【1-24】筋肉災害
『筋肉……! 美しい……筋肉……筋肉美……!!
タンパク質……ビタミンD……あああ……ああああああああああっ!!』
巨大化および筋肉化したシャントメィエは、顔を覆いながら悶え苦しむ。
宙に浮いていた彼女は、重さと大きさに耐えかねたかのように逞しい足を突いて地を踏みならす。
どうでも良いが何故か黒い紐水着のようなものだけを身につけていた。
「なん……っじゃこりゃー!?」
唖然とするノエルを尻目に、事態の元凶たる邪術師たちは無様に逃げる。
「わけが分からない事になったぞ!」
「逃げろーっ!」
「あ、待てこら! だから俺の鎖解いてけってば!」
だが、それをシャントメィエは見咎めた。
儀式場の出口へ逃げ込もうとする邪術師たち目がけ、シャントメィエは巨木のようになった腕を伸ばす。
『筋肉!』
「ぎゃー!!」
一瞬だった。
巨大な手に叩き潰された邪術師たちは潰れたトマトのようになり、その残骸を鷲づかみにしたシャントメィエは、それを口元へ持って行く。
ゴリゴリと骨を砕く嫌な音がして、指の間から血が滴った。
「食ってる……!?」
そして、食えば食うほど彼女の筋肉には血管の如き真っ赤なラインが走り、力が注がれている様子だった。
邪術師たちを食い終わったシャントメィエは、この空間にただ一人残る生者、即ちノエルの方を茫漠とした眼差しで見下ろす。
『お、おお……筋肉……』
「やばっ! ストップ! ちょっと待って! 俺は美味しく……いや美味いか多分! 柔らかくて!
ほら、筋肉あんまし無いよ!? 脂肪の方が多いって! おっぱいとか太ももとか尻とか!」
血塗られた手がノエルに迫る。
ノエルはもがくが、拘束は完璧だった。
鎖が僅かにガチャガチャと鳴るだけで手足をまともに動かすこともできない。
さらに両手の指には魔法を封じる『指枷』が嵌められていた。チャチなマジックアイテムだが、ノエルの魔法を封じるには十分すぎた。
だが、シュルルル……と空気を切り裂く耳障りな音がしたかと思うと、甲高い金属音を立ててノエルの四肢を繋ぎ止める鎖が突然断ち切られた。
「ん?」
ブーメランのような形をした小さな投刃が、ノエルの寝かされていた石の祭壇に突き立っている。
青黒い輝きからするにアダマンタイト製か。
ノエルは気付いた。
ドーム状の儀式場の高いところに、いくつか天窓のように穴が空いていて、そのうち一つに人影が立っていることに。
いつの間にか天井からは、さっきまで存在しなかったはずの長い鎖がぶら下がっていて、謎の人影は鎖の先端を掴んで振り子の如くスイングした。
「えええーっ!?」
シャントメィエの手がノエルを掴もうかという瞬間、ノエルは謎の人影によって掻っ攫われる。
「ははは! なんか思ってたのとは違う展開になったが……奪還成功だ」
「先せ…………さっきの人攫い!」
鋼の如き肉体を持つ白髪頭の老人。リベラだった。
――これ、いつだったか先生に見せてもらった『先端がどこにでも刺さる鎖』か!
マジでこういう使い方すんのかよ、冗談だと思って話半分に聞いてたのに!
ノエルを掻っ攫ったリベラは勢いそのままに振り子運動をして、出て来た通路とは反対側の壁に足を突く。
その壁を強く蹴って、リベラは再びスイングして戻って行く。
『筋肉! 筋肉……!』
「ええい、化け物め! こんな骨張ったジジイ食ったら腹壊すぞ!」
シャントメィエが手を伸ばすが、それは緩慢に過ぎた。
リベラは巨大な手をすり抜けて、狙い違わず自分が出て来た高所通路へ着地し、すぐさまノエルを抱えて駆けだした。
「えーと…………助けてくれてありがとうございます?」
「俺に礼言ってどうすんだよ……俺ぁ大事な商品をかっぱらってきただけなんだぞ」
「あ、そっか。でもあんなわけのわからないものに食われるよりは、その方が辛うじてマシかなと」
「ったく、相変わらず只者じゃねえ嬢ちゃんだ……」
全裸で小脇に抱えられていたノエルだが、突然首筋に刺すような痛みを感じる。
「痛っ!?」
そして首から下に力が入らなくなった。
「かっ……身体が動かない……」
「縛るだけではいけないようだと学んだのでね」
リベラに何かされたらしい。
一度は自分を倒している相手なので、人畜無害に見えても警戒は怠らない様子。
なんだかノエルは感心してしまった。
細い通路はすぐに終わり、何やら筒状の広いトンネルみたいな場所に出る。
リベラは既に道が分かっている様子で、腰に提げてある光を放つ小さな石を頼りに、ほぼ真っ暗な中を突っ走る。暗視の訓練を積んだ彼にはこの程度の明かりで十分なのだ。
――ここは下水道……? にしてはクサくないし水気もろくに感じない。
妙にハイテクな感じもあるし、『古代魔王文明』時代に使われてて遺棄された場所か。
僅かな照明から周囲の様子を見て取って、ノエルは分析する。
ジェネレーターが存在する街なのだから、地下にこんな施設が埋まっていてもおかしくはないだろう。
ロストテクノロジーの塊である古代下水道は操作不能なので使うこともできず、放置している間に悪魔崇拝者が住み着いてしまったという事だろうか。
疾風のように駆け抜けて行くリベラが、特に何も無さそうな場所で唐突に足を止めた。
「……どうかしました?」
「邪魔者だ」
すぐにノエルも気付く。
前方から荒々しく真っ直ぐな足音が近づいてきた。
そして、眩いばかりの明かりも。
逆光のせいで何なのかよく分からなかったが、それが大分近づいてきてやっとノエルは、アーノルドだと気が付いた。
「無事でしたか、王子様!」
「遅参した。済まんな、ノエル。
すぐに奴らから逃げる事はできたが、武器を取りに戻って、騎士どもの所へ君を探しに行って……
お陰で遅くなってしまった」
「……武器?」
アーノルドは軽装の騎士鎧らしきものを身につけていて、さらに彼が言う通り、何か武器らしきものを両手に一本ずつ持っていた。
鉄棒の両端に重りが付いた物体。重りの片方は白くて片方は黒い。
それは確かに武器として使えるのかも知れないが、普通に考えたらただのトレーニング器具で、バーベルだった。
「なんでバーベル持ってるんですか筋肉王子!」
「説明しよう! 『バトルバーベル』は我がペクトランドに伝わる武器である! 実戦用よりも典礼用としての意味合いが大きく、近年では使われなくなって久しいが、それを私が特注品として蘇らせたものだ!
本来バーベルは両端に同重量の重りを装着するものだが、バトルバーベルの一端にある白い重りはバランスを取るため及び装飾のための比較的軽量な重りであり、戦闘時には白い重りから柄の四分の一ほどの位置を握るのが基本的な構えである。
黒い重りの重量によって敵を打撃する武器であり、一般的には両手持ちだが、私の膂力であれば二刀流も容易い!
日常生活では重りを付け替えてトレーニングにも使える素晴らしい武器だ!!」
「そういうもん持ち出すときは何からツッコめば良いのか先に教えてくれないかなあ!?」
熱波のような闘気がアーノルドから発せられていた。
リベラはノエルを下ろして剣を抜き、身構える。
「私の命の恩人を返してもらうぞ」
「面白い。やってみろ若造」
「ペクトランド式国民バーベル体操第二ィィィィィッ!!」
バトルバーベルが唸りを上げて振り下ろされた。




