【1-6】『炎の魔剣』②
宿の廊下にあるパーティー用の郵便受けを開いたジョーは、宣伝チラシの上に犬のフンが投げ込まれているのを見て顔をしかめた。
――つまんねー嫌がらせが増えたな……
ノエルがパーティーに居るってだけでこれかよ。俺らに嫌がらせしたって、ノエルが他所のパーティーへ移るわけねえだろうに。
舌打ちを一つして、ジョーはチラシを読むことを諦め、それで犬のフンを包んで近くのゴミ箱へ叩き込んだ。
「ジョーさん? どうかしました?」
通りすがりにその舌打ちを聞き咎めたノエルが、不安げに声を掛ける。
「なんでもない、大丈夫さ。
つまんねー事があってもノエルの顔見ると、疲れとか嫌な気持ちが全部吹っ飛んでくみたいだ」
「お上手ですね」
「冗談でもお世辞でもないよ! いいか、人は美しい物や人を見るだけで癒されるようにできているんだよ」
「あら、うふふふふ……」
ノエルは曖昧に笑って、去って行く。ジョーは肩透かしを食らったような気分だった。
女好きで口説き慣れしているバーンズのように、歯の浮くような賛辞を並べることなどできない。
ジョーの精一杯の褒め言葉は、彼女にとって聞き慣れた挨拶みたいなものなのかも知れない。
だとしても。自分の言葉は彼女にとって、そんなに軽いものなのか。
いつしかジョーは、彼女ばかりを見るようになっていた。
それは、自分に対するものと他三人への態度の微妙な違いを感じ取れるほどに。
――ノエルのやつ、他の三人と比べると俺には一歩引いてる気がするんだよな。
なんでだ? 俺がパーティーリーダーだから立ててるってことか? それとも……
最も考えたくない答えが脳裏を掠め、ジョーは頭を掻き毟る。
――あり得ねえ。デレデレと鼻の下伸ばしてただけのあいつらとは違う。俺はちゃんとノエルのために仕事をしてた。新しくパーティーメンバーになった彼女が馴染めるよう必死で取り計らった。それをノエルも分かってる筈なんだ……!
まあ、ある意味でジョーだけが彼女にとって特別なのだと考える事もできるかも知れない。
それが良い意味なのか、悪い意味なのかは分からないが……
最近とみに増えた溜息と共に、ジョーが宿の食堂へ入っていくと、半端な時間だというのにやけに人が多い。
というのもノエルが朝からずっと、食堂の隅で魔術の教本を広げて勉強しているからだ。
明らかに彼女目当てと思しき客が飲み物や菓子をチビチビとやりながら粘り続けている。
周囲から嫉妬の視線を浴びつつ、何か彼女に魔法のことを教えていたらしいバーンズが、柱時計を見て慌てて立ち上がる。
足早に食堂を出て行こうとするバーンズと擦れ違う……と思ったその時、ジョーはバーンズに腕を引っ張られて入り口の影に連れ込まれた。
「リーダー、ちょっといいか」
「な、なんだ急に」
「リーダー、ノエルちゃんになんかしてないか?」
バーンズはいつになく真剣な顔でジョーを詰問する。
「なんかって、なにをだよ」
「それが分かんないから聞いてんじゃねーか。
多分あの子、リーダーのこと苦手だぜ。つーか、何かあって苦手意識持ってるってか。
こう、リーダーの話するとき一瞬ビクッてなるっつーか」
「はあ……?」
藪から棒だった。
いや、理由には全く心当たりが無いけれど、嫌われているかも知れないというのは自分でも思っていたことで、だからこそジョーはドキッとした。
「女の子は繊細なんだぞ?
なんかあるんじゃないか? 自分では覚えてないようなことだけど、ノエルちゃんにとっては一大事だったこととか」
「んなこと言われても……」
「ま、いいけど! 気をつけてくれよな」
つっけんどんに言い置いて、バーンズは足早にどこかへ行ってしまう。
「なんだよ、あいつ。ふざけんなよ……」
何が悪いか分からないというのに、頭からジョーが悪いと決めてかかっているような言い方だった。
残されたジョーは、まさか本当にノエルに嫌われているのかという不安と、頭ごなしで批難された不快感を持て余し、ただ立ち尽くす。
――俺が、ノエルに嫌われてる? そんなわけない。そんなわけ……
ぐるぐると対流する不安に突き動かされるように、ジョーは食堂の隅、ノエルの所へ向かう。
「な、なあノエル」
「はい、なんでしょう?」
――嫌って……ないよな。うん。この反応なら、多分。
怯えた様子なんてものは特に感じず、ジョーはひとまず安心する。
そこでふと思い出されるのが、先程のバーンズの怪しい態度だ。
周囲を憚ってジョーは声を潜める。
「あのさ、だからどうしたってわけじゃないけど……ノエルはバーンズと仲いいのか?」
「えっと……わたし、パーティーの皆さんには本当に良くしてもらってると思いますよ。
ジョーさん、ゲイルさん、ロナルドさん、もちろんバーンズさんにも」
「うん、そういう話じゃなくてさ、こう……」
いかにもノエルらしい返答に気抜けするジョー。
しかし、ノエルは蝶でも追うように宙に視線をさまよわせていた(※可愛い)かと思うと、次の瞬間とんでもないことを口にした。
「あっ、そう言えばバーンズさんには先日、わたしの誕生日をお祝いしていただきました」
「は……あ!?」
思わず声を上げてしまったジョーは、何事かと目をぎらつかせる周囲の様子を見て、何でも無いのだという調子でノエルの隣に腰を下ろす。
しかし心中は穏やかではない。声を潜めつつもノエルに問いただす。
「待て、それってバーンズだけか!?」
「はい。他の皆さんにはわたしの誕生日を教えてませんでしたし……」
「何をしたんだ!?」
「何って……少し豪華なお食事をごちそうになっただけです」
「その後は!?」
「後?」
「食事の後だよ、その、夜の間に何か……」
「宿まで一緒に帰ってきました。消灯時間にはちゃんと居たはずですよ?」
「いや、そうだよな。そうだったな、済まない……」
きょとんとした彼女の顔を見て、ジョーは下世話な勘ぐりをした自分がかえって恥ずかしくなった。
ノエルに限ってそれは無いと分かっていたはずじゃないか。
最悪の事態にだけは至っていなかったことに安堵しつつ、ジョーはバーンズへの警戒心を強める。
「なあ、全っ然迷惑とかじゃないから、今度からそういう話は皆にしてくれよ。
俺たちは家族みたいなもんだ。誰かを祝うときはみんな一緒だぜ」
「分かりました」
素直に頷くノエル。きっと彼女は、自分が崖っぷちを歩いていたことに気付いていないのだとジョーは思った。無垢であり無防備に過ぎる。
パーティーの中に妙ないざこざが起こらないよう調整するのもリーダーの務め。ジョーはノエルを守らなければならないし、バーンズを……いや、ゲイルやロナルドもそうだ。ノエルに色目を使う彼らが妙な真似をしないよう警戒する義務がある。
それを嫉妬だとは思いたくなかった。
だけど、黒く焼け付く何かがもやもやと、鳩尾の辺りに溜まっているような気がした。