【1-11】因果応報
頭全体を冷たいものでひっぱたかれて、意識の焦点が合い始める。
「う、んん……」
頭を振ると、髪が冷たく頬に張り付いている。水をぶっかけられたようだ。
自分が後ろ手に縛られ、何かに座らされているらしいことを、徐々にノエルは知覚する。
口に嵌められている犬用口輪みたいなものは、詠唱を無効化するマジックアイテムだ。
目を開けてみればそこは、物を置いていない物置、と表現するのが正しいように思える部屋だった。
置かれているのはノエルが縛られている椅子くらいのもの。
ノエルを捕らえた黒服男と同じような格好をした奴が数人でノエルを囲んでいる。
そして、空っぽのバケツを持っているのは……
「オウ。目ぇ覚めたか、嬢ちゃん」
狼のように鋭い目と、編み込まれた鋼線のような肉体を持つ、白髪頭のかくしゃくとした老人だった。
――先生……!
彼の名はリベラ。若い頃はどこかの今は滅んだ国で王室お抱えの暗殺者だったという男。
今はその特技を買われ、グラント商会の『従業員』として諜報や工作の仕事を統括する地位にある。
また、商会が仕事として殺しを引き受けることは基本的に無いが、邪魔者を排除する必要は往々にして出てくるもので、彼が腕を振るう機会は十分にあった。裏の世界では『死神』という、やや安直な二つ名で呼ばれているとかなんとか。
ノルムは格闘家としてギルドに登録していたわけだが、実を言うとその格闘術の師匠は彼だった。目的を言わぬまま技を習ったノルムは、最低限の技術を身につけると冒険者となって家を離れた。
血のニオイが漂うかのようなリベラの技を身につけるのは本当は嫌だったし、後は実戦の中で技を磨けば良いと思っていたのだ。
「自分がなんでここに居るか、分かるか」
放り出されたバケツが生首のように転がった。
「俺を……どこかに売る気か」
「はは、半分当たりだ」
口の端を吊り上げて皮肉げに笑ったリベラは、かがみ込んで挑発的にノエルの顔を覗き込んでくる。
刃の煌めきのように鋭い光が彼の目にはあった。
「あのなあ、うちのもんを金で雇うのは良いが、そんでああいうことされっと困るのよ。
こっちとしても落とし前ってもんが欲しいわけ」
「見てたのか? 地下六階のあれを……」
「怪しい依頼だったからな」
確かにグラント商会は金にさえなるなら大抵の仕事は引き受ける。
だが、そのつもりも無いのに殺し殺されの事態に巻き込まれるのは御免ということだろう。
騙すような形で利用したノエルを放っては置けぬと。
「まあ、落とし前ってえならお前さんを売りゃ釣り銭がデカすぎるほど入るんでな、どうでもいいっちゃいいんだ。
ジョーは……お前さんのパーティーのリーダーは、ボスの昔なじみの息子だったわけだが……今までお前を捕まえて売らなかったのは、そこに遠慮があったからなのよ。そういうのがなきゃ、もう遠慮も要らねーってわけ。ジョーはお前さんが嵌め殺しちまったからな」
リベラが言う通りなら皮肉な話ではあった。
グラント商会の御曹司でなくなった今ノエルは獲物でしかなく、自分自身の仇だったジョーを殺したことで傘をも失ったのだから。
「ただな」
リベラは猛獣めいた牙のある笑みを浮かべる。
「俺ぁよ、話聞いて惚れ惚れしたぜ。
俺らも全部見てたわけじゃねえんだが、仲間たちに何やら吹き込んで、『耳なし回廊』で同士討ちさせたって?
んで最後に残った奴を容赦無く……ドーン!
後始末も周到だ。ぽわぽわした素人の嬢ちゃんにできるこっちゃねーぜ、へへ……」
ノエルは初めてリベラに褒められた。
出来の良い生徒ではなかったかも知れないが、それでもこの男が他人を褒めるのは只事ではない。
身構えるノエルに、リベラは語りかける。
「なあ、嬢ちゃん。お前さんはどこの誰だ? 何の目的があってあんなことした?
このジジイが夢中になる程度にゃ将来有望だぜ、お前さん。
どうだ、この俺の下で働いてみる気はねえか? 美人ってなぁ便利だしな」
――そう来るかよ……!
恨みの勢いでやってしまったが、確かにノエルはかなりの無茶を成し遂げていた。
四人の男を手玉にとって殺し合わせ、最後は自らトドメを刺したのだ。少なくとも善良な一般人のすることでも、できることでもない。
斬首刑に処されるか、でなければ裏の世界で生きていくかだ。ノエルの場合、売られることで買い手の庇護下に入るという道もあるのだろうけれど。
何にせよ、ノルムは街から逃げ出せなかっただけでなく、衛兵隊なんかよりよっぽど面倒な相手に捕まってしまった。
「うちとしちゃ、お前さんを売り飛ばしてもいいんだ。だからこれは温情だと思いねぇ。
どうだい? 金で売られるよりはまだ自由な人生を送れると思うがね」
リベラは選択を迫る。
どちらがマシかという話なら選択の余地はあるかも知れないが、根本的にどちらにしても酷い未来しか見えない。
――先生とか親父について、俺しか知らない情報を話せば俺がノルムだって証明できるか!?
いや……それはそれでやべえ! 悪魔の力借りて蘇ったなんて知れたら、俺、即刻火炙り決定だ!
正体を明かせないかと思ったノエルだが、思いとどまる。
この国は神殿勢力の影響力がかなり強い部類に入る地域だ。悪魔との契約者に生きる場所など無い。
こんな汚い仕事をしている身の上だから、父は篤信家とは言い難いが、神殿と大衆を敵に回す面倒は避けるはず。おそらくノエルの真実を知れば、事が露見しないよう内々に処理する約束と引き換えに神殿へ身柄を引き渡すことだろう。
で、あるならば逃げるしかない。
ノエルは覚悟を決めた。
「売られるのも、殺し屋も……」
後ろ手に縛られたノエルの手首に、何かが纏わりつく。
「どっちもお断りだ!」
次の瞬間、ノエルを縛っていたロープは裂け千切れ、ノエルは椅子を蹴って立ち上がった。




