夏の門
初めまして、九鱗集です。初心者ですゆえ駄文が目立つかもしれませんが、興味を持っていただければ幸いです。基本は客観視点で話を進めます。
五月も終わる頃、垂れ流していたテレビから大型の低気圧が日本に上陸しようとしていることを伝える声が聞こえた。画面上には昨年の台風の様子が映され、視聴者に警戒心を促している。
しかし、この春に地元の公立高校に入学したての男子高生、夏門戦は少々異なる観点から台風について思案していた。彼は任務遂行のために僅かな苛立ちを階段の軋む音に込めながら声を上げた。
「兄貴、起きろよ! もう昨日頼まれた時間になったぞ」
「う~ん......」
激動する物事の中心となる人物を例える「台風の目」という言葉がある。戦に起こされた兄である昇はまさにその言葉を体現した人物なのだ。見た目も才能も特質して秀でているわけではないにも関わらず、ことあるごとに事件の渦中にいて、挙句周囲の人間を巻き込んでいく。そんな彼に対して戦は「台風の目」と密かに呼んでいるのだ。
「ああ、そろそろ行かないと早乙女会長に叱られるな」
「ったく。生徒会でもないのになんで手伝ったりなんてするんだか」
季節は初夏、うだるような暑さ、蝉のざわめき、さらに兄へのモーニングコールという雑務への鬱陶しさを感じながらも戦は玄関へ向かう。
「俺、もう先に行くからな」
「おう、いってらっしゃい」
ここ最近、このような朝を毎度迎えている戦だったのだが、扉を開けたときにどうもいつもより湿気のある風が吹き込んだ気がした。
夏門戦の受難はおもに学校生活で起こる。登校中はともかくとして、教室に着いたらだれかしら生徒に遭遇することになる。その時の彼らの目は好奇を帯びているか、あるいは同情の類のものが宿っている。その理由は。
「夏門弟がきたぞ」
「そろそろ何か起きてもおかしくないよな」
有名人になった兄、昇の影響である。学校でも持ち前のトラブル体質とそれを解決してきた実績が評価されているのだ。おかげで弟である戦までそういう男なのではと噂された。しかしその後すぐに別に大したことないやつと印象は移ろい、現在は学校一期待外れな弟というレッテルを貼られてしまった。戦にとってはこの程度の空気感は昔からの日常であったので、無視を決め込んでいる。
「夏門、おはよう!」
明るい声色の挨拶が戦の耳に届いた。彼に挨拶をしてくれる人間は限られている。
「おはよう、乾さん」
乾明希はこの一年三組のマドンナである。整った容姿と快活な雰囲気が彼女の魅力らしく、所属する陸上部でも期待の新入生として人気を集めているそうだ。そんな明希はあえて孤立を選んでいる戦に対しても目を配っている。
「今日もだるそうだね。やっぱりなんかあった?」
「前にも言ったけど、別になんでもないよ。元からこんな感じのやつなの」
「えー?なんか嘘っぽいんだよなー」
戦はそんな明希に対してわずかだが煩わしさを覚えていた。実は彼女もまた昇に助けられた人間の一人で、それ以来彼女は昇への積極性がある。それを踏まえている戦からすれば、自分などに話しかけてくることは兄への好感度稼ぎの一環に見えている。
「どしたー?明希、またダルがらみしてんのか?」
「ダルがらみじゃないもん。ただ挨拶してただけだし」
ふらっと会話に入ってきたのは山崎陽伍。乾明希の古くからの付き合いかつ数少ない戦に声をかける生徒の一人だ。彼もまた持前の明るい雰囲気と部活動での活躍が周囲に評価されている。戦とこの二人との会話は異質である。戦は一貫してどんよりとした空気を出しつつ空返事を続け、逆に二人はそれが見えていないかのように流行りの食べ物についての談義に花を咲かせる。この不思議は目立つ存在や噂も手伝って視線を集めやすい。戦は二人のおかげで孤立は避けられているが、同時に変に浮いてしまっている。流石に視線に耐えられなくなってきた戦が斬りこんだ。
「そろそろ始業の鐘がなるから、席に戻りなよ」
「おお、もうそんな時間かよ」
「ホントだ、じゃあまたあとでね」
戦はようやっと小さな嵐が立ち去ったことに安堵し、そのまま疲れを癒そうかと机に顔を伏せようとしたそのとき。何かと視線がぶつかった。
「......」
「......」
二人は互いに無言。そしてただ微笑みと手振りを交わし合っただけ。しかし、これが戦にとってこの学校での一番の有意義。返してくれた彼女の名は梅咲碧、戦に安らぎを運んでくれるひと。
梅咲碧は非常に落ち着いた少女である。なにか秀でたものを持ったり存在感があったりするような人ではない。その代わりに勉学でも運動でもその他諸々でも平均よりやや上の位を押さえる器用さと実現のためのひた向きな姿勢が窺える生徒だ。戦はそんな姿となに彼との距離の取り方に好印象を抱いていた。最初の出会いは彼女の学級委員の仕事と戦の担任からの雑務が重なったときにたまたま教室で会ったときだった。そのときにはすでに他の生徒とは違う目で自分を見て会話をしてくれていて、戦は彼女に感謝していた。戦はそんな彼女とのささやかな交流が続けば、学校生活も幾分かましになるだろうと思っていた。