【1-25】マッスルカタコンベ
鈍器を叩き付ける重い音が、がらんどうの古代下水道に響き渡る。
「上半身を横に捻る運動!」
アーノルドは少し健康になった!
「腕を交差させてから大きく開く運動ッ!」
アーノルドはまた少し健康になった!
「背中を反らせて大きく両腕を振り下ろす運動ォォォォォッ!!」
アーノルドはまた少し健康になった!
「凄い……あの筋肉王子、この勢いで戦いながらどうやって喋ってるんだ」
竜巻のように二本のバーベルを振り回すアーノルドは、目まぐるしく位置を入れかえながらリベラと打ち合った。
アーノルドの必殺の一撃を、リベラは剣の腹で滑らせるように受け流して懐に入る。これにアーノルドは手の内で素早くバーベルの柄を滑らせ、黒い重りを手元に引き寄せてコンパクトな打撃で返した。
そこからの足下を掬う一撃をリベラは宙返りで躱し、アーノルドの頭上を飛び越えざま投刃を擲つ。
重いバーベルを一旦手放し籠手で投刃を打ち払ったアーノルドは、落としたバーベルが地に着く前に拾い上げ、一回転させながら振り上げ、隙を突いたリベラの斬撃を止める。
「やるようだな。だが……」
素早く距離を取ったリベラはノエルを抱え上げ、踵を返して逃げ出した。
「うひゃん!」
「あ、待て!」
おそらく出口から離れる方向へ向かっているのだが、リベラの歩みは迷い無い。
巨大なパイプ状の空間から細い脇道に入ったところで、リベラはノエルを下ろして、追ってくるアーノルドの方へ向き直った。
「うぺっ」
「さて、第二ラウンドだ」
剣を収めたリベラは拳術の構えを取る。
彼の身に着けている指ぬき手袋は、第三関節を鋲打ちしたプレートでカバーしてあり、拳を保護しつつ拳撃の威力を高める構造だった。
「そうか、この狭さではバーベルを振り回せない。地の利を得たか。だが……」
アーノルドはバーベルに付いている黒い重りを軽く捻る。
するとそれは意外なほど簡単に柄から外れた。
アーノルドは円盤状の重りの中心に手を差し入れ……ノエルにとっては己の目と正気を疑う眺めであったが……大振りなナックルダスターのように構えた。
「生憎と、こちらにも殴り合う準備はあるぞ」
トントン、とアーノルドは挑発的にステップし、次の瞬間、二人は正面からぶつかり合った。
「うおおおおおお!」
「ぬあああああっ!」
左右にほぼ逃げ場が無い一本道の細い通路で一進一退の殴り合いが繰り広げられた。
身を沈めてフックを躱し、組み合わせた腕で正拳を受け止め、顔を掠めるような一撃に血と汗が舞う。
見たところ戦いはほぼ互角。
どちらが勝ってもおかしくないし、相打つかも知れない状況だった。
――援護できないか?
いや、邪術師どもが『指枷』嵌めてくれちゃったお陰で、俺は魔法を使えねえ。
悪魔の力で衣装チェンジして魅了の呪いで意表を突けないか? いやでも、これは敵味方関係無く効くから下手すりゃアーノルドが劣勢に……! つーか今現在全裸なのにこれ以上何をしろと!
この状況でアーノルドを支援する手段は無いものかとノエルは必死で考えたが妙案は浮かばない。
未だ、リベラが仕掛けた謎の金縛りは有効で、ノエルは首から下が動かない状態だった。
「ヘッ……拳法だけでこの俺と渡り合うか……」
血混じりの唾を吐き捨てながらリベラが言う。
「ご老体をこのような武器で殴るのは忍びない。退いてはくれぬか」
「抜かせ! こちとら10の歳にもならんうちから人を殺してんだ。
テメェみてえな若造如きに情けを掛けられちゃ『死神』の名が廃るってもんよ!」
リベラは踏み込みつつ、大振りな右の一撃を捻じ込もうと……
「左手!」
「むっ?」
フェイントだ。気が付いたノエルは叫んだ。
リベラは右手で殴りかかると見せかけて意識を惹き付け、手品のように左手を腰のポーチに回してタネを仕込んでいる。
右の一撃をアーノルドは受ける。
いや、これは受けさせるための攻撃だ。
アーノルドの動きが止まったところへ、左手から何か液体を浴びせつつリベラは一歩退いた。
「うおお!」
投網のように噴き出した液体を、アーノルドはすんでの所で身を退いて躱した。
液体がバーベルナックルに少し掛かると、ジュッと嫌な音を立てて煙が立つ。
「済まん、ノエル。助かった」
「チ、よく避けた……いや、今のは嬢ちゃんの手柄か」
戦いの最中、二人はただ事実として、ノエルの貢献を認めた。
――なんだ、これ……
こんな時だというのに。
それどころではない状況なのに。
ノエルは胸の谷間をくすぐられているかのように感じて身震いする。
嬉しい。
冒険者時代のノエルが、己の力を活かすために必死でやってきたのは『戦いの流れを見ること』だ。
敵味方全体を観察し、お互いの次の一手を個々人の判断まで含めて予想しなければ、魔力の無さをカバーするため瞬間化した強化魔法なんてマトモに使えないから。
あくまで魔法を活かすため必要だったから磨いた技能でしかなかったが、それは熟練冒険者にも引けを取らない、ノエルの『必殺技』だった。少なくともノエル自身はそう思っていた。
しかしそれを仲間たちに認められることはなく、ノエル自身も『本当は自分は大したことをしていないんじゃないか』と悩み自信を無くしていた。
今ここでようやくノエルは、自分のしてきたことが無駄ではなかったと思い知った。
ノエルの『読み』が戦いの流れを変え、ノエルにとっては雲上の高みにある強者たちがそれを認めたのだ。
直後、粗暴な振動がダイレクトに胸部に伝わって巨大な脂肪玉を震わせ、ノエルは余韻から醒める。
「なんだ!?」
地面が揺れている。だが地震とは少し違う。
もっと直接的で、何か大きなものがどこかに身体をぶつけているような揺れ方だ。
『筋肉……筋肉……!』
「やばい、追いついてきた!」
地の底から響くようなおどろおどろしい声が徐々に迫っていた。




