【1-31】偽装駆け落ち
ようやく白み始めた空の下、市民有志や衛兵隊による救助作業が続いていた。
「ふんぬっ!」
アーノルドが巨大な瓦礫を力任せに持ち上げる。
半脱ぎの服の下で背筋が逞しく隆起した。
「今だ、引っ張り出せるか!?」
「せぇーのっ!!」
瓦礫の下敷きになっていた老婆が三人がかりで引っ張り出された。
彼女はシャントメィエが建物を壊した時、下敷きになってしまっていたようだ。
「よしきた!」
「怪我は……幸い大したことなさそうですね。……≪治癒促進≫!」
ノエルは老婆の怪我の様子を確かめて回復魔法を掛ける。
ノエルとアーノルドは市民に交じり、懸命に救助に当たっていた。
もちろんノエルは、あのマント一枚という格好のまま救助に参加しては周囲の男どもがまともに動けなくなるので、顔の大半を覆う仮面にローブのような服といういつもの格好に戻ってからだが。
「歩けますか?
向こうに救護所がありますので、そちらへ行ってください。
どこか激しく痛む場所などありましたら言ってくださいね」
「ああ、ありがとうございます。『仮面の聖女』様にお助けいただけるとは……」
助けられた老婆は女神にでも出遭ったかのように安堵と感動の表情を浮かべていた。
彼女が救助者に肩を貸されて立ち去ってから、ノエルは呟く。
「確実にわたしより遥かに偉い人がここに居るんですけどね……気が付いてないのか」
「私は王都以外ではそこまで顔を知られていないだろうからな」
アーノルドはむしろ注目されていないことが幸いだと言わんばかりに黙々と救助活動に当たっていた。
もちろん事情を知る人々はそうもいかないが。
「殿下、このような仕事は我らにお任せくだされ! 危険ですぞ!」
「目の前に私の筋肉で救える民が居るのだ。なら救わねばなるまい!」
「うむむむ……」
伯爵の諫言も、今ひとつ矛先が鈍い。あの悪魔を倒したのもアーノルドなのだから今更口を挟むのも躊躇われるだろう。大砲を使った判断は良かったが、結局援軍も間に合わなかったわけで。
彼らにしてみれば大事な王子がこんな所で怪我でもしたら大変だという考えなのだろうが、アーノルドの決意は固かった。
「伯爵様。領城との通信魔法、繋がりましてございます。
エリック様がお応えくださいました」
「あいつめ、この時間に起きているという事はまた朝帰りだな。
まあ、せいぜい有能なところを見せてもらおうか。今行こう。繋いだまま待たせておけ。
……殿下、どうかお頼み申し上げますから、せめて危険な場所へはお近づきにならぬよう!」
伝令の騎士に呼ばれ、伯爵はどこかへ連絡を取るために去って行った。
するとアーノルドは忠告を全く気に留めた様子も無く、行方不明者の捜索を再開する。
「あなた立派な王様になれるんじゃないですか?
王侯貴族なんて、下々を家畜みたいに思ってる人も多いのに、あなたは違いますよね」
「想う気持ちだけで民は治められぬ……
こうして己の肉体を動かし、民を救うというのは分かりやすくて良い。
だが、その先がどうも私にはピンと来ぬのだ」
瓦礫の山の上を歩きながら、眉間に筋肉めいた皺を寄せてアーノルドは言う。
「父上もそうだが、優秀な官吏や、名君と讃えられる諸侯を見ていると……
勉強だけでは補えぬ天性のものが確実にあるのだと感じる。私にはそれが無い」
「そういうもんでしょうか」
自分が王になれるか、なんて、ノエルは夢にも考えた事がなかったので、実際のところアーノルドの苦悩をどこまで理解できているかは怪しい。
しかしアーノルドにとってこれは、生まれた時からずっと付いて回った問題なのだろう。身体の一部かというほどに。
考えて、考えて、悩んで、悩んで、その結果が『自分は王に向かないだろう』という答えか。
「……ノエル。このように厚かましい願い事をするのは気が引けるのだが……
私を連れて逃げてはくれぬだろうか」
「え!?」
「しっ! 声を潜めてくれ!」
唐突に、ぼそりと、とんでもないことを言われてノエルは飛び上がりそうになる。
伯爵はどこかへ行ったが、見張りか警護か、彼の連れて来た騎士数名が多少の距離を保って付いてきている。そちらをチラ見してノエルは口を覆った。
「今、私がこの国に居れば混乱の火種になる……
姿をくらますことで混乱に終止符を打ちたい」
「えー、それわたしが誘拐犯というか悪女扱いされたりしませんか普通に……」
元々アーノルドは、自分の存在を消すことで王位争いに終止符を打つという考えを持っていた。
その点、死ぬよりは逃げる方が建設的と言えるだろう。
しかし、少なくとも都市レベルの有名人ではあるノエルと同時期に姿を消したとしたらどうなるか。
タブロイド紙の記者が一ヶ月は食うに困らないネタを提供することになるだろう。この街の景気を考えれば結構なことかも知れないが。
「この街には二度と戻って来れなくなる、気がする」
「いずれにしても君はもう、この街に居られないと思うのだが」
「マジ?」
アーノルドはむしろそれが当然という調子で言った。
「召喚悪魔があれだけ大規模に暴れたら、流石に隠蔽はできん。この街には遠からず神殿の調査団が入るだろう。
ねじくれた事件だ、彼らがそう簡単に君に辿り着くとは思えないが……関わった者は『とりあえず』で調べられることになる。
そこで君が魔女であるという事はおそらく露見するぞ」
「うっ……」
この手の問題は、国際的に影響が広がるようなことでなければだいたい国内の神殿勢力が担う。
この国でどういうやり方をしているのかは、アーノルドの方が詳しいことだろう。
彼が述べた通りなら、確かに危ない。
このペクトランドでは、ノエルの故郷の国ほど神殿勢力が幅を利かせているわけではないようだが、邪術師を放っておいてくれるほど甘い奴らだとは流石に思えない。
「それって王子様がわたしを庇ってくれたらどうにかならないんですかね。検査免除されたりとか」
「……この国は王位継承のことで内戦にすらなりかけているんだぞ。
間違いなく対抗勢力の攻撃材料になる。君の身も危うくなる」
「ああっ……そっか、そうだわ……」
そもそも、この国を出て行こうとしているアーノルドに何を頼めるのかという話でもあった。
――こちとら呪い持ちだからな……そういうことになれば事態が悪い方に転がる予感しかしねえ。
要するにアーノルドの頼みは、どうせ二人とも逃げるべき事情があるのだから助け合わないかというニュアンスだ。
「何の理由も無く逃げ出したなら、何か事情があるから疑ってくれと言っているようなものだが……
それがもし、身分違いの恋の末の駆け落ちみたいな顛末に至ったなら、わざわざ国外まで追いかけるのもバカらしくなるのではないだろうか」
「よく真顔で言えますね」
「真面目に言ってるからな。
それに私はまだ君に恩を返し切れていないと思っている……
君さえ良ければ、私が助けになりたい」
「乗りましょう、その話」
ノエルも腹を括った。
ようやく居場所を見つけかけた気がしたのに、放浪の旅に出なければならないというのは残念だが、何事も命あっての物種。
魔女として火炙りにされ地獄行きになるのはいろんな意味で御免だ。
「彼らも、まさかこの状況で私が逃げるとは思っていないだろう。
逃げ出す隙はあるはずだ」
「なるべく多く人を助けてから逃げたいんですが」
「奇偶だな、私も同じ考えだ。
騒がしくなる頃を狙って、街を出る交易商人の馬車に潜り込もう。
彼らの目が眩む程度の金は持ち合わせているから」
二人は声を潜めて悪巧みを始めた。




