【1-10】美女神の真実
四つの屍が、ただ静かに横たわる。
「 (ク、クク……) 」
ノエルは、腹の底から笑いが込み上げてきて、すぐに堪えきれなくなった。
「 (あはははははは! あっははははははは!!) 」
全ての音を殺す『耳なし回廊』の中で、火を噴く火山のようにノエルは笑った。
かつて仲間だと思っていたものを殺したことがこんなに嬉しい。
名と姿を変えてパーティーに潜り込み、顔を合わせたくもない彼らに愛想を振りまき、騙し通してその果てがこれだ。
足手まといを最悪の手段で切り捨てても成功を掴み取ろうとした彼らだったが、そんなことよりもたった一人の女の歓心を買うことに必死になり、パーティーの絆も脆く破れた。
あまりにもくだらない。
そのくだらなさをノエルは証明した。
ノルムを殺した、あの日の彼らの決断を貶めた。
死体を引きずり、抱え上げたノルムは、それを回廊の吹き抜けに投げ落とす。
闇の底で小さな影が大量に蠢く気配があった。
「 (俺の奢りだ。たっぷり食っていきな) 」
地下十階まで続くこの巨大な吹き抜けを昇降に使う者が居ないのは、下層にて飛行する魔物が大量に巣くっているからだ。
投げ落とされた死体は食い尽くされ、骨と装備と服の残骸だけになって発見されるだろう。
さらにノエルは『ロシュの遊魚』と呼ばれる粉末を撒く。
これは水を清めるマジックアイテムで、泥水だろうが清く澄んだ水に変える力がある。野外で活動する冒険者にとっては必須の逸品……だが、ある種の人々にとっては別の用途で使われることもある。
今だ乾いていなかった血は、次々とただの水たまりへと変化していく。ここで人が四人も死んだのだという痕跡は消え失せた。
事態の発覚は多少遅れることだろう。……少なくとも、ノエルが街から姿を消す間くらいまでは。
死体を呑み込んだ大穴に背を向けて、ノエルは脱出スクロールを隠した袋小路へ向かっていった。
――ああ、最高だ、最高だ! 気分爽快だ!! 女神様、ありがとう!!
スキップせんばかりの勢いで、足取りも軽く(ただし胸は物理的に重く)歩むノエル。
そのノエルの前に、明らかに冒険者では無い雰囲気の黒服男が立ちはだかった。身体の俊敏な動きを妨げない、盗賊の冒険者みたいな格好だが、不気味な覆面と異様な目つきが冒険者のそれとは異なる。
「ん?」
なんだこいつは、と思う暇もなく、黒服はノエルに組み付いてくる。
「えっ?」
そして、慣れた動作で手品のように手際よくノエルを組み伏せたかと思うと、手刀を一発、首筋に叩き込んだ。
「ぴ!?」
一瞬で、ノエルの意識は闇に落ちた。
* * *
『ほーっほほほほほほほ! ああ、ようやったのう、ようやったのう!』
ノエルは意識の闇の中で聞き覚えのある笑い声を聞いた。
いつぞやのように、闇の中で蠱惑的な美貌の女が己を抱き留めている。
『女神様……さっきの出来事は?』
『あれは妾の与り知らぬ事よ。いや、関わりがあるとは言えるかのう』
シャントメィエは、ニタリと、口が耳まで裂けそうな笑みを浮かべた。
『のう、ノエル。いや最初はノルムと名乗っておったか。
そなたの家の生業はなんであったかの?』
『……表はラッヘルのダンジョン関連産業を一手に引き受け、傭兵の口入れ業みたいな真似もしてる。
裏では魔石の密売、違法な薬品の取引、場合によってはもうちょっと荒っぽい……犯罪も……』
マフィア的な悪徳商会、と言うのが最も的を射た表現になるだろうか。
基本的には(その方が割が良いという理由で)合法的な商売を多面に展開して儲けているが、商売を円滑にするためなら力の行使を躊躇わず、儲けが大きければ非合法・非倫理の領域へ躊躇わず踏み込んでいく。
――俺はそんな家から距離を取りたくて……
血生臭い生き方が嫌だし向いてないと思って、冒険者として大成を目指したんだ。
少なくともノエルは冒険者になって以来、実家からの援助は全て拒絶し、パーティーの皆と同じ宿に泊まり、パーティーから出る小遣いで身の回りの物を買って生活していた。
そしてこの復讐劇においても、ノエルは実家に金を払って人を雇ったりはしたけれど、己の正体を明かして助力を乞うようなことは断じてするまいと心に決めていた。
もしここで父の力を借りれば、ジョーたち四人は即座に(非合法に)捕らえられ、死んだ方がマシという目に遭わされた末に魔物の餌となる運命だったろう。
だがそれは『親の力と七光りで生きている無能』だという、彼らからノルムへの評価を裏付けることとなる。ジョーたちは己の正しさを確信しながら、ただ強大で理不尽な何かに翻弄された被害者として死んでいったことだろう。だからこそ、ノエルはあくまでノエルとして復讐を遂げた。
代わりによく分からない女神の力を借りることになったが、それはそれだ。ノエルの誇りの問題ではなく、よりよい形で復讐するのが目的だから。
まあ実家に正体を明かさなかったのは、復讐を終えてこのまま街を出て行けば、家との縁を切って完全な別人として生きられるのではないかという期待も少しあったからだが。
『のう、そなたの美しさは既に国の境すら超えて世に轟いておるのじゃ』
『そんなに?』
『妾の作った肉体じゃ、その程度は当然じゃろうて。
そして、そなたに値段を付けた者は、既に手の指では足りぬ』
『……はあ!?』
ノエルは思わず素っ頓狂な声を上げた。
人に値段を付ける輩が世の中に沢山居るというのは、まあ知っていたけれど、自分がそんなことをされる立場になるとはなかなか思いも付かないものだ。
『おい、まさか』
『無論、その商いを引き受けたのはそなたの父君よ』
嬲るような口調でシャントメィエは言う。
ノエルは己の迂闊さを呪った。
それは言われてみれば十分にありうる話じゃないか、と。復讐ばかりに目が眩み、今の自分がどういう存在なのか省みていなかった。……商品になりうる。
そして、この街でそういう商売ができるのは何を差し置いてもまずグラント商会だ。
あの、ダンジョン内に現れた冒険者らしからぬ黒服。おそらく商会で、その手の非合法業務に従事する者だ。
商会がどんな商売をしているのかノエルは分かっていた筈なのに、実の父にそれと知らず売られそうになっている現状にノエルは意外なほどショックを受けていた。
『ああ、よいぞよいぞよいぞ! その絶望! なんとも甘く麗しい……!
それこそが妾の求めたるものぞ! 妾の力の源ぞ!
よう妾の力を求めてくれた! よくぞ思いのままに力を振るってくれた!
おかげで我が力! 我が呪い! そなたによう溶け合うておるぞ!』
シャントメィエが嬌声を発し、宙を舞うように身悶えする。
ゆったりとした袖が熱帯魚のひれのように振られた。
『お前……本当は、何だ』
『ふふ……
妾の名はシャントメィエ。古の昔には美神と崇められた者よ。
今は、悪魔と呼ばれて久しいがのう』
『悪魔だと……!?』
目を剥くノエルを見て、シャントメィエはコロコロと笑う。
にんまりと笑ったその目に底知れぬ悪意を湛えて。
『俺を騙したのか!?』
『ほほ、悪魔は契約を交わす相手に対して嘘をつけぬ決まりでのう。妾は何ひとつ、そなたを謀ってなぞおらぬわ。
その美しき肉体も、そなたが欲した故に与えたに過ぎぬ』
記憶を必死で手繰る。
確かにシャントメィエは言葉を惜しみに惜しんだだけで、嘘は何ひとつついていない。そして、相手が悪魔と知らなかったとは言え、力を望んで受け容れたのはノルムだった。
あの時はもう失うものなど無いと思っていたし、ジョーらパーティーメンバーの仕打ちに怒るあまり冷静な判断力をなくしていた。
その結果が、これだ。
『それは人を魅了し狂わせる、魔性の美。
これよりそなたは、その美しさ故に災厄を呼び寄せ、数多の辛苦を嘗めることであろう。
命果てるまで妾を興じさせ、甘き絶望を喰らわせるがよいぞ。
ほーっほほほほほほほ!』
シャントメィエの邪悪な高笑いが闇に溶け、ノエルは意識の水底へと深く沈んでいった。




