【1-30】一件落着?
悪魔の巨体は徐々に解け、散り消えていく。
召喚魔法によって形作られた仮初めの肉体は消滅し、シャントメィエは再び精神のみの存在となって還っていく。
どこか別の次元にあるという悪魔たちの世界か、あるいは彼女が封じられていた地下迷宮の罠部屋の下へ。
遠くから騒乱の声と半鐘の音を聞きながら、ノエルは深呼吸した。
「や、やっちゃいました……」
「ふ……他人から奪ったもので作り上げた、奴の紛い物の筋肉より、自ら鍛え上げた私の筋肉の方が上回るのは必定。
全てはこの世の習い。マクスルカス様の思し召しよ」
「どうしよう、勝ってしまった以上は多少の説得力がある」
アーノルドはきちんと揃えてバトルバーベルを置き、天に向かってポージングして祈りを捧げていた。
ふとノエルは気になって己の身体を検めるが、特に何も変化していない。
丸みを帯びた肉体。きめ細やかな珠の肌。布一枚では抑えきれない暴力的な胸部。
――流石に呪いは解けねえか。滅ぼしたわけじゃないからなあ。
あれで終わってくれたら話は早かったのだが、あくまでも召喚されたシャントメィエを追い返しただけだ。
悪魔を一柱滅ぼすには、それだけで神話級の冒険が必要だろう。
木っ端冒険者のノエルや、いくら強くても王子でも筋肉でも一介の戦士でしかないアーノルドに、そう容易く悪魔が滅ぼせるはずもなかった。
――まあ、良しとするか。これで結構、善行ポイント稼げたと思うし……
「キエエエエエエイ!」
「はっ!?」
戦いが終わったと思って気を抜いていたノエルは、突如、間近から奇声と共に立ち上った殺気を受けて身構える。
リベラだ。
気合いと共に風のように距離を詰め、体重を乗せた体当たりに近い一撃をノエル目がけ繰り出す。
ノエルは腕でそれを受けた。
軽い。防御させるためのフェイント的な攻撃だ。
なら次の一手を受ける前に機先を制すべし。
身体に染みついた流れそのままに、ノエルは横っ面狙いの高い回し蹴りを繰り出す。
乳!
尻!
太もも!
リベラは蹴りを防ぎつつ後ずさり、距離を取った。
「貴様っ!」
バーベルを拾い上げてアーノルドが向かってくる。
しかしリベラがそれ以上攻撃を仕掛けることはなかった。
「……直っておりませんな、悪い癖が。
右への回し蹴りで腕が泳いで脇が甘くなる」
「あえっ!?」
ニタリと、人食いの猛獣を連想させる笑みを彼は浮かべた。
「何故そのようなお可愛らしいお姿に、と言いたいところですが、まあ事情は概ね察しましたとも。悪魔のなんのという話をしておりましたからな。
それでは事情を話せるはずもない……
いや、全く。気が付いた時には肝を冷やしましたぞ。俺は誰を売ろうとしていたんだとねぇ」
「その、それはなんというか……」
リベラは一人、色々と思い返しては納得している様子だった。
バレている。それはもう、取り繕いようもなく。
ノエルは観念した。
「……どうする気ですか、先生」
「ははは、久しぶりにそう呼ばれましたな。
ひとまずお父上には私が見たままをお話しします。商談を取り消していただかねば。
それからどうなるかは分かりませんが、まあ、あの方なら連れ戻そうとはせんでしょうな。
むしろ遠く離れた場所に居てくれる方が助かるとお考えになるのでは」
「そういう人だよなー……別に俺も関わり合いになりたいわけじゃねーし、いいんだけど」
リベラはノエルの父の下で仕事をして長い。
そのためかノエルと同等かそれ以上に、デニスの気性を把握していた。
自分の子らに対する、デニスの独特の距離感。他人に対するような冷酷さはないが、尋常の親子の情があるとは言い難い。自分本位だが見捨てるわけでもない。
ノエルが手元に居れば、それは醜聞の種になる。どこか遠いところで達者で生きていてくれと考えるのが、あの親父らしい。
「坊ちゃん、やはりあなたはあの方の息子だ」
リベラは急にしみじみとそんなことを言った。
何を見てそう思ったかと言えば、戦いに際しての肝の据わり方か。
でなければ、自分を陥れたかつての仲間たちに容赦無く復讐を遂げた、その手管か。
「……褒めてるって分かっててもやだなー、それ。
俺はそういうのが嫌で、家に関わんないで生きることにしたの知ってるでしょ?
ダンジョンで実績積んだら街を出て冒険者やる気だったし……」
嫌っていたはずの父親と同種の何かを自分の行動に感じ、ノエルは倦怠感のようなものに見舞われる。
陥れられた時、ノエルはまず復讐を考えた。それも、自分の手で復讐を遂げることを考えた。
ないがしろにされれば、自らの手を血で汚そうと、どんな非道な手段を使おうと報いる……そう考えれば確かにノエルは、一般人よりもデニスの側に近い。
「血は争えねえってやつか」
認めて、しかしノエルは開き直る。
結果はどうあれノエルは父のやり方に反発して家を飛び出した。
その決意は本物だったはずなのだから、父の背中を追うように生きることもあるまい。
根底の部分に父と同じ悪性が巣くっているのだとしても、決意によって父と異なる生き方をすることはできるだろう。
「もう帰るんですか」
「観光をする趣味は無いものでして」
「はー……親父によろしく、ってのも変か。
『こっちはこっちでよろしくやってるんで適当に忘れといてくれ』って伝えといてください。
あと、ジョーの親父さんに無茶なことしないように、ってことも」
「承りました。では、お達者で」
リベラは折り目正しく礼をして、夜明け前の闇に溶けるように姿を消した。
後には、蚊帳の外だったアーノルドが呆然として取り残されていた。
「な、なんだ? どういう関係なんだ?」
「ものすごい複雑な事情なんで、落ち着いたら話します。
……まずは被害の確認やら怪我人の救助やらしないと」
「おっと、そうだな」
悪魔は去ったと言えど、彼女の破壊の痕跡まで元通りになったわけではない。
人々の命を助けるのであれば、むしろ今からが正念場だった。




