【1-7】『炎の魔剣』③
冒険者ギルドの支部近くには、ギルド所有の訓練場がある。
野外訓練場は剥き出しの地面を壁で仕切った空間がいくつも並んでいるもので、そのうち一つにジョーは入っていた。
別のパーティーで魔術師として活動している、知人のアダムと共に。
「でりゃああああっ!」
鉄の板を張って鎧のような形を作った訓練用カカシ目がけて、木剣を構えたジョーが突進する。
「【性能偏向:瞬間増強】……≪膂力強化≫!」
そのジョー目がけて杖を振り、アダムが強化を掛けた。
効果時間を極端に短くする代わりに魔法の効果を引き上げる『性能偏向』を交えて。
カカシを斬る一瞬、ジョーに魔法が作用して、全身の力を高める。
一閃。
鎧状の鉄板はひしゃげ、カカシは折れ曲がりながら根こそぎ吹っ飛ぶ。ジョーの手にしていた木剣も衝撃に耐えかねてへし折れていた。
「うお、マジかよ。こんなに違えの?」
驚くアダムだったが、ジョーはそれ以上に愕然とする。
――これか……! これが無くなったせいで、俺たちは……!?
手を変え品を変えてダンジョンに挑むも、『炎の魔剣』は未だに地下十階へ戻れていない。
その原因をジョーはようやく突き止めた。
ここまで何をしてもダメとなると、消去法で結論を探さざるを得ない。
ノルムが使っていた、奇妙で使い勝手の悪い『性能偏向』を知人に頼んで試して見た結果がこれだ。
明らかに段違いの力を発揮できた。
いつからかノルムは支援の魔法を使う時、【性能偏向:瞬間増強】という調整を施すようになった。効果を引き上げつつ魔力の消費を抑えているのだとノルムは説明していた。
ただこれはメンバーから不評だった。攻撃や防御のタイミングに強化を合わせ損なって、失敗することもあったから。無能をカバーするための小手先の誤魔化しなのだと思っていた。
「……これってさ、練習すりゃできるようになるか?」
「できても俺は実戦でやりたくねえ。今、俺らカカシ相手なのに三回目でやっとタイミング合ったろ。そういうレベルだぜ。
んな便利で強力なオプションだったら、もっとみんな使ってるだろ」
「そう……だよな……」
ノエルやバーンズに練習させてやってみようかと思ったのだが、断念せざるを得なかった。
少なくとも一朝一夕に習得できる技術ではなさそうだ。
――あいつは……実戦でも九割タイミング合わせてたが……
ノルムは『一割も失敗している』のだと思っていた。逆だ。『九割も成功していた』。
ふと、一時期のノルムが暇さえあれば単独でダンジョンに潜っていたことを思い出す。パーティーでダンジョンから戻った後だろうが、夜だろうが早朝だろうが。
入り口付近の弱い魔物相手に小遣い稼ぎでもしているのかと思っていたが、もしかしたらその時ノルムは……
「でもまあ魔術師の仕事って強化だけじゃねえし……
強化魔法の何が強いかって、一旦掛けちゃえば手が空くことなんだよ。
その強みを捨ててまで、味方を強化るタイミング見計らうって本末転倒じゃね?」
「そ、そうだよな、うん」
アダムのごもっともな説明を聞いて、ジョーは何かを飲み下すように頷く。
ノルムの場合は強化以外に取り柄の無い術師もどきだったが、彼が強化に注力する余り、他に何もできていなかったのは確かだ。
――そうだ、これはなけなしの強化しか取り柄が無いような奴が苦肉の策で編み出した技だ。
あいつが第二等級ごときで足踏みするヘボクソだったのは事実。
今だけは小手先の技で成果を出せてても、パーティーに入れっぱなしだったらどこかで酷いことになってた。現に、強化のタイミングが合わなくて『あわや』って局面はあったじゃないか!
ジョーは心の平穏を保つため、必死で自分の判断を正当化しようとしていた。
俗に『逃した魚は大きい』とも言う。
それにもし、見当違いの理由で人を一人殺してしまったのだとすれば……ジョーは余りにも非道で滑稽だ。
「どうしても強化専門でやらせるんだったら【性能偏向:継続行使】って手もある。掛けたっきりにするよりよっぽど強いし、これならタイミング計る必要もないぞ」
「あれ、手が塞がるだけならまだしも消費がクソ重いっつーんだよな……ポーションがぶ飲みでどうにかって話になるぜ」
「だから『どうしても』な」
「……まあいいや、分かった。ありがとな」
どっと疲れが増したような心地でジョーは溜息をつく。
地下十階への再到達が、今のパーティーにとって容易でないことが明白になったわけだ。
「てか、なんでパーティー違う俺に実験頼むんだよ。
ノエルちゃんに頼みゃいいだろ」
当てこすりめいた言い方をするアダムに、ジョーはぐっと息を詰まらせる。
「それは……やりにくいだろー。『お前に文句がある』って言ってるみたいで」
「そんなこと気にすんのかよ」
「分かんないけどそこはやっぱりなあ……遠慮があるだろ」
「じゃ、バーンズは?」
「もっと頼めねえ……」
当たり前のようにジョーは言った。
それは、ほんの少し前まで、当たり前ではなかった。
ノルムという異物を別にすれば、『炎の魔剣』の面々は仲が良く、結束も固かった。ほんの少し前まで。
「大丈夫か、ジョー。顔色悪いぞ」
「……気にすんな、ただの寝不足だ」
「顔色だけじゃなく、評判も悪いぞ」
「大丈夫だ。気ぃ使わせて済まんな」
カカシと木剣の残骸を拾い集めたジョーは、適当に手を振ってアダムに別れを告げ、訓練場を後にした。
街を歩けば矢のように視線が突き刺さってくる気がする。被害妄想かも知れない。
少し前までそれは嫉妬の視線だった。だが、その傾向が変わりつつあった。
このところ行く先々で白い目で見られて、やんわりと店への出入りを拒否されるようなこともあった。
理由はパーティーに付いて回る奇妙な噂だ。
口にするのも憚られるほどにドピンク色の、極めて人聞きの悪い噂。
――クソ。俺たちがそんな関係じゃねえってことは、俺らと一緒に居るノエルの様子を見りゃ分かるだろうが。いや、しかし……
ノエルがよく、浮かない顔をするようになったのは事実だった。
だがそれは断じて、ジョーたちを恐れたり嫌悪してではない。理由はパーティーメンバーのギスギスした空気を憂いてだろう。彼女は優しいから。
そのせいで、やっかみから生まれた噂が妙な加速をしているのだろうとジョーは見当を付けていた。
いつの間にかパーティーメンバーの関係は最悪になっていた。
ロナルドもゲイルもバーンズも些細な事で牽制し合い、誰がノエルにとっての一番なのか張り合っている。特に先日、バーンズだけがノエルの誕生日を祝った一件が決定的だった。
ハッキリ言えばジョーも、バーンズの抜け駆けには腹に据えかねる所が……もとい、パーティーの和を乱す行為にリーダーとして承服しかねるところがあった。
それに応じるノエルもノエルだが、しかし彼女はただ無邪気なだけなのだとジョーは理解している。バーンズが馬鹿なことをしてしまっただけで、ノエルはあれが特別なことだったという意識すら無いのだ。
バーンズが一歩先んじている感は否めないが、実際ノエルは誰とでも平気で二人っきりになる。すげなく拒絶していれば皆諦めていただろうに。
スランプを起こした芸術家のように、『炎の魔剣』は苦い停滞を強いられていた。
先程の実験で明らかになったように、メンバーの入れ替わりが原因の一部ではあるのかも知れないが、パーティーの雰囲気が悪くなって連携に乱れが出始めたことも問題であるようにジョーは思っていた。
――考えるべき事が多すぎる……
内憂外患、とでも表現すべきだろうか。
最近までジョーの世界はもっと単純だったはずだ。この手で掴み取るべき成功がこの街の地下には埋まっていて、そこへ猪のように突き進んでいけば良かった。
――とにかく、成果だ。成果さえ出れば俺たちはまた強く結束できる。実力ギリギリの戦いをすればお互い協力し合うことになって絆も深まるはずだ……!
* * *
「次の探索では地下十階を目指す」
ダンジョンアタックを前にしたパーティー会議で、まずジョーはそう切り出した。
「リーダー、最近そればっかじゃねえか」
「分かってる! でも……まずはそれだろう」
ロナルドは不満げに口を尖らせている。
彼はノエルを危険に晒すことを人一倍嫌っている。無理なく活動できる場所で稼ぎつつ戦いの経験を積み、実力を付ければ良いと考えているようだ。
ジョーとしてはそんな悠長な考えではいけないと思っている。この焦燥と上昇志向を四人は共有していたはずで、だからこそ『足手まとい』に苛立ち、全員の協力と合意を得て切り捨てるまでに至ったというのに。
――次で駄目だったら今度こそ地下十階の探索許可がギルドから下りなくなる……
それだけは避けたい! 一度はあそこまで行ったんだ。手放してたまるか!
滑り落ちて下積みからやり直しなんてのは御免だ!
ダンジョンに同時に入れる人数は限られる。
厳しく入場管理をするギルドは、なるべく多くの冒険者にチャンスを与えつつも無能者には容赦しない。
「いいけどよ。具体策はなんかあるわけ? こないだは魔法増やしたら確かに上手くいったけど、バーンズがすぐにバテてポーションが……」
「あ?」
ロナルドの一言にバーンズが即座に食ってかかった。
「じゃあテメーもっと被弾減らせよ。回復が一番重いんだよ」
「上等だ。だったらお前をカバーすんのやめてやろうか?」
「やめろ、お前ら」
諍いが増えている。
ジョーが仲裁すると、双方まだ気が収まらない様子で、睨み合いながら口をつぐんだ。
「投資だと思って補給用のポーションを多めに持ってく。
……ぶっちゃけ、探索に成功してようやく元が取れるレベルだが、一旦慣れちまえば次に繋がるし実績も……」
「実績実績って、リーダーお前さ……」
「お疲れ様でーす!」
ロナルドが何か言い返そうとした時、ノエルの声が聞こえて、険悪で重苦しかった空気は嘘のように吹き飛んだ。
「ノエルちゃん!」
「お疲れ!」
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃいました」
「気にしない気にしない、今始まったところだから」
野郎どもは嬉々としてノエルを出迎える。ジョーは救われた格好で、正直ホッとした。
既にパーティーは空中分解しかけている。
ノエルと離れたくない、という一心だけで皆がパーティーに所属し続けているのだと、ジョーは心のどこかで分かっていた。