……もう勘弁して欲しいな。えーっと、ではまず持ち方から…」
その後、毎日丘で馬と剣の練習をした。二週間はあっという間に過ぎた。
****
「ではお父様、行ってまいります」
「ああ、気を付けて。その…ノアイユ様、娘を頼みます」
「万事、お任せください」
「早く行きましょう、ハル」
私達はタウンハウス街を出た。
私とハルを乗せたググの横を、二人分の荷物を括り付けたもう一頭の馬が少し遅れる形で続く。
「あの、ハル」
「はい」
私は身体を捻って背中側にいる大きなハルを見上げる。
「私は少し、嘘をついていました」
「……どんな?」
「あの…実は今日から、姉が参拝に行くのです。犬神様の寺院に。もしかしてハルはもうご存知かもしれませんが、姉は妊娠しています」
「ええ、マリアン様のご懐妊は存じ上げています」
それはまだ、公にされていない事実だった。
いつまでも妊娠する気配のない王太子妃より先に、側妃が懐妊してしまった。だけどそれは偏に王太子がお姉様を寵愛しているから。王太子はもう長らく王太子妃との夜伽をあけているという。
王太子妃は大国である隣の国から送られてきた王女で、非常にプライドの高い女性だった。他の姉妹はより大国に嫁いだ者もいて、なぜ自分が隣の中途半端な国に嫁ぐのかが納得いかず、ずっと嫁ぎ先を小馬鹿にしてきた。二年経っても三年経っても里帰りが多く、その態度を全く崩さなかった。王太子とて最初から敬遠していた訳ではない。あれこれと手を尽くし、最終的に完全に愛想をつかした…というか、もともと愛していたお姉様を手離せなくなった、それだけの話だった。
お姉様は気が付けば度々妙な目に合うようになる。ヒールの踵が突然折れたり、夜会で偶然ワインをかけられたり、夜会でファスナーが弾け飛んだりしている内はまだ可愛いものだった。次第にエスカレートし始めると、廊下に油が薄く塗られていたり、媚薬を盛られた男性と夜会で閉じ込められたり、窓から蛇や蠍が入ってくるようになり、流石に身の危機を感じるようになってきた。
「姉は夜会の時には私を呼ぶようになりました。何の役にも立たない私を呼ぶのですから相当まいっているのです。王太子殿下の前では気丈に振る舞っていましたが、次にどんな目に遭うのか、本当は怖かったのだと思います」
その矢先の妊娠である。
ハルは黙って私の話を聞いている。
「王太子殿下も姉を気遣い、妊娠した直後から夜会には出席させないよう取り計らって下さり、姉はずっと護られて過ごしていると聞いています。誰の指示で危険行為が行われているのかなど証拠もなく、犯人は分からずじまいでここまできました。だけど、いよいよ王城を出なければいけない用事が」
「そうだな。犬神参りは妊娠した王族の必須行事だ」
「本当は姉一人ではなく、王太子殿下を始め警備も手厚くつける予定でいてくださったと思います。ですが」
「王太子妃が呼んだ兄が来ているんだったな…」
犬神参りに合わせたように、王太子妃が自身の兄である隣国の次期国王を招待した。まさか王太子が長期に留守をする訳にいかなくなり、王太子妃の要請で主だった近衛達はそちらの警備に手を取られている。
「世継ぎでもある可能性が有りますし、犬神参りは普通、行事の決行日などの旅程は極秘事項になります。宿なども明かされませんし、貸し切りでしょう。だけど、姉は手紙で出発日だけは教えてくれていたのです」
本当は教えてはいけなかったのだろう。姉は私の考案した簡単な暗号の遊び文で出発日だけを教えてくれた。それはもう、来てほしいと言っているのと同じなのだ。
「なるほど、だから予約をせず、飛び込みで宿を取ると?」
「はい。この旅の目的は、姉の心の安寧の為にこっそりついていくことです。遠くから姉が私を見つけることが出来れば、それでいい。ですから、王城の正門が見える場所に先に向かっていただけますか?」
「心得た」
至極あっさりとハルは頷いて、ググの手綱を引いて西へと向かう。
さすが騎士団長。飲み込みが早い。王族が関係しているから尚更かな。
と言うか、そう言えばこの人(騎士団長)は警備に駆り出されなかったんだな?今更ながら思って問うてみると、
「持病の痔の悪化を理由にして長期で休んでいる」
との返事だった。
「え、お尻大丈夫ですか?」
「嘘の理由に決まってるだろ!!」
持病…。
「そもそもどうしてお休みを取られたのですか?」
「言っただろう、長らく休んでいなかったんだ。それに、護衛の仕事をしてみたかった」
嘘の匂いしかしない返答だったけど、こちらも嘘をついていたので詮索するのは止めておいた。雇用主と護衛が、お互い全てを晒す必要もない。
私はもうひとつ黙ったままの秘密を抱え、とりあえず旅の目的をハルと共有できたことにホッとして胸を撫でおろした。
「カノン様はよほどお姉様を大事に思われているのですね」
「はい!世界で一番大好きです」
「なるほど。まずはそこからか」
どこから?
「では王城の正門を出たら方向的に絶対に通る道で待ちましょう。少し高台に良い場所があります」
「あ、ハル、鬘を付けてもいいですか?」
「………」
やっぱり嫌そうだったので、腰に巻いた鞄から長髪の鬘を取り出し、思い切り身体を捻った。まずはベリーショートを鬘の内側にあるネットの中に全て入れ、そうっと挟む金具に地毛に入れてパチパチとセットしていく。
「ハル、少し屈んで?」
腕を伸ばしても後ろ側の様子までは結局わからず、器用にも馬上でハルの肩に掴って首の後ろを覗き込む。長い腕が回って、右手が私を包むように支えてくれた。
「うん、完璧!!妙に似合っていますよ」
「……他の男にこんなこと、してはいけませんよ」
「へ? 鬘なんてつけるわけがないでしょう」
どんなシチュエーションだ。
うまい具合に姉様の乗った馬車が出発するのを見送ることが出来た。
私達も馬車の進行方向に合わせて時々道を逸れながらも遠巻きに着かず離れず付いて回る。
「マリアン様はこちらに気が付かれているだろうか。流石にわからないな」
「気づいていますよ」
「本当に?」
後頭部から声が降ってきて、私はコクンと頷く。
お姉様は夜会や前に立つ時、私だけに見せている仕草があった。
「さっきもやってくれました」
「なるほど。本当に仲がよろしいのですね。うらやましいな」
「うふふ」
そうだろう、そうだろう。自慢の姉ですから。
その日は夕方まで順調に移動し、途中の街で一泊となった。
私達はハルが手配したお姉様達一行が宿泊しているホテルの斜め向かいにある小さな宿に泊まる。私はハルに連れられて一室へと辿り着いた。扉を開けるとベッドが二つ並んでいる。
「カノン様は奥のベッドを」
「えっ!同室!?」
「ええ。空いていませんでした。何より別の部屋にいたら護衛が出来ません。一階が飲み屋なので、客層が悪い。連れ込み宿の雰囲気もありますから。女性が一人で宿泊してると商売女と誤解されます。酔った男が急に部屋を訪ねて来たら怖いでしょう?」
怖すぎる!!!
「わかりました!!」
「ちょろすぎて頭が痛くなってきたな…」
「えっ、お尻が痛い?」
「あたま!」
一階の飲み屋で食事を取り、順番に部屋のシャワーを浴びてベッドに入る。時々窓からお姉様の泊まる宿を眺めた。
旅程の前後二日は移動を要する距離に寺院は位置しているので、中三日が寺院での滞在、つまり祈祷などの参拝行事が予想された。祈祷の行事の後では寺院へのケチが付くこともあるし、考えにくい。そこは望んでいないだろう。
恐らくお姉様が襲われるのは、明日。
私はベッドの中でイメージトレーニングに励んだ。何度も何度もイメージした何百通りもの悪夢と、それを覆す物語。
だけど、時々護衛が怪我をするし、最悪命を落とす…
私は怪我も死ぬのも仕方ない。自分で望んで行くのだから。
だけどハルは?
直前になり、正直な所私はかなりのチキン令嬢になっていたことは否めない。
「ハル」
ベッドの中から小さく呼びかけて、私は身を起こした。
「眠れませんか?この声では無理か」
「実はその…まだ話していないことが有ります」
少し間が空いて、ハルも起き上がり、足を降ろして私と向き合う形になる。
「そうでしょうね」
「でも話さなければ、やっぱりフェアじゃありません。いくらお金を払うと言えど」
「フェア?」
「騎士団長に怪我をさせたら損害賠償も怖い!」
「何の話?」
「明日、危ない目に遭うかもしれません!!…いえ、多分、遭うのです」
「カノン様」
私は自分のズルさに泣けてきた。ぽろりと零れた涙を拭う。ここまで騙して連れてきておいて、今になって大罪を犯したような気持ちになる。
「黙っていてごめんなさい」
「泣かないで下さい。イロイロ限界が」
「そうですね。泣くのはずるいです。すいません」
「いや涙は大好物ですけど…それで?もう全部話しましょうか」
私は耐えきれなくなり、頷いて懺悔を始めた。
それはふた月ほど前のこと。
真夏も落ち着いてきた頃、私は親交のあるエイブリー教授に誘われて短期間のワークショップに参加していた。エイブリー教授は考古学者で遺跡の発掘や世界の文字を研究している人である。コミュ障なりに日々夢中で研究会に参加し、毎日クタクタになって帰るのだが、そのワークショップ会場からの帰り道にはとてもブラン・マンジェが美味しいカフェがある。私はブラン・マンジェが大好物なのだ。
「ぶらまんじぇ?」
「プルンとしてて、甘くて品があって、白さの中に季節感を取り入れることの出来るバラエティに富んだスイーツです」
自分へのご褒美として、毎日カフェに寄り、お茶をして帰るようになった。美味しいブラン・マンジェとアイスティーと本が有れば天国で、疲れも吹き飛びつい長居してしまう。そんな生活をしていた五日目だっただろうか。気になる会話が聞こえてきた。
「日程は決まったのか」
「いや、まだだな。決まったら連絡する。超極秘らしいがな!はは」
「そりゃブーナーだから。極秘でも何でもない」
「気の毒なマイニャだ。あんな捻じ曲がったブーナーに目を付けられて」
「ははは。道具の手配は済んでいるのか?」
「ああ、万全だよ。お前こそ山道は先によく把握しておけよ」
夕方と言っても店内にもテラスにも人はいる。
二人の男はぼそぼそと話していたけど、普通で行けばそんな場所で話される内容ではなかった。普通で行けば。
「普通じゃなかった?」
「はい、その会話は古語とニフタル語で成り立っていたのです。ブーナーは古語で雌の虎、暗に王太子妃、マイニャは雌猫で側室を表します。ニフタル語は海上に浮かぶ小国で使われている言葉ですが、公用語でもない上に使用人数が世界でも千人単位の滅びゆく言葉なのです。つまり、そんなテラスで大声で話したとしても犬が吠えているのと同じ」
「あなたはそれがわかったと?」
ハルの質問に頷く。
それから私は古語で語られた暗号染みたやり取りと、そこから推察される計画の全貌を彼に説明した。計画自体は思い切りと瞬発力が売りなだけで、暗号の内容が分かっていればどうという難しさはないものだった。
私はコミュニケーション能力と引き換えに突出した言語習得能力を持っている。理解する言葉の数は途中から数えるのを止めた。日々本を読みながらパズルのように嚙み合っていく言語の習得は数学と同じ、脳みその快感でしかない。実生活には全くいちミリも私自身の役には立たないのだが。
「本当に才女なんだな」
ハルが呟いた。部屋にはずっと変な声が聞こえているのだが、十分に聞き取れた。
「才女?」
「コルベール姉妹を知らない貴族はいない」
「ああ。姉は側妃ですし、素晴らしい人ですから」
「……君、数学の博士号も持っているんだろ?」
「よくご存知ですね」
勉強くらいしか出来ない。たまに学会の知己から送られてくる依頼や疑問にせこせこ答えて謝礼をもらってお小遣い稼ぎをしている。
「今回お支払いする対価はちゃんと自分で稼いだお金です。あくまでも私の我儘でお姉様の参拝を見守るだけの旅。だからお父様にも、誰にもこの話はしていません」
本当なら騒ぎ立てて陳情し、行くのを止めるなどの予防したり、騒動を起こさないようにすればいいだけの話だった。だけど大国をバックに持つ王太子妃をあからさまにお姉様の敵に回す訳にはいかない。それに何より今回予防出来ただけでは意味がない。それでは心から安心する環境は作れない。
「それで正解です」
困ったような笑顔で、ハルが頷いてくれてホッとする。
「暴露ついでに…ねが、願いを…言っても、良…いでつか?」
「いいよ。あー…また涙が」
「わたし、わたしはもうお姉様を…解放して、あげた…。安心して、暮らし…欲しぃ。こんな、言ったら処刑されるんでしょうけど、絶対絶対、お姉様を、生まれてくる子を狙っているのは、おおたいムガ」
気が付けば私はハルに引き寄せられ、大きな手のひらで口を塞がれている。
「わかった、わかった。内容は把握した。今日まで一人でよく耐えた」
言いながら、口から手が離れて、乗せられた膝の上でヨシヨシと頭を撫でられた。
「うう…ハルゥ…ごめ…い、騙して、ごめんなさい!」
良い匂いがするシャツを涙で濡らして謝ると、頭上で息を殺して笑う気配がする。
「君が謝る必要はない。ここまで連れてきてくれて、礼を言うのはこちらだ」
どういう礼だ。意味が分からない。
だけどここふた月の緊張と孤独からようやく解放されて、気が抜けて私は涙が止まらくなった。
「カノン、そろそろ泣き止んで」
「……ぃ…っく…っく」
泣き過ぎてボーっとする私を、膝に乗せた状態からコロンと寝転んで、ハルが私を抱えてベッドに横になる。ギュッと抱きしめられて、背中をトントンされると、安心感でだんだん眠たくなってくる。時々ハルの名前を呼びながら、私は深い眠りに包まれた。
****
「顔色が悪いですね?」
馬上で首を捻って見上げると、眇めた目が見降ろしてくる。
「…そうですか」
「あ…お尻が?」
「寝不足です」
「眠れなかったのですか!?すいません、ベッドが狭かったんですね。私のベッドで寝て下さって良かったのに」
「どんな危険地帯でも眠れるのが自慢でしたが、一晩で崩れ去りました」
「それはお気の毒です」
私は近年稀にみる熟睡だった。あの宿のベッドは良いマットレスなのかもしれない。
「いい宿でしたね?」
「頭がいかれてる」
「ちょっと、どういう意味ですか!雇用主に向かって!!」
「普通あんなに喘ぎ声が聞こえる中で熟睡なんて出来ねぇわ」
「アエギゴエ?どんな声ですか?昨日の変な声のことですか?」
「………」
「母音が多かったですね。どんなロジックでしょう」
「ロジック…」
他愛無い話をしている私達は、ググだけを連れて先回りをして山道へと向かっている。もう少ししたら隠れる場所を見つけるのだ。
「……そろそろお喋りは止めましょうか…」
耳元で囁いてきたハルの言葉に頷く。私たちは山道におびき寄せられるお姉様達を狙って潜む王太子妃の手の者を捕まえる人間である。ややこしいな。つまりは最終捕食者だ。その目線から物事を捉えなくてはならない。
私の後ろから先に降りたハルが手綱を持ち、ゆっくりゆっくり木立の中を歩く。大分離れた下手の右側には延々と陽の光が当たる拓けた道が見えている。お姉様の馬車はその道を通るだろう。本来通るはずの平地の国道は、大木を積んだ荷車同士の衝突と横転事故で道が塞がれるのだ。
ふと、ググが耳をクルクルさせた。ハルがググを見る。私たちは息を殺した。
暫くして、一度謎の動きをした後、静かにハルがその場を引き返す。
大分離れた場所まで来て、私をググから降ろした。大きな岩の陰で先に座って胡坐をかくと、手を引いてくる。
「さっきの最後の動きにはどういう意味があったのですか?」
「柔軟しただけですよ。さぁ、ここに座って」
「そこって、ハルの上に座るの?」
「汚いし、冷たいでしょうから、どうぞ」
「ハルは痛くないの?」
「慣れていますから」
ふぅん。
有り難く座らせてもらい、差し出された水を飲んだ。
「さっきのあの辺り、誰かいましたか?」
「もう少し先の方ですが、多分ね」
「何人くらい待ち伏せしているのでしょうか」
「う~ん。結構いた気がします」
結構!!それは大変だ。
「私、頑張ります」
「そうなりますよね。はは」
「ハルの足手まといにはなりません!稽古もしてもらいましたし、きっと役に立てます」
「もう十分役に立っていただきました」
「今からが本番です」
ところで、と言ったハルが後ろから私に体重をかけてくる。おっも!!
「何ですか、重いです」
「ブラン・マンジェとやらの他には何が好きですか」
「それ今聞きますか?」
至極真面目にハルが頷く。
「大事なことだ」
なぜだ。意味不明。
「お…重たいです」
「じゃあ、答えないと軽くなりません」
「え~っ…えーっと、えーっと、なんでも結構キャラメリゼが好きです」
「は?あなたの好きなものは意味不明なものばかりだな」
「どうして?キャラメリゼは良い匂いがして皆好きでしょう」
「まず何を指してるのかわからん」
「ハルは世間知らずですね…ふぁ、おもい!!おもたい!!!」
ふっと軽くなって後ろを振り返ると、なんか嬉しそうな顔で笑っていた。
キャラメリゼを説明してあげて、あと十個の好きを言えと言われて教えてあげる。それからハルの好きなものも十個教えてもらって、嫌いなもの、普段何をして過ごしているのか、今まで読んだお話の中で一番どれが好きだったのかとか、尋ねられるまま生まれて初めてくらい自分のことを説明して、同じくらい気になってハルのことを聞いた。
「ハルのロジックは新鮮ですね。へぶしゅっ」
「俺のロジック?なんだそれ…寒いですか?」
「んー、少し」
ハルが立ち上がり、ググに付けた小さな鞄から布を取り出して私をぐるりと包んだ。そうして今度は横抱きにして座る。ギュッとしてくれると温かくなった。
「ハル、でももうそろそろあっちに戻らない?」
「あっち?」
「そう。お姉様達が通ったかどうか、ここにいたらわからないでしょう?」
「わかりますよ」
「どうやって?」
「キスしてくれたら教えます」
「は?」
思わず顔を見る。
「キス?」
「そう…ああ、キスは知ってる?」
馬鹿にするな。そんなの知っている!!知っているけど。
「なんでキス?」
「したいから。キスしてくれたら特典で護衛の給金をタダにしてあげましょう」
「タダになるの!?」
肩を震わせて笑っている。
「ちょっと、なに」
「いや、もう全然色気のある展開にならないから…まぁいいか」
「なにがいぅ」
んーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
ハルが私に口付けた。チュッチュッチュッチュと何度も角度を変えて口付けてくる。
なんだ!?なんで口をくっつける必要が今あったかな?いやぜんっぜん無いな!
「…ん……んん…」
だんだん、身体の力が抜けてきてしまう。
あーん…なにこれ…なんかへんなの…
岩場には、私とハルの立てる音しか聞こえない。
「はぁ…ん……ハル、ハル…」
「カノン、可愛い」
「ん…」
「団長」
知らない声が聞こえたのはその時だった。
「おー」
「いつまでやってんすか。鐘の音、聞こえたでしょ?終わりましたよ」
「悪い悪い、つい」
全然見知らぬ男が目の前に立っている。だれ?
「ちゃんと生け捕りにしただろうな。死んでたら殺すぞ」
「何度も言われてんですから、分かってますよ。全員生きてます」
「マリアン妃は」
「もちろんご無事で。お待ちです」
「よし、じゃあ行こう」
ポカンとする私を抱えてググに乗せ、ハルがあっと言う間にさっきの場所まで戻る。
「ハル!?」
「全部終わった。グレッグが…さっきの部下だが、あいつが言うから問題はない」
馬上でシレっとした様子でハルが言う。
どういうことなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!
****
舞い戻ったあの場所には、二、三十人の騎士団員と王家の紋章が入った馬車、近衛兵、生け捕りにされた男達が意識なく簀巻きにされて転がっていた。
「ご苦労」
軽く言ったハルに、全員が敬礼する。そうだ、騎士団長だった。
ハルがググから降りて手綱を引いて見回る。
「こちらに被害は?」
「殆どありません。少しかすり傷を負ったものがいたくらいですね」
「上々だな。全員速やかに王太子の許へ運べ。首を長くして待っているだろうから、さっさと持って行ってやれ。頭はどれだ?」
「コイツです」
「じゃあ、今すぐそいつを運べ」
指示を出すハルが、ふと振り返った。
「カノン、マリアン妃だぞ。行くか?」
視線の先、馬車の扉が開く所だった。慌てて私もググから降ろしてもらう。
「カノン!!カノン!!」
「お姉様~~~~~っ!」
走り出そうとするお姉様を侍女が慌てて抑えている。あ、ちょっとお腹がふっくらしているわ。そんなお姉様もかわいい♡
「そっくりだな」
小さく笑いながら、お姉様に向かって走る私の横にハルがついてくる。
私は大好きな柔らかい身体にそうっと抱き着いた。
「カノン!カノン~~っ!!会いたかったー!!」
「もう大丈夫ですよ、お姉様。ハルが悪い人を捕まえてくれました」
「ごめんね、ごめんね、こんなところまで貴女を呼び寄せたわ」
「何を謝ることが有りますか!私はお姉様の為なら何でもできます」
私達は身体を離してにっこりと微笑みあう。
あ~♡ 大好きなお姉様。
「ハルって誰なの?」
「ハルロイド・ノアイユ様です。騎士団長の」
「えっ。カノン、ノアイユ様とそんなに親しかったかしら!?」
「雇ったのです」
「はい?」
「ねぇ、ハル」
「ええ。カノン様の護衛のハルです」
「まぁ…え、どこまで本当?」
それから私はお姉様と一緒に馬車に乗り、無事に参拝を済ませてからまた王都まで帰った。ハルは事件の後処理の為に山中で別れた。それ以降は再び会うことなく、護衛の契約期間は終わった。
****
コンコンコン、と規則正しくノック音が聞こえる。
「はぁい」
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
扉を開けると老執事のガロンが困った顔で立っていた。
「どうしたの」
「応募者の方がいらっしゃっています。護衛の募集を見たと」
「あ~。きっと以前に見たものを覚えていらっしゃったのだわ。わかりました、お断りしますね」
あれからひと月近く経った。すっかり秋も深まり、もうすぐ冬を迎える。
無事(?)に王太子は犯人達から依頼者を割り出し、王太子妃の殺人容疑が明らかになった。だけど王太子と渦中の人マリアン妃は早々に示談を提案する。王太子妃はこれを飲んで離縁。莫大な慰謝料を大国が支払うことを約束した彼女の兄に引き取られ、帰って行った。
無事に繰り上げでお姉様は王太子妃になられた。
王太子殿下から今回の勲功を私に授与する申し出もあったが、無駄に目立ちたくないので勿論断った。私は参拝から帰宅して以来、念願の引き籠り生活に戻っている。最高だ。…たぶん。
玄関ホール近くの応接室まで出向き、扉を開ける。
ご足労を詫びてご帰宅頂くしかない。
応接セットの向こうに張られた格子状の窓ガラスの側には、深い赤の葉を揺らす木々を見上げる背の高い人が立っていた。
こちらへとゆっくり振り向いて、ひと月前と変わらぬ顔が見えてくる。
「ハル!」
「カノン」
広げてくれる腕に走ってまっすぐ飛び込む。
「元気だったか」
「はい!ハルも?」
「ああ。あれからちょっと忙しくて。会いに来るのが遅くなった」
「お姉様からお手紙を頂いて、大体のことは聞いています。新聞にもいろいろと載りましたし。事後処理は大変だったでしょうね」
犯人達は異国の出身者ばかりだったので、特に外交のない国の者の処遇については書面でのやり取りにかなり手間取ったようだった。私の許にも翻訳の依頼が来た。
「カノンの翻訳がほうぼうで登場した。頼もしかった」
「にひひ」
後ろでガロンがゴホンと咳き込む音が聞こえた。
おっとっと。淑女の私は大きな身体の中からスルリと抜け出る。
抜け出る最後に、ハルが上手に手を握って捕まえてきた。
「カノン、今日来たのは」
「ふふ、護衛の応募ですね」
「ああ…いや、そうだな、そうです。応募に参りましたハルロイド・ノアイユです」
「ハル?」
背の高いハルが、私の前に跪く。
「あなたの、生涯の護衛になりたい。募集はありますか?」
そうっと優しく持った私の指先に、小さく口付けられる。
戸口にたったガロンをチラリと見ると、にやりと笑って親指を立てている。
「はい、よろしくお願いします…!」
それから手を繋いで庭を散歩した。
「始めからお姉様のことがあって護衛に応募を?」
ずっと気になっていたことだった。
「ちょっと違うかな。王太子は幼馴染なんだ。ずっと王太子妃のことで悩んでいたのも、マリアン妃を大事にしていたのも近くで見てきた。時期的にも犬神参りがきな臭過ぎたから、フリーで動ける立場になってくれと頼まれて長期の休暇を取ることになった。警備の仕事が就くと動けなくなる。先回りして休暇を取った。あの時山中にいたグレッグや部下達にも休暇を取らせた。俺達が見守っていた姉君の参拝の道程は、さらに後ろから騎士団が付いてきていたというわけだ」
な…なるほど。
「だがまぁ休みを取ったは良いが、調べても調べても王太子妃は裏が取れない。君から聞いた後で分かったが、彼女も古語やニフタル語を習得している人間だったんだな。裏が取れないんじゃなくて、誰も理解できなかっただけだったが。煮詰まっているタイミングで君の護衛の話を王太子から教えられたんだ」
「王太子殿下からですか?」
「ああ。おかしいと」
「おかしいって?」
「極度の人間嫌いの君が知らない人を雇ってまで何かをするとなれば、絆の強いマリアン妃が関係しているんじゃないかって」
お察し能力が高いな。
「まぁ、そんなこと関係なくても護衛には応募したけど」
「なぜですか?」
「君の護衛なんてそんな役、他に譲るわけないだろう」
「なんかそれって」
急に顔が熱くなってきたぞ。
「ずっと前から好きだった。ほとんどひと目惚れだ」
「いつから!?」
「夜会で挨拶しただろう?マリアン妃の控室で」
「えっ、じゃあその時のこと、覚えているんですか」
「当り前だろ。こんなに可愛い人を忘れる男はいない。コルベール姉妹を狙う輩なんて掃いて捨てるほどいる。特に社交に出てこない妹は才女が過ぎて都市伝説みたいになってる」
いや、いないだろう。何言ってるんだ。
「マリアン妃…王太子妃と距離が近い者は、特に君を気にかけてる」
「どういうことですか?」
「妃は度々君の自慢をするから。優しくて甘いものが大好きで、博士号まで持つ天才なのに好きなモノの前では泥のように溶けてしまうとか?」
「そんなこと言ってるの!?」
「だからもっと、君と話がしたかった」
こそばゆい!妙な顔をしているだろう私の頬へ、ハルのキスが落ちてくる。
「護衛の募集に来たのが、ハルで良かったです」
「………」
本当は裏で募集の話自体を捻り潰していたことを聞いたのは、また後の話。
とにかくハルがムーンから出してはいけない属性だったのはよく分かった!!分かりました〜!
でも全然アンチコメントも楽しみに待ってまーす。
最後まで読んでくださってありがとうございました♡
次はなろう向けのメンズを書くぞ〜!