【1-23】邪悪な祈り
酒を飲みすぎた次の朝のように、頭の中で鐘がガンガン鳴っていた。
「ん、う……頭痛い…………」
死ぬほど眠かったが、不快感のあまり眠っていられず、ノエルは泥沼から這い出すように意識を浮上させる。
「んえ?」
するとノエルは自分が手足をぴんと張った状態で仰向けに拘束されていることに気が付いた。
しかも全裸で。
奇妙な黒光りする材質の高い高い天井があって、背中の下には石の感触。
ダンジョンの中のような、均質に冷たい地下特有の空気を感じる。
手足を動かそうとするものの、鎖の音がするだけでほとんど動かせなかった。
「え、ちょ、なんだこれ!? って言うか裸!?」
「目覚めたか」
間近から声がして、首だけは動いたのでどうにかそっちを見ると、怪しい黒ローブで全身を包んだ男がノエルを見下ろしていて、さらに同じような格好をした者が後ろに四人ほど並んでいた。
「おい、なんだよこれ! ……悪魔召喚の祭壇か?」
「ご名答」
「当たってほしくなかった……」
雰囲気からの当てずっぽうだったが的中してしまった。
拘束されているノエルからは見えないが、多分ノエルを縛った周りにはニワトリの血で描いた魔法陣が敷かれているのだろう。
――どうなってるんだよ俺の運命……!
一晩のうちに公権力と人攫いと邪教徒に狙われるとか、フルコース通り越して災難の大食い大会じゃねーか!
いや。『どうなってる』と言うならば、原因だけはハッキリしている。
どれもこれもノエルの美しさに起因して面倒事が招き寄せられている。
これが、復讐と引き換えにノエルが受けたシャントメィエの呪いだ。
「我らは、闇夜の連ね星にして焔の頭を持つ狼たる、ウィザーゲレイン様にお仕えする者。
いと尊きかの御方は傾国絶世の美女をお求めだ。
西へ東へ旅し、美女を探すこと幾星霜。いずれもご満足頂けず、我らは端切れのような加護しか賜れなかった……」
万感の思いを滲ませて黒ローブの男は言う。
悪魔に捧げ物をして力を借りる異端の術師たちを、邪術師や魔女という。
ノエルも図らずしも魔女になってしまったわけだが。
生きている間は神殿騎士や異端審問官に追われ、死後は地獄の特等席が予約されているという大層なご身分だが、それでも尋常の魔法では手が届かない邪悪な奇跡を手にするため、我欲に負けて悪魔を崇める者は少なくない。
要するに彼らは悪魔教団……いや、零細悪魔崇拝サークル……いや、せいぜい邪術師のパーティーだろうか。
「だが! 今宵我らは、お前という至高の贄に巡り逢えた! 今こそ我らが主にお出まし願う時!!」
「待って! 殺すの!? わざわざ美女見つけたのに!?」
「我らが主は美女の血を望んでおいでだ」
「趣味悪いなオイ!? 悪魔なんだから当然か!?」
「よく騒ぐ贄だ。だが、そうして声を上げられるのも、あと僅かよ」
黒ローブの男は、邪悪な装飾が施された宝剣を取り出し、その刃に何かの血を塗りつけて逆手に構える。
リーダーらしき彼の背後に控えていた黒ローブ集団は杖を掲げて祈りつつ呪文を唱え始める。
すると、ぼんやりとした赤黒い光りが立ち上った。
悪魔召喚の魔法陣に魔力が流し込まれ、起動したのだ。
「我らが主よ! 貴方様の忠実なる僕が血の杯を御捧げ致します!
どうかお納めください!」
「や、やめろ! やめろーっ!!」
「ぬああああああっ!!」
興奮に目をぎらつかせる邪術師は、力任せに剣を振り下ろす。
避けることも防ぐこともできるはずはなく、その剣はノエルの豊満な胸部を貫いて辺りを鮮血に染める……
かと、思われた。
「……え?」
振り下ろされた剣が、宙で止まった。
ノエルの脇腹辺りが裂けていた。刃が突き下ろされるよりも、早く。
痛みは無い。ただその裂けた傷口は、青黒い闇が淀んでいるようなおぞましく奇妙な色彩であり、そこから同じ色の手が突き出して、剣の刃を掴み取っていた。
要するに脇腹から手が生えてきて白刃取りをしたような奇妙な状況だ。
『ほ、ほほほほ……』
森羅万象の全てを嘲笑うかのような、蠱惑的でどこか淫猥な笑い声が聞こえた。
初めは風の音と聞き間違えるほど小さく、やがて明確に。
まるで魚の内臓でも引っ張り出すかのように、ノエルの脇腹の亀裂から何かがズルリと出て来た。
喚び出されたのは、炎の頭を持つ狼なんかではなかった。
青黒い闇が湧き立って、やがて空中でゆるゆると人型を象り、色彩を露わにする。
それはドレスともローブとも言い難い黒衣を纏った絶世の美女だった。
女神像の如き理想美の極致と言うべき神秘的な顔立ち。
その肌は雪のように白く。
その唇は血のように赤く。
波打つように色を変える長い髪に、複雑な形をした黄金の簪が挿してある。
『ほーっほほほほほほほ!』
「う、嘘ぉ……」
地下空洞に瘴気の嵐が舞い、邪悪な貴婦人が宙に座す。
ノエルを蘇らせた美の悪魔シャントメィエがそこに居た。
邪術師たちは顔面蒼白でシャントメィエを見上げる。
「召喚術式が乗っ取られた!?」
「しまった、こいつ……! 『お手つき』だ! もう悪魔に捧げられてやがる!」
「んな馬鹿な! 贄にしても魔女にしても、なんでそんな奴が聖女暮らししてるんだ!?」
「お勤め中だったんじゃい!!」
とにかく、よく分からないが同一人物を二匹以上の悪魔に捧げることはできないらしいという新たな知識をノエルは手に入れた。今後の人生で役に立つかは不明だが。
次に何が起こるかはだいたい分かる。
悪魔を召喚する時は、喚び出した悪魔を閉じ込めるために魔法陣を整えるのだ。さもなくば悪魔は召喚者すら喰らい殺して暴走を始めかねない。
そして彼らが用意していたのはウィザーゲレインなる悪魔を召喚するための……つまりウィザーゲレインを閉じ込める檻として特化した魔法陣であり、シャントメィエを閉じ込めるためには作られていない。
『ほほほ、定命の者らよ。よう妾を喚んでくれたのう。
褒美に妾が美しき死をくれてやろうぞ。
苦痛と絶望を! 妾にたんと喰らわせてたもれ!!』
「暴走するぞ、逃げろ!!」
「待てお前ら! 逃げるなら俺の鎖解いてから……」
邪術師たちは勝ち誇るシャントメィエから脱兎の如く逃げ出す。
いや、逃げ出そうとした時だった。
『がふっ!?』
宙に浮いたシャントメィエが喀血するような仕草を見せ、そしてぐねぐねと空中で身悶え始めた。
『うぐっ、あ、ああっ、なんぞ! なんぞこれは!』
「く、苦しんでる……?」
逃げようとしていた邪術師たちも足を止め、突然苦しみ始めたシャントメィエを訝しげに見上げて首を捻る。
「なんだ、これは?」
「分からん……」
――悪魔召喚とかできる邪教徒に『分からん』って言われるの、すげえ怖いんですけど!?
やがて変化が起こり始めた。
人間と大して変わらないサイズだったシャントメィエの姿が、膨らむ。
『あ、あぐっ、あがががががが……』
シャントメィエの身長は4メートルか5メートルほどになり、この広いドーム状の地下空洞でも背中を丸めなければならぬほどだ。
ボコボコと泡立つように膨れあがった肉体は、ドレスを内側から引き裂いた。
艶めかしき裸身が露わになる、かと思われたが、その肉体は歪にゴツゴツとしたものに変じ、つまりそれは。
『…………筋肉』
ドスの利いた低い声で、女悪魔は呟いた。




