卑屈な他者貢献
六月の中旬、今日は有志の学生たちが主体となる町中の清掃運動に参加することとなった荒校生の二人。どうも安東の話では昔から定期的に実施されてきた伝統奉仕らしいが、戦の興味の範囲内には絶対入らない話だった。早朝から始まったこの清掃活動だが、参加人数は少なくないようで、高齢者や小学生もいて戦は自身の地元愛のなさや奉仕の心の欠如にやや落胆した。配布された袋は空き缶やボロボロの雑誌などで半分ほど埋まっていたがまだ終わる気配はない。戦は町の想像以上のごみの量に驚嘆と失望を抱いていた。
「よし、この辺りはとりあえず完了で構わないだろう。それじゃあ、次は公園近くへ向かおうか」
「「はい」」
主催者側から派遣されたグループの代表者が指示を促す。今回は少人数グループに別れて事前に決められていたエリアごとにゴミ拾いをするという至ってシンプルなもので、もちろん戦と紅井は同じグループだ。他のグループたちはせっせと次のエリアへ向かうようだ。
「えっと、何時までやるんでしたっけ、先輩?」
「夕刻17時頃だ。つまり、あと一時間半程だな」
「十時間もゴミ拾うの割かし苦行なんですけど。若干気温も湿度も高くて、早く涼しい部屋に戻りたいです」
「たまに見つける服とか靴とか自転車の部品とか、見ていて興味深いじゃないか。特に驚いたのは灯油ストーブと裸の女体の写真集だな」
紅井の方はどうやら楽しみ方を見出したようで、戦は彼女の順応性の高さの方に驚かされていた。戦が言ったように、現在の気候は外で活動するやる気を削ぐ状態だった。だがしかし、戦は文句を漏らしながらも決して手を止めることをよしとは言いにくい状態にあった。
「夏門くん、どれくらいゴミ溜まった?うわ、けっこう頑張ったみたいだね」
「ああ、梅咲さん。梅咲さんはもう一袋埋まったんでしょ?そっちこそがんばっているじゃないか」
「ふふ、まあね。そうだ、水分はちゃんと取ってる?さっき貰ったお茶あげようか?」
「いや、まだ自分でもらった分が残っているから、大丈夫。お互い熱中症には気を付けないとね」
梅咲が参加していたのだ。戦の学校で唯一静かで心地の良い時間をくれる彼女だが、今回のように校外のイベントにも積極的に参加しているらしい。偶然同じグループになったことを知った戦は、彼女も頑張るに違いないから失礼のないように、と自分を鼓舞してゴミ拾いに精を出しているのだ。
「それにしてもまさか、校外で夏門くんに会えると思ってなくってびっくりしたよ」
「まあ、先生の頼みとあっちゃあ断れないというか」
「理由なんて別にいいんだよ。こうやって参加して、結果誰かの力になってることは尊いことだよ」
「そっか、誰かの力に、か」
戦がとある言葉に引っ掛かったとき、ちょうど梅咲が代表者に呼ばれたようだ。梅咲は小さく手を振って、そのまま向かった。
「どうしたんだ、仲のよさげな女子と話していたというのに活力が微量だな」
「こういう行為は、理由云々じゃなくて結果的に影響があるかどうかが大事らしいですよ。これも人助けなんですかね」
戦はやや神妙な顔つきで虚空を眺めながら、話しかけてきた紅井に問うた。紅井はあまり見覚えのなかった反応を見て、返事が一拍子遅れたが、それを悟らせまいとすぐに返事を返す。
「そうだな。誰かが助かったと思っていて、感謝の気持ちがあるのなら、一応成り立っているんじゃあないか?誰かの苦労を少しでも解消してやろうというのはそれなり善行で、稀有なことなんじゃないか?」
「でもそういうのは、陽キャとか兄みたいな純粋なボランティア精神がないと、なんか足りないって思ってしまうんですよ。俺のはただの真似事っていうか、誤魔化しっていうか。本当に輝いてる人たちには敵わないですよ」
紅井はやや陰り始めた戦の様子を見て、溜め息を一つ。そして腕を大きめに振って戦の背中をばしんと叩いた。
「いった!なにするんですか」
「君は生意気だな。それは彼らに夢を見すぎだ。彼らの性格や志、やり方や在り方が自分より優れていると結果が変わるといっているなら、それは少々曲解していると思うがね」
紅井は眉を吊り上げ、戦の方を呆れたように軽く睨む。
「そもそもなんで君はその、“輝いている人たち”を持ち上げて、自分を日陰者のように貶めているんだ?」
戦にとって自分は目立たない影にいる人間で、それは日々精進し活き活きとしている人間たちに劣る存在なのだ。そんな彼らの生活圏を“眩しい”ものとして見てきた。戦は“影にいる者”である自分は一生そこに行けない、影を完全に消し去ってしまって、存在していられないのではないかと考えていた。
「眩い世界がこの世界の尊ぶべきもので、そこに影は存在していられない。影に巣くっていた俺はその段階には行けないんです。そう、学んだんです」
「何をいっとるんだ」
紅井は戦の空いた方の手を握りながら、瞳を覗き込ませる。心なしか儚げな紅が差したようにも見える。戦はその視線に目を奪われつつも、自分の視線は瞳の奥には入っていかない。
「君は若い。その若さは決して悪いことじゃないが、世界は若芽だけでできているわけじゃないだろう。君は光を取り込み、受け入れた気になっているだけだ。そのまま終わっては、本当に見るべき光を見ることは叶わない」
「なに言ってるのか、これっぽっちもわかんないです。てかどうしたんですか、急に早口になって」
「本当はわかりかけているはずなんだ。なぜ時間稼ぎをしようとするんだい?向き合うんだ、君の青ざめた心像に。手遅れになる前に」
戦は思考を超加速させ意図を汲もうとしたが、辿り着く前に名前が呼ばれた。
「夏門くん、もしよかったら今度は一緒のところでやらない?」
「ああ、いいよ。今行くよ」
話の腰は完全に折られてしまったので、戦の思考は自ずと停止する。なんだか聞きたくて、言い返したくて逡巡したはずだったが、戦が気づいたときには空の彼方へ行ってしまった。ゴミ掃除のことをふと思い出した戦は紅井の方に向き直る。
「じゃあ、お先に行ってきます」
「ああ、わかったよ......」
簡素な別れで話は終わった。戦はまだ頭で紅井の問いかけで渦巻いている精神を整えようと作業用の頭へ切り替える。一方紅井は歯噛みしていた。
「......少しやり過ぎたな。私もなんでこう不器用なんだ」
空は暗い色の雲で覆われ始めていた。梅雨の匂いがした。