【1-20】トレープ牛のリブロースステーキ
踏み込んできたのは、いかにも重苦しく堅苦しい鎧兜で武装した五人ほどの騎士だった。
「全員動くな!」
先頭の騎士がよく通る声を張り上げ、周囲の人々を見えない鎖で縛り上げる。
ちょうどワゴンを押してきたウェイターが間近で硬直していたので、ノエルは自分の注文したステーキの皿を勝手に取り上げて食べ始めた。
「……強盗でもやってくるのかと思ったが、違ったようだ。ひとまず攻撃はしないでくれ」
「了解んぐっ、しまひた」
「何故君はこの状況で食ってるんだ」
「ご飯が置き去りにされそうな流れなので食べられるうちにと」
先程の騎士が兜の面覆いを持ち上げると、その下から出て来たのは厳めしい老人の顔だ。鋭い刃物で切られたような古傷がいくつか見て取れる。
この店の名物だとかいうステーキは近隣の牧場から届けられた新鮮な牛肉を用いたものだ。スライスされた断面を見れば内側は赤みが残り、皿には赤みがかった肉汁が滴っていた。
「伯爵様……?」
騒然としていた客のうち一人が老騎士を見て呆然と呟く。
――伯爵? 伯爵って言ったらつまり、ここら辺の領主のルーヴォー伯爵?
老騎士は矍鑠とした足取りで進み出ると、アーノルドを貫き留めるように見つめながらも頭を垂れて礼を示す。
上品ながらも存在感を主張するガーリックの香りが立ち上る肉は、咀嚼すれば旨味のある脂が染み出して、焼き方は控えめなはずなのに容易く噛み切れる。普段はゴムのように硬い肉でも平気で食っているノエルだが、やはり高級品は格別だ。
「……お迎えに上がりました、殿下」
「お前自らとはな。全く、手荒な真似をしてくれる。一般市民を怖がらせてくれるなよ」
「事情が事情です故。私を責めなさるな、殿下がお逃げになったがためですぞ」
静電気が立つような緊張感だった。
確かにアーノルドが言うように、伯爵は『敵』という雰囲気ではない。しかしそれはそれとして、有無を言わさぬ調子ではあった。
ステーキの味付けは、ノエルの故郷では見られない、香草の風味を前面に押し出したソースによるものだった。
癖があると言えばあるが、慣れればこれはこれでという印象。ちょっと塩辛さが過剰にも思えるのは、甘いワインに合わせる前提だかららしい。
「して、こちらの女性は?」
老騎士の胡乱げな視線がノエルを捉える。
まだ状況を飲み込めていないが、要するにこの伯爵様にしてみれば、行方不明の王子様を探していて遂に居場所を突き止めたと思ったら年頃の女性と会食していたという状況だ。
――よーし、大体把握した。これ呪い発動のパターンじゃね?
ヘタすればノエルは王子様誘拐犯にされかねない。まあそれまで行かずとも、お偉いお嬢様がこぞって狙っているらしい王子様と楽しくお話しして食事までしていた現行犯。
危険な予感がした。この美貌は他者を魅了するが、激しい嫉妬を買うこともあるのだ。
アーノルドは立ち上がり、ノエルを庇うように立つ。
ノエルは腰を浮かせ、騎士たちからテーブルを挟む位置に後ずさりつつ肉をフォークに突き刺し口に運んだ。口に入れた瞬間はシェフの業前が光る、ノエルには食べ慣れないながらも爽やかな味付け。次いで咀嚼する度に肉々しいジューシーな味わいが口いっぱいに広がった。
「彼女は無関係だ。まあ、関係があると言えばあるが。少しばかり助けられてお礼にうおあっ!?」
その時、奇妙なことが起こった。
アーノルドが悲鳴を上げながら落下したのだ。
「えっ?」
「何!?」
床にはちょうと人一人がすっぽり落下できるだけの穴が空いていた。
床板が割れて、その下にあるべき土台やら地面やらにも何故かぽっかり穴が空いていて。
――何で急に穴が!?
しかも。その奇妙な穴は、ノエルが見ている前で急速にすぼまって閉ざされ、剥き出しの地面だけが残った。
土や岩を操る何らかの魔法によって穴を開け、またそれを閉じたのだと思われた。
「殿下!?」
「逃げおったか!」
騎士たちは狼狽えているが、何か誤解している。
――『逃げた』? 違う! あれは事故か、でなきゃ別の誰かの仕掛けだ! 何が起こった!?
今のアーノルドはどう見ても、自分の意志で逃げたという様子ではなかった。
ノエルだけではなくアーノルドにとっても想定外の事態だ。
ソースが絡んだ付け合わせのマッシュポテトもなかなか美味だった。
「う、うーむ。ひとまず……
そやつを引っ捕らえろ。話を聞かせてもらうぞ」
もちろん、この状況で騎士たちの関心は、残されたノエルへ向かう。
ピンチなのは言ってしまえば元からだが、その度合いが急激に高まった。自分を弁護してくれるだろうアーノルドがどこかへ消えてしまったのだ。
――どうする……!? 抵抗せず捕まるべきか、戦って逃げるべきか!
相手は公権力だ。ヘタに抵抗すれば余計にまずいことになる。
とは言え、しかし捕まったら捕まったでどうなるか分からない。
この街での『仮面の聖女』の名声を鑑みれば、初っぱなから極悪人みたいな扱いは避けられるかも分からないが……
――よし、とりあえず平和的に逃げてアーノルドを探そう。
ノエルは即断した。
食べかけのステーキの皿をテーブルに戻し、じりじりと後ずさる。
――……≪速力強化≫!
詠唱を破棄して自身に強化魔法を掛け、同時にノエルは走り出す。急制動によって豊満な胸部が揺れる!
「あ、待てっ!」
騎士たちが散開し四方から追い込むように、並んだテーブルの合間を縫ってノエルに迫る。
多勢に無勢で捕まるか、というその時。
「ここだ!」
ノエルは仮面に手を掛け、素顔を晒した。
「ぬおっ!?」「お、おお……」「なに……」
騎士も、客も、従業員も。
その場に居た全員が活人画と化す。
唖然とし、感動に打ち震え、息をすることすら忘れた様子で皆がノエルに魅入っていた。
だが。
その中で、ただ一人の騎士が、一瞬怯んだだけですぐさまノエルに組み付いてきた。
「ひゃん!」
「つまらぬ惑わしを……! 何の魔法を使った?」
――女騎士……! お揃いの鎧にフルフェイスの兜だから分からなかった!
声でノエルは気付く。
この騎士は女だ。
悪魔に与えられた魅了の力。
ノエルはそれを活かした独自の体術を編み出している。というか目下研究中である。
しかし、致命的な欠点として女性には効きが悪い。また、人間と美意識が違いすぎる種族や、獣同然の魔物なんかには全く効果が無かったりする。
ノエルは瞬く間にうつ伏せに組み伏せられ、腕の関節を半ば極めるように捻り上げられて拘束される。
その頃には他の騎士たちもノエルの素顔を見た衝撃から立ち直っていた。
「驚いたぞ、今のはなんだ」
「おい、その顔を隠させろ」
伏せるノエルの目の前に鉄靴が突き立つ。
老騎士が敵意に満ちた目でノエルを見下ろしていた。
「なんたることよ……その顔で殿下を誑かしたか、女……!!」
――しまった、完全に火に油……!
結局捕まった上に誤解を助長しただけの結果に終わってしまった。
「貴様らは殿下の行方を追え。こちらはこの女から情報を聞き出す」
「はっ!」
「引っ立てよ!」
ノエルは両脇から抱えられて、引きずられるように連行されていった。
――俺の肉ーっ!!
食べかけのステーキはまだ湯気を立てていた。
◇
そこはアーノルドの身長の倍くらいは直径がある、筒状の地下空間だった。
どこか湿っぽくて冷たい空気が流れている。
洞窟のような雰囲気だが、二つの魔力灯ランタンが掲げられ、鋭い光で闇を切り裂いていた。
「おい、コイツで良いのか?」
「違うだろう、明らかに男だ」
「狙いを外したか」
「だからこんなやり方は止そうと言ったんだ!」
「ここでやらなかったら奪われていたぞ!」
「結局失敗したじゃないか!」
この場所へ落下してきたアーノルドだが、落下点には藁を詰めた袋が敷き詰められていて、受身を取ったこともあって全く無傷だった。
アーノルドの前で、明かりを持った二人の男が会話している。
眩しくてよく見えないが、喪服のように重苦しい黒色のローブを着込んでいるようだった。
「……何者だ、貴様ら」
アーノルドの誰何に、ローブの男たちは答えない。
「こいつは何の役にも立たん。始末しろ」
ローブの男が指を鳴らす。
筒状の空間の奥から、何かがひたひたとやってくる。
やがて姿を現し、ランタンの光に照らされたのは、名状しがたき奇妙な怪物だった。
人ほどの体高を持つ四足の獣の如き姿をしているが、身体のあちこちから牙とも角とも分からぬものが乱雑に生えている。
「グルルルルルルル……」
「魔物……? ですらないな。なんだ、これは……」
獣は涎の泡を吹きながら唸り、いつでも飛びかかれるよう身を低くしてアーノルドに迫ってきた。




