【1-27】悪魔の食卓
「止め……お前な、この状況で」
リベラは呆れた様子だった。
「あなたにとっても困るんじゃないですか?
今の話をまとめると、あの悪魔が完全顕現したらわたしは死ぬんですよ?」
「そりゃそうなるがよ……」
やっぱり肝が据わってやがる、と彼は呟く。
そして、観念したように肩をすくめて首を振った。
「あんな化け物の相手は俺の仕事じゃねえ。助太刀はしねぇぞ」
「充分です。とりあえずこの、なんか身体の動きを封じてるの解いてくれません?」
リベラは無言で、ノエルの首筋に突き刺さっていた細い何かを抜いた。
途端、ノエルの身体は自由を取り戻す。
「やった、動ける」
「話はまとまったか」
「はい」
アーノルドは背中にはためかせていた国章入りのマントを外しているところだった。
「よし、とりあえずこれを身体に巻き付けるなりしてくれんか。汗臭いかもしれんが、その格好では気が散ってたまらん」
「あ、これはどうも……」
若干目を逸らしながらアーノルドは、全裸のノエルにマントを差し出した。
* * *
街が燃えていた。
夜明け前の街に未だ太陽の光は届いていないが、空は薄ぼんやりと赤く染まっている。
半鐘の音が騒々しく鳴り響き、叩き起こされた人々は悲鳴を上げて逃げ惑っている。
炎に照らされた巨人が住宅街を破壊している。
広いところで立ち上がってみれば、筋肉化シャントメィエは二階建て民家程度の大きさだ。
その巨人がデタラメに腕を振り回して家屋を破壊して回っている。
彼女は先程よりも筋肉感が薄れ、のっぺりとした白い泥人形のような巨体となっていた。
「何十人か食ったな、奴め……
光の筋肉が中和され始めている」
人の流れに逆らうように立ち、シャントメィエを見上げる者が三人。
アーノルド。ノエル。
そしてノエルを見張りに付いてきたリベラ。
いや、他にもまだ居た。
「うおおおおっ!? 何事じゃ!?」
鎧を鳴らしながらドカドカと走ってくる者が数人。
ルーヴォー伯爵と、そのお供の騎士たちだ。
「復活したか、お前たち。もう眠り薬は抜けたか?」
「殿下、これは……」
「人食いの悪魔だ。ここで倒さねば奴が力尽きるまでに、この街は焼け野原になるだろう。
……私はあれと戦う」
「何ですと!?」
老騎士は目を剥いて顔面蒼白になった。
「殿下、どうかご自愛を……!」
「我らが祖は戦いの中に国を興し、戦いと鍛錬を誇りとして生きてきた!
その血筋を継ぐ私が民の盾にならずしてなんとする!!」
アーノルドの身にもしもの事があれば、との危惧であったようだが、しかし伯爵はアーノルドの力強い言葉に雷に打たれたように身震いした。
アーノルドへの畏敬の念を深くしたかのようで、彼がそれ以上異を唱えることはできなかった。
「な、なれば……! 私は呼べるだけの騎士と冒険者を呼び集めましょう!
……お前たちは殿下をお守りせよ!」
「「はっ!!」」
「殿下、戦力が揃うまでは、どうかはやらず!」
伯爵は供の騎士の大半をこの場に残し、慌ただしく去っていく。
と言っても、戦おうとしているのは全員合わせて両手の指で足りるほどだ。
この寡勢を以て、あの悪魔を食い止めねば被害は際限なく拡大する。
少なくともあれと戦えるだけの戦力が整うまで足を止めて人を食わせず、復活を阻止するのは最低限の勝利条件だ。
「それでどうする、ノエル」
「いや実はわたしも名案とか無いんですけどね」
シャントメィエはワンルームばかりの集合住宅に頭から突っ込んで、デタラメに拳を叩き込んで突き崩していく。逃げ遅れた人の悲鳴が上がった。
無茶な攻撃によってその肉体は崩れていくが、謎の作用によって徐々に再生していく。
「見たとこ、あれは完全に力押しで、行動原理も『人を食う』だけ。
攻撃も大振りで予備動作が分かりやすい。実力ある人なら充分やりあえると思いまして」
曲がりなりにも冒険者であった者として、ノエルはシャントメィエの脅威度を分析していた。
あれはノエルや……仮にここに『炎の魔剣』全員が揃っていたとしても戦えるとは思えないが、しかし手が届かないほど離れた強敵とは感じられなかった。
いきなり街の中に現れたせいで大混乱に陥り大きな被害が出ているが、しかし単純に強さで言うなら、まだ今のシャントメィエは対処可能な範囲だ。
「で、王子様はさっきのバトルを見る限りだと、かなり身体ができてる方とお見受けしますが」
「そうだな。私とて、その気になれば裏拳一発でその辺の家の石壁くらいぶち抜ける。
頑丈さの方もな。あれに殴られても簡単に死ぬとは思っておらん」
アーノルドは鍛錬の証しを示すようにポージングした。
中位高位の冒険者にも見られることだが、魔物との戦いの経験を積むうちに人は肉体の物理的限界を超える。一種の魔法的力を肉体が発揮するようになるのだ。リベラと対等に戦えたアーノルドは、既にその域に至っているに違いなかった。
「むしろ君が心配なのだが。戦う気か?」
「更新してないから多分資格失効してますけど、これでも元冒険者です。
前述通り魔法が使えますし、多少は蹴ったり殴ったりできます」
「しかも前衛だと!?」
「……まあ、あれと正面から殴り合うのは正直言えば無理そうですね。
ですが側面支援くらいなら!
これだけ大規模な人助けなら全力出しても収支が黒字になると思いますし」
ノエルは己の決意を示すようにアーノルドのポージングを真似た。
本来のノエルは半人前の魔法しか使えないヘッポコ冒険者だ。
シャントメィエに与えられた魔法の力を使えば、どうにか一人前程度の仕事はこなせるが。これは使えば使うほどに悪しき業が深まり呪いの侵蝕を招く。特に私利私欲のために使うと非常にまずい。
無私の人助けをする時や、結果的に大勢を救って悪しき業を浄化できる時でなければおいそれと全力を出せないのだ。
その点から考えると、シャントメィエの筋肉化解除を阻止することは結果的に『贄とされた自身の死を回避する』という私利のための戦いでもあるので結構危険なのだが、街丸ごと救うという結果をもたらす事を考えればおそらく帳尻は合うはずだ。
「そう言うからには信じるが、気をつけるよ」
「それはもう。業を償い終わる前に死んで地獄行きは御免ですから」
彼はそれ以上、心配して止めるようなことはしなかった。
アーノルドの態度は『ノエルなどどうでも良い』と思ってのことではなく、自身が言う通りノエルを信じたからだ。戦いの場で判断を任せても問題は無いだろうと考えてのことだ。
そう、ノエルにはなんとなく分かった。
「都市防衛兵器の準備が済むまで、どうにかして持ちこたえる!
お互い距離を取って囲め。足を狙って四方八方から攻撃を仕掛け、気を散らすのだ。
突っ込みすぎるなよ。攻撃を受けないことを第一に考えろ!」
「「はっ!!」」
居並ぶ騎士たちにアーノルドが告げると、力強い応えがある。
「私に続け、勇敢なる騎士たちよ! 筋肉神マクスルカス様のご加護を!」




