ヒヨコの都合
困ったことになった。
逃げよう。
それが、正直なトコロ。
ありえないだろう。
14歳もの年の差なんて。
ありえないだろう。
同性なんて。
少なくとも君には、ありえないだろう。
僕には、なくもないコトだけど。
同じ店に配属されて二ヵ月。
仕事を教える必要のない君を、ないがしろにしていたつもりはない。
見てやらなければならない入りたての女の子達がたくさん居たし、むしろありがたいと思っていた。
その状況に甘えていた。
だから君が些細な失敗をした時に、大げさに驚いてしまったんだ。
そして、たいしたことのない処理に、面倒くさいと呟いて、溜め息までついてしまった。
本人を目の前にして…それは普段の僕ならあり得ないことなのに。
気づいた時にはもう遅かった。
そんな顔をするなんて、思いもしなかった。
その表情を見たときに、はじめて気付いた。
君に頼り切っていたこと。
知らぬ間に、この短期間に、僕にとって信頼できる必要な人になっている事実。
思えばお互いの話もろくにしたことがない、プライベートは何も知らない。
なのに、僕はなんでこんなにも無防備に自分を預けていられたんだろう。
迂闊に感情を曝け出してしまうなんて。
全体に、均等に目を配らなくてはならない立場だというのにだ。
気配りだけじゃない。
緊張感も、警戒心も、君に対しては無意識に解いていた。
最初からではないはずだ。
君の最初の印象は
「ピヨピヨとうるさいだけの、ただの生意気な小僧」
と、最悪だったのを覚えている。
いったいいつから、こんなことになっていたんだろう。
傷ついて曇る、君の瞳。
戸惑う僕は、ここから逃げ出したくてたまらない。
はじめて真正面から向き合っている。
心拍が徐々に速くなる。
こんな時なんて言えばいいんだろう。
「俺は」
急に君が口を開いた。
僕は瞬きしかできない。
「俺は、店長のこと好きですよ」
「…は?」
言っている意味が解らない。
「店長は俺のこと嫌いですか?」
「え」
どっちに捉えたらいいのか。
普通に考えたら、普通の意味だよな…だけど、意識しすぎて思考を持っていかれる。
やっとのことで視線をそらしたら
「店長、なんでカオ真っ赤?」
向き直ると、今までに見たことのない、楽しそうな意地悪顔
「…ねぇ、なんで?」
・・・やっぱり、生意気だ。
最初の印象が正しかった。
このヒヨコには気をつけなければならなかったのだ。
僕はいつの間にか、彼の隣りに座りこんでいた。
「悪いけど、この場はスルーしてくれないか」
説明も釈明もできないほど弱り果てた僕は、やっとの思いでそれだけ言った。
「お断りします。俺にはスルーする理由、ないからね。…したくないし」
僕の肩に、その綺麗な顎を乗せて、最後の言葉は耳元で囁かれた。
肩にかかる重み。
背中の体温。
左手が、僕の鼓動を確認しに来る。
そしてクスクスと耳元で笑う、君。
これは嘲笑なのか?
涙が出そうになったとき、いきなり両腕で強く抱きしめられた。
「よかった。俺、嫌われてないみたいですね」
急に重みも体温もなくなって、振り返ると君は満面の笑みで立っていた。
「今日はすみませんでした。これから気を付けます」
ペコリと頭をさげて、もう普段の顔に戻っている。
「おつかれさまでーす!」
いや、いつもよりハイテンションではあるか。
で。
置き去りにされた僕は、どうすればいい?
もう、逃げ方も分からない…。