266話 樋口ラウラはさらけ出す
ラウラ・ヴェロニカ・ダ・シルヴァ・樋口は、生粋の日本人である。
父親はドイツ人と日本人のハーフで母親はポルトガル人だ。
父親の故郷である日本に住んでからラウラが生まれた結果、今までずっと日本で暮らしてきた。
元々の性格は他人に無関心。
口数が少ない子供であったが故にあまり他人とのコミュニケーションが取れなかった。
見た目が外国人のため、何度も茶化されたりしたが、あまりにも反応が薄いため、興味を失われた結果、自然とそういったイタズラもなくなった。
ラウラの転機は幼少期に見たテレビアニメだった。
ただ、無為な時間をずっと過ごしていたラウラは目を輝かせてアニメに没頭した。
最初から他人とは趣向が違ったラウラは、少女向け作品だけでなく、少年向け作品も貪るように見ていった。
そんななか、ファッションデザイナーという父親の職業柄、娘の服を作ってあげようと、様々な服をプレゼントした。
ラウラはあまり外には出なかったが、家の中でなら父親からもらった服は着ていた。
小学校中学年の頃だ。
ラウラは家の作業部屋で悩む父親の姿を見て、どうにか元気づけられないかと、母親に相談した。
そこで、二人で協力してなんとかアニメのキャラの服を作って、それを着て見せることで、父親を元気づけた。
娘大好きな父親は、喜んでラウラを抱き締め、感謝した。
それから、何かある度にラウラはコスプレ衣装を作り、父親に見せて元気づけるようになった。
しかし、小学校高学年の時だ。
くも膜下出血により、突然父親がこの世から去ったのは。
悲しみに暮れたのは母親だった。
いつまで経っても泣き止まず、それを見たお陰か、ラウラは冷静になれた。
涙は出なかった。
自分は感情表現が薄い。
だから父親の死に対しても悲しいとは思わない。
そう受け取られてもおかしくなかった。実際母親は、少しだけラウラの様子を見て、子供らしくないと感じたのは確かだった。
父親が亡くなってから半年後のことだ。
原宿を母親と二人で歩いている時にスカウトされたのは。
ラウラはすぐに読者モデルとしての契約をした。
既に身長は伸びはじめ、その美しい見た目は完成されつつあった。
外国人特有の顔の造りが、日本人離れしたオーラを小学生ながら放っていたのだ。
ラウラはお金が欲しかった。
死んだ父親に、自分の成長を見せるため、こんなに元気だよと見せつけるため。
コスプレ衣装を作ろうとモデルを通してお金を稼いだ。
ある日のことだ。
コスプレ衣装を作っていた時、部屋に入ってきた母親がそれを見るなり激怒して。全ての衣装を捨てていった。
そのコスプレ衣装を見た瞬間、涙を流し、泣き崩れ、ラウラから衣装を奪い取った。
どうしても苦しくて、衣装を見ていられなくなったのだ。
ラウラはショックだった。
まさか自分の母親にそんなことをされるとは思わず……しかし、同時に母親の気持ちも理解できた。
人によっては、大切な思い出は苦痛になるのだと、そう気づけたのだ。
しかし、ラウラは衣装作りを辞めなかった。
母親が家にいない時、中学校に上がると学校に持ち込んで、空き部屋を使って衣装作りをしたり。
隠れてコスプレイベントに参加したことも何度もあった。
その時は、口数が少なく、反応が薄いことでカメラマンたちを苦労させたが、それ以上にコスプレの完成度とキャラの表情やポーズの作り込みが凄すぎて、ラウラのコミュニケーション能力が低いことなど二の次になっていった。
そのお陰でSNSのフォロワーは中学生にして、異常な数字になっていた。
中学二年生になると身長も百七十センチに差し掛かっていたので、スタイルの良さからも、アニメ体型をうまく表現できたのだ。……胸を除いて。
高校はどこでも良かった。
昔から一夜漬けで勉強すれば、なんとなく点数は取れていたため、内申点もテストの点数だけで見れば評価は真ん中だった。
滑り止めの高校でも良かった。けど、母親に勧められた秋皇に受かってしまったので、行っただけだ。
さらに、ラウラには転機が訪れた。
なぜかいつも美少女に囲まれている男子生徒。
それほどパッとしない見た目だが、その姿はまさにアニメや漫画、ラノベでよく登場するハーレム主人公そのものだった。
日々のコスプレ衣装製作の傍ら、たまたま隣の席になった彼のことが目に入るようになった。
そして、このクラスには、美少女が多く、自分以外にもコスプレをさせて、初めての『合わせ』ができるのではないかと思ったのだ。
——こんなに友達ができたんだよ。
と、コスプレを通して、父親に自分なりの鎮魂歌を捧げたかった。
ハーレム主人公は、本当にハーレム主人公だった。
いつの間にか彼のハーレムに何人か追加され、嫌悪していた相手も不思議なことに今では絆されている。
だからラウラは彼に助けを求めたのだ。
事前に身体測定で抱きついて体のサイズを測り、そして彼に自分にはできない勧誘をお願いした。
最終的には、自分でお願いをすることにはなったが、彼がいなければ、絶対に成功することはなかったことは確かだった。
——なんだか、変な気持ちになった。
ハグとかキスとか胸を触らせれば、少しは自分の言うことを聞いてくれるとは思ったのだが、彼の行動原理はそんな下世話なものとは関係がなかった。
ラウラの話を真摯に聞いた上で、協力をしてくれたのだ。
今までにいなかった男子だった。
自分の見た目から言い寄ってきた男子もいれば、下心を持って仲良くなろうとしてきた女子もいた。
けど、そういった下心一切なしに関わり合いを持ってくれたのは、彼が初めてだった。
……いや、今思えば、委員長や宝条だって、同じように心配したり、着替えを手伝ってりもしてくれていた。
しかし、事件は起きた。
隠れて衣装作りをしていたはずが、夜中起きている時に母親が部屋に入ってきてしまったのだ。
ラウラが衣装作りをしている様子を発見し、怒り狂い、その場で全てゴミ箱に捨てられてしまったのだ。
彼——九藤光流にどう説明すればいいかわからなかった。
色々とショックで、その日は何もやる気が起きなかった。
だから一人になりたくて、外の水道場にうなだれていたのだが、そこに彼はやってきた。
『お母さんに、捨てられた……』
『ラウちゃん! 衣装作り直そう! 俺が皆に声かける! 皆でできるところまで作ろう!』
悩みを告げた時、間髪入れずに彼は協力すると言ったのだ。
ラウラは、その時初めて異性に涙に近いものを見せた。
そこからは目まぐるしい展開となった。
彼の協力で衣装作りを手伝ってもらうことになり、そしてそれは間に合うことになった。
事前に脅していた揺木先生も巻き込み、こうして、撮影へと相成ったのだ。
あまりにも彼にお世話になり、そして心を許してしまった。
だからだろうか。
もっと知ってもらいたいと、父親の墓参りに誘ってしまったのは。
——私も、いつの間にか彼のハーレムの一員になっていたのだと。
ラウラはようやくこの時気付いたのだ。
墓参りは、つつがなく終わった。
初めて友達……異性を連れてきての墓参り。
そもそも墓参りは友達を連れてくるなど、ない方が一般的。
それでもラウラは、彼に一緒についてきてほしかったのだ。
だから、彼の前で、願いを言ってしまった。
死んだ父親に向けて、願いを言ってしまったのだ。
また、気を遣わせて、巻き込んでしまった。
彼がそういう性格だと、嫌というほど見てきたのに。
『——ラウちゃんのお母さん! ラウちゃんにコスプレをさせてあげてください!!』
祖父母の家の居間に駆け込み、母親に土下座して懇願する、彼の姿。
それを見た瞬間、ラウラ——ラウラ・ヴェロニカ・ダ・シルヴァ・樋口は、再び瞳を震わせた。
◇ ◇ ◇
「——なっ!? アナタ! 何を言ってるんデスカ!?」
ラウちゃんの母親のカタコトの日本語。
それでも伝わってくる怒りを込めた語気。
しかし、俺は止まる気はなかった。
土下座をしながら、言葉を続けた。
「なんで、ラウちゃんがコスプレをしているのか、知っていると思います。もちろんアニメが好きでやっている部分もありますが、彼女は父親のためにもしているんです! 僕は聞きました。あなたが辛いことを思い出してしまうのだと! でも……それでも! 僕はラウちゃんにコスプレをさせてあげたいんです!」
自分勝手過ぎる、ラウちゃんの母親のことを一切考えていない発言。
殴られても殺されてもおかしくはない。それだけのことを言っているかもしれない。
だけど、俺は同級生であり、隣の席でもある、ラウちゃんの味方だ。
好きなことを、好きな人に捧げたいことの何が悪いのだろうか。
それは、いくら母親だって、止めることはできないのではないだろうか。
だからこそ、隠れてコスプレ製作を続けてきていたんだ。
「アナタね……っ」
「ラウちゃんは凄いんです! 知ってますか!? 彼女は父親とコスプレのために、大勢の人を動かしました! 僕は彼女からの言葉を聞いて協力しようと今回、他にコスプレしてくれる人の勧誘や衣装作り、撮影まで全部協力しました! ラウちゃんが言ったから僕は協力したんです! 他の人もラウちゃんの言葉を聞いて、協力しようとしてくれたんです!」
もちろん俺がお願いしたから協力してくれたという人もいるだろうけど、ルーシーだって、ラウちゃんからの言葉を聞きたいと言って、それを聞いた上で協力してくれた。
人の真剣さというのは、必ずしも報われるものではないが、今回は報われた。
それはラウちゃんが俺に相談してくれたから、実現したのだ。
「そんな行動、今までのラウちゃんがしましたか!? 友達を家に呼んだりしましたか!? ラウちゃんは子供じゃありません! もう大人です! 自分で好き嫌いを決めて、それに突き進んでも良い年齢ではないでしょうか! でも、それは大人が止めるべきではないと思ってます! もちろん、全ての家庭が子供に好きなことをさせられるわけではないと思います! でも……それでも……僕はラウちゃんにコスプレをさせてあげたいんです……!」
畳の床を見たまま、俺は大声で叫んだ。
ラウちゃんの母親がこたつテーブルを握りつぶすかのようにギリギリと掴んでいる音が聞こえる。
それだけ、怒っていると、わかるものだった。
「ブガイシャが何を言っ——」
「お母さんっ!!」
母親の火山が噴火し、俺に鉄槌を食らわせようと拳を振り上げたその時だった。
初めて、ラウちゃんの叫びが聞こえた。
今までにない、大きな、大きな声が、居間に響いた。
「ラウラ……」
「私……お父さんが大好き。それを好きなお母さんも大好き」
母親が喋る前にラウちゃんは、静かに語りはじめた。
「私の心に残ってる一番好きの思い出は、お仕事頑張ってるお父さんにお母さんと一緒に作ったコスプレを着て見せて元気にしてあげること」
「私がコスプレが好きになった原点は、それ……大好きなお父さんが元気になるコスプレ……お母さんもそれを見て笑顔になってくれたコスプレ……」
俺は、少しだけ顔を傾けた。
ラウちゃんは瞳を震わせ、感情がその眼に宿っていた。
しかしその表情は、どこか優しさを伴った微笑みだった。
無表情がノーマルなラウちゃん。しかし今の彼女は、どこまでも優しい顔になっていた。
「お父さんもお母さんも、コスプレも。大好きで、大好きで、大好きでしょうがないの。ねえ、どうしたら、お母さんはお父さんのことを思い出しても悲しくならない? コスプレで幸せな気持ちになれない? 私、お母さんと一緒にコスプレのこと話したり、一緒に衣装作ったり、昔みたいに楽しく笑いたいよ」
恐らくだが、ラウちゃんは、初めて自らの気持ちを母親に話したのだ。
そうじゃないと、ここまで真剣に伝えたりしない。
「アナタ……アナタがなぜそんなコト言うの! アナタが一番私の辛さをわかってるデショ! あの人はもういないの! いないからあの時の思い出が辛いの!」
「お父さんとの思い出は辛くない! 楽しい思い出しかない! お母さんだってわかってるはず!」
「ラウラ! なぜワカラナイノ! この——っ!!」
「おい、マルティナっ!」
ラウちゃんの反論に対し、母親が手を振り上げた。
すると祖父が止めようと母親の名前——マルティナと呼んだのだが、その手はそのままラウちゃんの顔に——、
——バチンっ。
「…………っ」
「ぁ…………」
「く、九藤っ!」
自然と体が動いていた。
俺はラウちゃんの顔を傷つけたくなくて、自ら二人の間に割って入った。
すると綺麗に俺の左頬へとマルティナさんのビンタが炸裂した。
外国人であるからかわからないが、その威力は、これまでにルーシーのあられもない姿を見た時にされたビンタとは比較にならないほどの痛みだった。
俺はそんな痛みでも、倒れずに耐えた。
だって、言いたいことがあったから。このくらいの痛み、屁でもないのだ。
「マルティナさん……でしたね。僕は家族に亡くなった人はまだいません。ですからマルティナさんの痛みはわかりません。でも僕は大事な人と一緒に交通事故に遭って、お互いに死にかけたことがあるんです。……なんで今こんなことって言うかもしれませんけど、それだけ死って、人に大きな影響を与えるって、わかってるつもりです。落ち込んでた時もあったんです。辛くてどうすればいいかわからなくて前に進めなくて。でも、それを救ってくれたのはいつも友達でした」
ラウちゃんの父親とルーシーとを比べるのは筋違いだし、マルティナさんにとってはどうでもいい話。
でも俺の口は止まらなかった。
「誰かが前に進もうとしている時、誰かが後ろ向きな気持ちで時間が止まっている時。近くにいる人こそ、変えたいと、前向きに変わってほしいと思っているはずです。それはラウちゃんがマルティナさんに思っていることでもあります」
「そ、そんなコト、ワタシにとっては……」
ギリギリとマルティナさんの歯ぎしりが聞こえる。
「——マルティナ。知ってたかい?」
すると、ずっと黙っていたドイツ人の祖母が声を上げた。
彼女の日本語は、もう何十年もここで暮らしているからか、とても流暢だ。
「息子はね。たまに一人でうちに顔を見せる時、いつも言っていたよ」
「な、なんですか……」
「素敵な奥さんと可愛い娘を持って、自分はどれだけ幸せなんだってね」
「————っ」
その言葉を聞いた瞬間、マルティナさんの目が水気を纏って揺れた。
「どちらかと言えば息子は、ラウラちゃんみたいなタイプで、仕事とか好きなことに没頭するタイプ。それなのに自分と結婚してくれたマルティナのことをこれでもかと愛していたよ」
「ワ、ワタシは……それでも……辛いコトには……」
わなわなと唇が震えるマルティナさん。
「こうも言っていたよ。——家族にはいつも笑っていてほしいと。だから自分は仕事を頑張っていい暮らしをさせてあげるんだと。いつだったかね……写真を見せてくれたよ。ラウラちゃんがコスプレをした写真を可愛いだろって、二人で俺のために作ってくれたんだって見せてくれて……宝だって言ってたよ」
「あぁ……っ」
マルティナさんは祖母の言葉で耐えきれなくなり、両手で顔を覆った。
溢れる涙が、指の間から漏れ出ていた。
「あなたとラウラちゃんを大事に想って、それでいて宝だと言ってくれる。これでもまだ辛い記憶だと思うかい?」
「ぁ……ぁぁ……っ」
嗚咽混じりにえずいていたのは、マルティナさんではなかった。
俺のすぐ隣にいたラウちゃんだった。
マルティナさんと同じく、両手で顔を覆っていた。でも、涙は流れていなかった。
しかし、これがラウちゃんなのだ。
泣かずとも涙を流せてしまうのだ。逆に言えば、涙は出ないが、泣けるということでもある。
「息子はあなたが悲しい顔をしていることを望んでいないと思うよ。……だから、そろそろ前を向いてもいいんじゃないかしら? それに私も驚いてるわ。ラウラちゃんのためにここまでしてくれる友人がいるんですもの。それって、凄いことじゃないかしら。息子を元気づけるためにはじめたコスプレが、巡り巡って、田舎にあるこの家まで人を連れてきている。これって、凄いパワーだと思わない?」
「ぅぅ…………ぅぅ…………」
マルティナさんもラウちゃんと同じく、嗚咽混じりの声を漏らしはじめた。
湿気が強くなった居間の空間。
すると、祖母が立ち上がった。
「あなた、少し出るわよ。二人に話し合いをさせましょう」
「おう……」
「あとあなた、九藤くんと言ったわね。あなたも一緒に行くわよ」
「は、はいっ」
俺は祖母にそう言われ、家から少し離れることとなった。
泣いている二人を残して、三人で家を出た。
◇ ◇ ◇
「——あなた、ラウラちゃんの恋人ってわけではないんでしょう?」
家から十分ほど離れた場所に設置されてあった、バス停のベンチ。
俺とラウちゃんの祖父母はそこに座っていた。
「はい……」
「いいのよ。あの子のために色々とやってくれていたみたいだし、あなたのような人がラウラちゃんの近くにいて良かったわ」
「今日は僕がここに来ましたが、ちゃんと他にも友達がいますから、ラウちゃんのことは安心してください」
「そう。なら良かったわ」
祖父母二人共優しそうな人だった。
祖母は見た目がドイツ人だが、あまりにも日本語がうまくて驚いてしまう。
「これからもあの子をよろしくね」
「はい……」
息子を失って悲しいのはマルティナさんだけではない。
この祖父母だって悲しかったはずだ。
しかし、この二人はそれを受け入れ、マルティナさんはまだ受け入れきれていないということなのだろう。
ラウちゃんとマルティナさん。
どんな会話をしているのだろうか。
口数の少ないラウちゃんを一人にして大丈夫だろうか。
とても心配だ。
◇ ◇ ◇
「ラウラ………」
「私のこと、一発殴る?」
「アナタ……極端すぎるのよ」
いつもそうだ。
ラウラはゼロか十か、その中間というものがわからない子供だった。
怒ることも、泣くことも、笑うことも少ない子供だった。
それなのに、コスプレをしている時だけは、少しだけ笑顔だった。
その唯一の笑顔を奪うこと。
親がそんなことしても良いのだろうか。
いつだって思っていた。
しかし、感情がそれを許さなかった。
大好きで大好きで、思い出すと辛くなるほど大好きで。
いつの間にか家には、旦那との思い出の品は棚の奥底へとしまうようになってしまった。
「そこまでして、コスプレがしたいの?」
「したい」
今までにないほどの強い意志だった。
ラウラがこれまでに、自分の意見を主張したことがあっただろうか。
成長してから初めてと言ってもいいだろう。
いつから娘のことをちゃんと見ていなかったのかと、マルティナは今になってやっと気づいた。
自分がずっと旦那の死に囚われ、娘のラウラのやりたいことを狭め、足踏みさせている。
読者モデルになったからと、娘に人気が出て有名になってきたから、嬉しいものだと思っていた。
しかしそれは違った。
全てはコスプレのため、お金の使い道はわかっていたはずなのに。
「他にやりたいこと、ないの?」
「お母さんと旅行したい」
「え…………」
マルティナはそう言われてハッとした。
いつから旅行に行っていなかったのかと。
昔はどこに出かけるにも三人一緒で……でも旦那が死んでからは、一度たりとも旅行には行っていなかった。
全ての時が数年前から止まっていたのだ。
「九藤たちと、少し前に勉強合宿した……結構楽しかった。お母さんとも、したい」
「ラウラ……」
マルティナは立ち上がり、ラウラに近づいた。
そして、優しく抱き締めた。
「ラウラ……今までゴメンナサイ……悪いママで……」
「ん……大丈夫……」
「アナタの好きに……コスプレしなさい。お父さんも喜ぶハズ……」
「ん……」
樋口親子は、数年振りに心を通わせた。
◇ ◇ ◇
「——ラウちゃん」
しばらくしてから祖父母と家に戻ると、ラウちゃんと母のマルティナさんがこたつテーブルを囲んで座っていた。
話は終わったようだった。
「ん。ありがと」
「うん」
その感謝の言葉だけでよく理解できた。
多分母親と和解できたのだと。
「クドウ、くん。色々と迷惑かけたわ……ゴメンナサイとアリガトウ」
「いえ、こちらこそ色々と言ってしまってすみませんでした」
マルティナさんの物腰は柔らかくなっていた。
人の家庭の事情に首を突っ込むなど、本当はしてはいけないことだ。
今回はうまくことが収まったが、安易にするものではない。
「そうしたら、僕はこれで帰りますので」
「私も帰る」
陽は夕方に差し掛かっていた。
「また遊びに来なさい」
「はい……今度は別の友達も連れて……!」
家を出る時に、ラウちゃんの祖母にそう言われた。
俺は明るく返事を返した。
マルティナさんはまだ少しここに残るようで、俺とラウちゃん二人で帰ることとなった。
…………
「九藤……また助けられた」
「うまくいって良かった」
誰も歩いていない畑の間の道を通る中、ラウちゃんに再度感謝を伝えられた。
「これで心置きなくコスプレできるね」
「うん……今年の学園祭は皆に凄いもの着せてあげるから楽しみにしてて」
「マジか……」
学園祭と言えば◯◯カフェとか、コスプレ喫茶とか、衣装を着るイメージがある。
中学校ではそういった経験はなかったので、高校での出し物には興味がある。
学校行事なので、さすがに際どい衣装は着られないとは思うが、ルーシーの家で一度メイド服を着ているのを見たので、別の衣装も見てみたい……。
「九藤」
「何度も呼ぶね……何?」
「————好き」
脈絡が一切なかった。
俺はラウちゃんの少し前を歩いていたため、立ち止まって振り返った。
夕日に照らされてか、ラウちゃんの顔が赤くなっているように感じた。
「こういうこと、他の人にもやるから、九藤のこと、好きな人増えるんだね」
「いや……だって、体が勝手に動いちゃうから……」
「知ってる。九藤はそういうやつ……だから今日好きになった」
「あ……でも……」
ラウちゃんの最大の悩みだったであろうコスプレと父親に関すること。
それが今日解決してしまった。
もちろんラウちゃんだって、好きという気持ちがあるから俺があんな行動に出たのではないとわかっているはずだ。
でも……ということだろうか。
「九藤……」
「え、あ……な……っ」
「——んっ」
ラウちゃんが突然近づき、避けるまもなく、俺の頬にキスをした。
それは柔らかく、雲のようにふんわりとした感触だった。
「ちょっ……」
「宝条のこと、好きなのは知ってる」
ラウちゃんは被っていたキャップを深く被り直し、目元が見えないように隠した。
「だから私は愛人——第二夫人でもいい」
「そ、そんなの……」
「藤間もいるなら第三夫人か?」
「そういうことじゃ……」
理論が破綻している。
現代日本で複数人と付き合うなど、絶対にあり得ないし、許してもらえることはないだろう。
「異世界じゃ当たり前。ハーレム主人公は他の人を悲しませないために、全員と結婚する必要がある」
「でも、それは……」
「知ってた? ハーレムって、実はラブコメの中でも、一番のハッピーエンドだって」
「ぁ…………」
つまりラウちゃんはこう言いたいのだろう。
誰か一人を愛すれば、他の人を切り捨てなければいけない。その他の人はどうなるのか。バッドエンドとはいかないが、悲しい思いをすることになる。
しかしハーレムなら、自分を好きな全員を愛することで、悲しませることはないと。
「九藤はどうせ宝条しか目に入ってない」
「うん……」
それはルーシーと出会った十歳の頃からずっと変わっていない。
「私は小さいことに縛られない。宝条がいても、私は九藤に寄り添える。できれば、私の処女をもらってほしい」
「話が飛躍しすぎじゃない!?」
「好きになる男の子、多分この先九藤しかいない。私はずっと独身」
「その言い方はズルいよ。まだ十五年しか生きてないんだからさ……」
俺よりも良い相手がたくさん出てくるかもしれない。
ラウちゃんはちゃんと会話すればモテるだろうし、オタク趣味も理解してあげれば、一緒になって楽しむことだってできる。
「頭の隅に置いておいて。宝条と喧嘩したら、私が体で慰めてあげるから」
「それは浮気だろ」
「まだ付き合ってないなら浮気じゃない。合法」
「……正論だ」
ラウちゃんの思考はエロい作品を読みすぎているせいで、性に関して開放的だ。
しかし、それは恐らく俺に対してだけ。
でも、俺はラウちゃんとそういった関係になることは考えていない。
「じゃあ、ハグくらいなら良いよね」
「ハグ……って、わっ!?」
キスの次は、ぎゅっと力強く抱き締められてしまった。
ラウちゃんの細くしなやかな体。細すぎて心配になるが、その体は温かかった。
日本人とは違う、外国人の濃い良い匂いがして、背の高さから俺がラウちゃんの腕にすっぽりと収まっている感覚になる。
「…………長いね」
「ここ、誰もいない。もうちょっと」
既に一分が経過していた。
しかしラウちゃんは一向に俺を離す気はなかった。
「九藤とくっつくの、良いかもしれない」
「……色々と困る」
「学校でもくっつく」
「それはダメ!」
「私がくっついたら宝条が焦って、もっと積極的になるかもしれない」
「それは……でも、俺はそういう駆け引き、ルーシーとはしたくないからダメ」
「ああん」
さすがに長かったので、俺はラウちゃんの腕を振りほどいた。
名残惜しそうに、ラウちゃんはまだ手をぶらつかせていた。
「九藤」
「うん」
「好き」
「…………」
「好き」
「…………ごめん」
「でも好き」
「…………」
しずは以上に、諦めない人が現れたかもしれない。
ラウちゃんは、無表情で何を考えているのかあまりわからないが、一つ決めたことに対しては意志が強いように思えた。
コスプレだって、隠れて作っていたしな。
「あ、そういえば、九藤への要求」
「え……」
「手伝う条件のやつ……あれ、皆で一緒に水着を買いに行くことになった」
「なにそれ!?」
また、厄介なトラブルが起きそうなイベントが、ラウちゃんから知らされることとなった。
夕日に照らされるラウちゃんの横顔。
キャップを抑えながらダークブロンドの髪が風に揺れる。
どこか今のラウちゃんはとびきりの笑顔をしているように感じた。
無表情だけど、俺はそう感じたのだ。




