第一話 「ヴァイオレット・ヴァレッタ」
「ここ、なのか?」
都市部の街中で、スマホの地図を確認すること複数回。通り過ぎること一回。地図音痴の俺がようやくたどり着いたその場所は、何の変哲もない雑居ビルだった。飾りも看板もないせいで、周囲のビル群に完全に埋もれている。
そんなビルの入り口は通路なしに直接階段とつながっていて、俺は一段一段が高いさびれた階段を手すりに手をかけながら踏みしめるように登っていく。
途中、郵便受けらしき金属の塊を見かけたが、壁同様さびやらなんやらで茶色く汚れていた。洞窟の中にでもいるように薄暗いのは、昼間ゆえに自動照明が点灯していないせいだろうか。目的地の三階は、なんともシンプルで、飾り毛がなかった。唯一、黒地に金のつたが額縁型に這った看板が、この店の入り口であることを示していた。
『ヴァイオレット・ヴァレッタ』
それがこの店の名前だ。下には禁則事項と称して、キャストにしてはいけないことがまとめられていた。触れることや誹謗中傷を禁ずるのはわかるが、どうもこの店では私生活や年齢をたずねることも厳しく禁じているらしい。世界観が壊れるからだろうか。
まぁいい、入ろう……とは思うのだが、ここでためらいが生まれる。ドアノブに伸ばした手を虚空につかんだまま静止させ、脳内で会議を繰り広げる。
「いや待て、そもそもどうしてこうなった」
「決まっているだろう、最近はやりの電話できるSNSアプリ、ライフコードで知り合った変な外国人と意気投合してその場のノリで、だ」
「おかしいだろ、いろいろと」
「いいじゃん楽しいんだし、ゴーゴー!!」
「お前はさっきから例の外国人に影響されすぎだ!」
などというように、不毛すぎる脳内会議が止まらない。そうして扉の前でドアノブに手を伸ばしたまま固まっていると、
「あ……」
ふと声がする。脳内会議のそれではない。現実の、それも女性の声だった。
振り返ると、階段の途中で全身黒のフリルでかためた黒ぶちメガネのなんともゴシックな女性が目を丸くしてこちらを見ているではないか。と、ここで、禁則事項その二が脳裏を過ぎる。
『二.キャストの出入りを待つ行為』
お分りいただけただろうか。ここは店の前。そしてそこで、なんか変な体制で立ち尽くす危険人物が一人。はい、アウト。
立ち止まっていた女性が、歩を早めてずんずんとのぼってくるではないか。
まずいまずいまずい。脳内は緊急アラートが鳴っててんやわんやだ。この状況を打破する手立てはただ一つ。さっさと入ること。俺は意を決し、ドアノブを回した。