【1-29】躍動
バトルバーベル二刀流のアーノルドが、鎧の重ささえものともせず疾駆する。
彼がシャントメィエの足下に辿り着いた時、巨体の悪魔は自分より大きな集合住宅を一つぶち壊し終えて、次の建物へ向かうところだった。
「我が名はアーノルド・レイ・ディル・トイード!
民を傷付ける悪魔よ、我が筋肉をその目に焼き付け滅ぶがいい!!」
『……筋肉…………!』
バーベルを突きつけるアーノルドを見下ろし、もはや顔のディテールも曖昧になった美の悪魔は、羨望の如き声を漏らす。
結局は餌と認識したのか、叩き潰すように大きな手を振り下ろす。
アーノルドはそれを掻い潜り、シャントメィエの右足に肉薄した。
「上半身を大きく横に捻る運動ッ!!」
「【性能偏向:瞬間増強】……≪膂力強化≫!」
アーノルドが横薙ぎの一撃を繰り出すのに合わせ、ノエルは彼に強化を飛ばす。
シャントメィエの右足の、膝から下が吹き飛んだ。
「はれっ」
竜巻の如きアーノルドの一撃が悪魔の肉体を粉砕し、粉微塵になったエーテル実体は分解されて溶けるように消えていく。
アーノルドは少し健康になった!
片足を失ってバランスを崩したシャントメィエの巨体はぐらりと揺れて、地響きと共に倒れ込む。
「ノエル、今のはなんだ!? あれは本当に強化魔法か!?」
「の、はず……なんですけど。
待って、今のって俺の強化のせいなの?」
今のシャントメィエに驚愕の感情を覚えるほどの知性が残っているかは分からないが、少なくとも彼女より、攻撃したアーノルドとそれを支援したノエルの方が驚いているのは確実だった。
確かに『戦えるだろう』と言ったのはノエル自身なのだが。
「なんということだ。強すぎだ。足止めどころか倒せてしまうぞ。
我が筋肉がうなる!」
打ち倒されたシャントメィエだが、吹っ飛ばされた足は既に再生しつつあった。
もしかしたらノエルの肉体と同じように『完全な状態を保つ』という性質があるのかも知れない。
徐々に身を起こし、生えかけの足で再び立ち上がる。
「君は戦うなノエル! 後方から私の援護に徹してくれ!」
「うおう……今まで言われた経験がないことを言われてしまった」
前に出ようとしたノエルにアーノルドから機先を制する指示が飛ぶ。
魔法の射程を見計らい、ギリギリの距離でノエルは立ち止まる。
冒険者時代はとにかく耳にたこができるほど『前に出て戦え』と言われたものだった。
強化のタイミングを計ろうとするとどうしても自身が戦うどころではなくなってしまい、その度に。
シャントメィエに再度の攻撃を仕掛けるチャンスをうかがうアーノルド。
次の一撃を避けて懐に入るつもりだったようだが、シャントメィエは殴りつけてくるのではなく、変なことを始めた。
身を折って、白い粘土のようなものを口から吐き出したのだ。
「なんか出た!?」
どしゃどしゃと吐き出された吐瀉物(?)の中から、おぞましいことにシャントメィエと同じ姿をした人間大の物体が複数立ち上がってくる。
それらはもちろん敵意を剥き出しにして向かってきた。
「使い魔を召喚したか!
そっちは任せたぞ! 私は本体を止める!」
騎士たちが一人当たり使い魔二体ほどの割合で食い止める。
だが数が多い。数体が騎士たちの包囲陣を抜け出してノエルの方に向かってくる者もあった。
緩慢な動作でゾンビのように向かってくる、白い泥人形のような使い魔。
相手は人間と変わりないサイズだ。つまり、格闘攻撃の対象として最も適する。
「この程度なら……」
魔力を練りつつノエルは駆ける。足には靴の代わりに、アーノルドが破ってくれた服の袖を巻き付けていた。
――【性能偏向:瞬間増強】……≪膂力強化≫!
掴みかかってくる手の裏をかくような豪快な回し蹴りをノエルは放った。
「俺だって!」
ノエルの蹴りが使い魔の頭部を粉砕した。
乳揺れ!
尻揺れ!
身体に巻き付けたマントが翻り、腰から足への完璧で肉感的なラインが露わになる!
先程まで全裸だったノエルは下に何も履いていない。危険だ!!
「ぬん……?」
近くで見ていたリベラが訝しむような声を上げた。
倒れて分解されていく使い魔を見つつ、ノエルは何度か虚空に蹴りを放って感覚を確かめる。
実際に自己強化を掛けて攻撃をしてみた感覚としては……身体こそ違うものの、以前と特に変わらない。
シャントメィエの力を上乗せしたことで魔法の効果は確かに高まっているのだろうけれど、強化魔法だけは元から最低限使えていたので、それは10が12か13になった程度の違いで、10が100になったわけではない。
「……別に俺の強化魔法が急に強くなったわけじゃないな、うん。
単にあの筋肉王子がスゲーんだ。元々強いから強化込みならあれだけやれるわけで……」
納得しかけて新たな疑問が浮かぶ。
――ん? じゃあなんでアーノルドは驚いてたんだ?
強化魔法を掛けられたことくらいあるだろうに……
「って考えてる場合じゃねーか!」
騎士たちが止めきれなかった使い魔がふらふらと避難民たちの居る方へ向かって行く。
この使い魔が人を食っても闇の筋肉を補充できるのかは不明だが、放っておけば被害が広がることだけは確実だ。
ノエルは駆けだした。
「おらーっ! お前らこっち来い! 美味そうな餌がここに居るぞーっ!!」
わざと使い魔の目の前を横切って行くと、使い魔たちは見事にノエルに釣られた。
掴み掛かるために手を突き出した歪なフォームで、ドタドタとノエルを追いかけ始めたのだ。
そして使い魔を四匹ばかり引き連れて、ノエルはリベラの方に向かって行った。
「何故こちらへ逃げてくる!」
「働け爺さん! こいつならやれるだろ!」
「ええい、全く!」
ノエルと擦れ違いざま、リベラはまず指で小さな金属製の鋲を弾いた。
矢のように飛んだそれは使い魔一匹の頭をぶち抜いて穴を開ける。
すぐさまリベラは抜剣。
右手に片手持ちの剣。
左手には指の間に全部で三本のナイフ。
四つの刃を閃かせ二匹目を一瞬で微塵に切り裂いたリベラは、三匹目の胸を蹴飛ばして距離を取り、左手のナイフを三本同時に投擲して四匹目の頭を串刺しにする。
――【性能偏向:瞬間増強】……≪膂力強化≫!
ノエルの強化魔法を乗せたリベラの鉄拳が三匹目の使い魔の胸部を吹き飛ばし、さらに剣を一閃。倒れ込む四匹目を空中で輪切りにした。
「お見事」
「専門外じゃと言うとろーが」
老暗殺者は溜息交じりに肩を回した。
使い魔は活動を停止し、崩れ散っていく。
その頃には周囲で戦っていた騎士たちも使い魔を片付けていた。
「無事ですか!」
「なんとかな!」
その間にもシャントメィエ本体と戦い続けていたアーノルド。
ノエルの援護が無かった間は無理に踏み込もうとせず、羽虫のように纏わり付いて一撃離脱の攻撃を仕掛け、足止めに注力していたようだ。
「どれだけ使い魔を出せるか知らんが、この調子で百も二百も出されたら手に負えん。
とにかく準備が整うまでは削り続けて……」
その時、夜明け前の街に砲声が轟いた。
「何だ!?」
ひるるるる、と打ち上げ花火のような音を立てて何かが飛んでくる。
それはシャントメィエとその周辺に着弾して、盛大な飛沫を上げた。
『オオオオオオオオオ……!!』
シャントメィエが苦悶の雄叫びを上げて身をよじる。
街の外周にある対魔物用の防壁上から、こちらに魔動砲が向けられていた。
そこから飛来した砲弾らしきものが何か大量の液体をぶちまけて炸裂したのだ。
辺りに散った液体からは仄かに甘い香りがした。
「なるほど、焼夷砲弾に聖なるプロテインを詰めて撃ち込んだか!」
「これ普通の聖水でよくないです!?
なんでそこまでプロテインにこだわるんですか!?」
「好機だ。一気に片を付けるぞ。援護してくれ!」
「分かりました!」
アーノルドは飛び散ったプロテインにバトルバーベルの先端の重りを浸すと、鳥が翼を広げるかのように構えて走り出す。
『筋肉……!』
シャントメィエはそれを迎え撃つ。
ほとんどのしかかる体勢で、両手でアーノルドを押し潰しに掛かる。
――受けるか? 避けるか?
大振りの一撃だ。回避するだけでも隙を突けるだろう。
しかしアーノルドは正面から最短距離で突っ込んで行く。
――アーノルドはやる気だ。行ける!
全体重を乗せたプレス。
叩き付けられる一撃を、アーノルドは真っ向から受け止める。
「腕を真上へ振り上げる運動!」
――【性能偏向:瞬間増強】……≪膂力強化≫!
振り下ろされる腕を、振り上げられたバーベルがかち上げた。
「揺らいだ!」
バランスを崩したシャントメィエは、ズンと地を揺るがせて尻餅をつく。
その両手は歪にひしゃげていた。
「跳ぶぞノエル、頼む!」
「はい!」
アーノルドは地を蹴り、シャントメィエに迫る。
「一! 二の!」
ホップ。ステップ。
「「三!!」」
踏み切る瞬間、ノエルは強化を飛ばす。
アーノルドは石畳に深い足形を残し、高く跳躍した。
尻餅をついてなお高いシャントメィエの頭部目がけ。
両手のバーベルを高々と掲げて。
「両腕を振り下ろして! 交差させる運動ォォォォォォッ!!」
鋏のように振り下ろされた一対のバーベルは、シャントメィエの頸部組織を爆散させ、彼女の首を刈り取っていた。
アーノルドはまた少し健康になった!




