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ハガネ2

 それは月のきれいな夜。

 わたしとベルッティがアーカードに会食に連れられた帰りのことだ。


 片手には生首を、もう一方には輝く幅広剣を持った青年とはちあった。

 

 そういえば最近、連続殺人事件が起きていた。

 彼はきっとその犯人だろう。


 警戒するアーカードとベルッティを無視して、青年はわたしを見ていた。

 何だ、何故わたしを見る?


 嬉しそうな顔をして、青年は逃げ出した。

 妙に金のかかった服を着ていたことと、あの熱のこもった視線が少し気になったけれど、それだけだった。


 一週間後、青年はルキウスと名乗ってアーカードに会いに来た。

 

 わたしが欲しいというのだ。

 

 確かにわたしは奴隷で、アーカードは奴隷商人だ。

 街でたまたま見かけた奴隷が気に入って、購入したいというのはわかる。


 しかし、月夜の晩に殺人を犯した直後に見かけたとなると、異常だ。


 なんというツラ皮の厚さだろう。

 暗い夜だから、気づかれないとでも思っていたのだろうか。


 普通、自分が殺人を犯して生首を持った姿を目撃されたら、隠れるだろうし、目撃者に見つかれば逃げるか、口封じに殺そうとするはずだ。


 だというのに、このルキウスという青年は自分が捕まることなど微塵も考えていないようだった。


 アーカードは最初こそ渋っていたもののルキウスが600万セルスもの金を出すと言い出すと、すぐに手のひらを返した。


 通常、わたしのような子供の奴隷の相場は300セルス程度。利口で読み書きのできるミーシャですら400万セルスだった。


 文字すら読めないわたしが600万セルスは破格だ。

 だからこそ、とても怪しい。


 しかし、奴隷商人であるアーカードにリスクはない。

 リスクがあるのは、何をされるかわからないわたしだけだ。


 だから、アーカードの判断は当然なのだろう。

 

 そうして、わたしは売られた。

 

 

 

 ルキウスは気前のいい男だった。

 やはり金があると人生というのは楽しいのかもしれない。


 そんなことはないのだけど。

 少なくともその時のわたしはそう思っていた。


 ルキウスは特に働く事も無く、毎日適当に酒を飲み歩いていた。

 遊びほうけて家に帰る、そしてわたしと話をして寝るのだ。


 わたしの昼の仕事はルキウスのちょっとした身の回りの世話と、酔ったルキウスに「ルキウス様、そろそろ」と声をかけ、酒に伸びる手を止めることだ。


 9歳のわたしが酒場に連れられていいのかとも思うけれど、文句を言う者は誰も居ない。幸いルキウスはわたしに酒を飲ませようとしなかったので、法に触れずに済んだ。


「だから、私は言ってやったんですよ。そんなことをしていると、女神ピトスの罰が下りますよってね。」


 酒を片手に管を巻いていた連中が「お前が言うな」と笑う。


 酒場で笑うルキウスは、心から楽しそうな顔をしていた。

 

 ルキウスには軽率に女を抱いては捨てる悪癖があったし。


 女と情事に及ぶ際、9歳のわたしを見張りに立たせるという非常識な面があったけれど。彼は自分のクズさを理解していたし、むしろ愛してすらいるようだった。


 だから、誰かに馬鹿にされてもこうして笑っていられるのだ。


 わたしにはとてもできないことだ。

 それに、ルキウスは連続殺人鬼だ。人を殺して殺し続けているのだ。


 自責の念に苛まれているようにも見えない。

 昨日だってあんなに殺したのに、なぜその翌日には旨そうに肉が食えるのだ。


 なぜ、他人を殺す自分を愛せる?

 どんな価値感を持てば、そこまで傲慢で自由になれる?


 人を殺したくて、殺したくて。

 殺したくて仕方の無いわたしが、しあわせになる方法がそこにあるのかもしれなかった。


「殺せ、殺せ」と。


 いつだって、頭の中に鳴り響く。

 きっとわたしをこんなにしたゼゲルを殺したところで、この声は消えてくれないだろう。


 ならば、いっそ。

 そんな自分を愛すしかないのではないだろうか。


 間違いも不正義も、すべて抱きしめたままに。


 夜がくる。月がのぼる。

 ルキウスが殺しの準備を手伝いながら、わたしはふと聞いてみた。


「ルキウス様はなぜ人を殺すのですか?」

 

 きょとんとした顔をされたのを覚えている。

 わたしは人の顔を覚えるのが苦手なのだけど、この顔は永遠に忘れないだろう。


「え、ハガネならわかってくれてると思ってたけど。」

「殺したいから、殺すんだよ?」


 わかる。

 とてもわかる。


 安易な気持ちで、軽率に人の首を()ねて回りたい気持ちはとてもわかる。


 きっと、ルキウスはわたしと同じ病気なのだ。


「ああ、私が捕まるんじゃないかと心配しているんだね。大丈夫、私は捕まらないよ。」


 それは虚勢でも、鼓舞でもなく。

 石を持ち上げて手放せば落ちるくらい、当たり前のことのようだった。


「君だって殺したことくらいあるだろう? 瞳を見ればわかるよ。」


 そうだ。

 確かにわたしは殺している。


「でも、捕まっていないじゃないか。」


 ……そうだ。


 わたしはリネイを殺した。

 そして、ルキウスの言うとおり、捕まっていない。


 ルキウスが両手を広げる。

 わかったかい? 君はもっと自由なんだよ。とでも言うように。



「考えてみてくれよ。朝起きたら死体が転がっている、犯人はどこかにいるはずだ。ここまではわかる。その通りだ。」


「でも、そこからはどうにもならない。ナイフでも刺さっていれば持ち主を探せるだろうけど。私はそんなもの残さない。」


「血がついたなら、洗えばいい。」


 その服を洗っているのはわたしだ。

 血痕が残らないよう、ルバブの粉まで使ってきれいに洗っている。


 しかし、疑問は残る。

 既にルキウスの犯行は何度も目撃されている。


 人々の目の前で殺人を犯して、なぜ殺人者扱いされていない。


「私の家はここら一帯の土地の所有者でね、家の賃貸業もやっている。みんなこのアルタイル家に家を借りているんだ。借りられなくなったら、どうなると思う?」


 住む家がなくなれば、家から出るしかない。

 外に放置された家財は瞬く間に略奪されるだろう。浮浪者の仲間入りだ。


 そして、その浮浪者は夜な夜な首を刎ねられて死んでいる。


 誰だって、胴体と別れを告げたくはないだろう。


「たまたま私の殺人を見たとして、犯人だと言ったとして、誰が信じる? そんなことをして私の親に何をされるかわからないのに。」


 結果、見て見ぬ振りをするのが一番いい。

 だって狙われるのは身を持ち崩した浮浪者ばかりなのだ。


 自分たちは狙われないと考えるアルタイルの住民たちはルキウスを捕らえない。

 むしろ、自分たちに害が及ぶことを恐れてひた隠しにする。


 その結果がこの連続殺人事件だった。


「さぁ、殺そう。殺しに行こう。」

「この世に神はいないのだと。世界はもっと自由なのだと。知らしめに行こう。」


 なんという眩しさだろう。

 人を殺したくなる病気のわたしに、ルキウスは眩しすぎた。


 理想の世界だ。


 好きなだけ殺せる。

 どんなに殺しても、咎められない。


 心が強く揺れるのを感じた。

 いつまで自分を押し殺して、抑え込んでいるつもりだろう。


 やりたいことを、やりたいようにすればいいのではないだろうか。


 自由な世界を前にして、欲望が鎌首をもたげる。


 それにしても、金と権力というのは恐ろしいものだ。

 現状、誰もルキウスを止められない。止められるものなどいなかった。


 少なくとも、当時のわたしはそう思っていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 アイエエエエ……不穏なアトモスフィア……。
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