【1-26】血肉
アーノルドとリベラも戦いの手を止め、通路の奥に明かりを向ける。
最初、それは明かりを受けて蠢く何かに見えた。
次にそれは迫り来る壁に見えた。
やがてそれは、滅茶苦茶に引き延ばされた『顔』の一部だと分かった。
喩えるなら、スポンジの人形を細い筒の中に無理やり詰め込んで、背後から棒で圧したらどのように進んでいくだろうか。
つまりシャントメィエはそのような状態になって、巨体では通ることができないはずの細い通路を進んでいた。
『おお……筋肉美! おおおおおおおっ!』
二人が呆然としていたのは一瞬だった。
示し合わせたようにタイミングを合わせて二人は同時に逃げを打つ。
リベラは再びノエルを抱え上げる。アーノルドはそれを確認しつつも、すれ違えない一本道の細い通路なので自ら退いて道を開ける。
『ノエルを無事に持って帰る』という一点において、今の二人の行動原理は一致していた。
太い通路まで来ると、二人は並んで全速力で走り出す。
背後ではシャントメィエが通路からにゅるりと押し出されるように出て来て、少し広くなった空間でようやく人の形を取り戻していた。
『筋肉!』
天井部分に頭をこすりつけて折れ曲がりながらも、シャントメィエはドスドスと地を揺るがしながら猛進追跡を開始した。
「あれはどうにもならないのか!?」
「できるならどうにかしてる!」
「おい、ノエルを渡せ!」
「無理な相談だ!」
全速力で逃げ走りながらアーノルドとリベラは怒鳴り合った。
「てゆーか、裸で素顔のわたしを抱えてよく走れますね!? 暗いから平気なんですか!?
足もつれて転んだりしたら二人とも死にますよ!? わたし自分で走りますよ!?」
「へっ……おためごかしだな。
心配ご無用。この仕事の前に、10年ぶりに女を抱いてきた!」
「……ああっ! 賢者タイム!? そんな対抗手段が!?」
仕事のためなら形振り構わないリベラの意地に、ノエルは感心を通り越して呆れそうになる。
確かにそれはノエルの力の特性を考えれば効果があるかも知れない。既にリベラは歳でもあるし。
翻って、若いしリベラのような対抗手段も準備していないであろうアーノルドに運んでもらうのは危険だ。胸が当たった瞬間に骨抜きになってしまいかねない。
「そもそもなんだあれは!?」
「こっちが聞きたいんです!
なんか邪教徒がわたしを生贄に悪魔を呼び出そうとしてたんですけど、代わりにわたしを呪った悪魔が飛び出してきて、しかも筋肉化暴走しました!」
「筋肉化……?」
「……何ですかその反応。まさか心当たりが?」
ノエルの中では『こいつなら知っていてもおかしくない』と頼もしく思う気持ちと、『あんな理解を超えたものについて知っている奴と関わり合いになりたくない』という気持ちがせめぎ合っていた。
「ノエル! よもや騎士たちに聖なるプロテインを飲まされたか!?」
「概念の時点で理解したくありませんがなんですかそれ!?」
「筋肉神マクスルカス様のご加護を受けしプロテインだ!
怪しい術を仕込んでいそうな相手や、邪術師であると疑われる相手を尋問する際に飲ませることがある!
要は聖水と同じだ、邪なるものを祓う力がある!」
「そんな胡乱なものを飲んだ記憶は……」
あった。
例の筋トレ拷問の際、騎士たちにノエルはプロテインを飲まされていた。
「たぶん飲んだわ、それ……そうか、俺が魔女だから飲んで気持ち悪くなったのか……」
「おそらく、召喚の触媒となった君に、聖なるプロテインによって聖なる筋肉属性が付与されていたために贄としての完全性が失われたのだろう。より正確に言うなら、君を構成するあらゆる要素の中で筋肉の要素が『聖』に傾いていたと言うべきか。
そのため奴は自在に力を振るうことができず、行動に枷を嵌められ、更なる筋肉を求めて彷徨うだけになった」
「ある意味で余計に惨劇では?」
人は理解不能なものを本能的に恐れ、逆に理解したものに対しては理性的に捉えることができるのだという。
しかし背後から迫り来る物体に対して理解したところで何がどうなるというのか。
『筋肉……!!』
「このままでは追いつかれるぞ! どうする!?」
「チィッ!」
リベルの手が腰のポーチから何かを掴み出し、それを肩越しに鋭く背後へ投じた。
「とっときな!」
直後。脳髄を揺さぶるような衝撃。流石のリベラも歩みを乱して蹈鞴を踏む。
筒状の空間を、爆風と閃光が薙ぎ払っていた。
「爆弾!? ……また物騒な」
鼓膜がわんわんと鳴いているようだったが、すぐ背後まで迫っていた足音が止まる。
周囲が急に明るくなって、何かが崩れる音がした。
この空間の天井が爆弾で崩壊し、地上と繋がって月明かりが差し込んだようだ。時を止めたように百年単位で停滞していた空間に新鮮な夜風が吹き込む。
「おい、あいつ止まったぞ」
「何? 今ので脳みそぶっ飛んだか?」
流石の体力馬鹿たちも少し息を切らしながら、足を止めてシャントメィエの方に振り返る。
筋肉化してしまった女悪魔は、爆弾によって顔の半分ほどが焼け潰れていた。
そして彼女はもはや三人に興味を失ったかのように、爆発でできた穴を残った片方の目で見上げていた。
『筋肉――――ッ!!』
「なんだ?」
一声叫んだかと思うとシャントメィエは無理やり地上に手を伸ばし、穴のふちに身体を裂かれながらも身体を引き上げて這い出ていった。
「上がっていった……?」
「……そうか。我々三人などより、多くの『肉』が存在する方向に向かったのだろう」
より多くの、肉。
それが何を意味するかは明白だ。地上に何があるかを考えれば。
思わずノエルは悲鳴のような息を吐く。
「あいつは……肉を食ってどうする気なんです?」
「私も魔法は、理論を学習しただけでそこまで深い専門的知識は無いのだが……」
「大丈夫です。一般的な魔法理論とこの国特有の筋肉理論を合わせて俯瞰的に説明できるのは王子様だけだと思いますんで」
「つまり今の奴は、ノエルが贄として不完全だったために闇の筋肉が構成概念として欠乏し、それを補おうと暴れているのだ」
「闇の筋肉概念」
筋肉が足りずに筋肉を求めているのに、筋肉まみれの姿を取るというのは矛盾している気もするが、魔物だの悪魔の肉体は所詮、生物を真似て魔力を編み上げた『エーテル実体』に過ぎないのであまり意味は無い。
あの肉体はシャントメィエが召喚される時に混じり込んだ、聖なるプロテインという異物が作用した結果生まれたものだろう。
図らずも付与されてしまった光の筋肉を、人の『肉』によって形成した闇の筋肉によって中和した時、シャントメィエは本来の姿に戻って理性と力も取り戻す……ということだろうか。
「じゃあ、それを補給したら……?」
「奴は召喚された悪魔として完全に顕現し、しかし行動を抑止する魔法陣が無いため暴走状態となる。
贄である君の存在を燃料として消費し尽くすまで、思うままに破壊の限りを尽くすことだろう」
「洒落にならないじゃないですか!」
これから起こるであろう事態を想像してノエルは血の気が引いた。
悪魔は人々の悲嘆を喰らって糧にするのだという。彼らはそう簡単に現世へ出てくることは無く活動時間も短いため、そこまで広域に被害が広まることは無いのだが、古今東西で悪魔が暴走した事件は局地的に見れば災害同然の破滅的被害をもたらしている。
封じ込められていた悪魔が契約と呪いによって、ノエル一人をねちねちいじめるのとはワケが違う。
自分の手で人を殺せるなら、よほど効率よく悲嘆を喰らうことができよう。
「止めましょう!」
リベラの小脇に抱えられたままなので今ひとつ締まらなかったが、ノエルは決断的に言った。




