墓場を愛する従姉妹姫と留学中の王妹 6
俺が、夕食を終えて帰ろうとすると、リージェが見送りについて来てくれた。
いつものように、玄関ホールで別れようとすると、門まで見送るという。
一瞬『まだ帰らないでほしい』的な展開を期待したが、彼女の表情から、なにか二人きりで話したいことがあるのだろうとわかって、俺たちはゆっくりと門へ向かって歩いていった。
ラピスが気を利かせてくれたらしく、馬丁はまだ俺の馬を連れて来ない。リージェを屋敷の中まで送り届けるのは、遅れてやってくるだろう馬丁に任せるとしよう。この屋敷の人間なら信頼できる。
「ラヴィにもいったが、家庭教師を手配してくれて、ありがとう」
「たいしたことじゃありませんよ。お気になさらず」
月明かりに照らされて、リージェの銀の髪が淡く輝く。
北の湖のような淡い青色の瞳が、じっと俺を見上げる。
美しいなと思った。
昔からずっとそう思っている。
初めてイアスの王宮で出会ったとき、誰も彼もまだ一つも信用ならなかった頃、それでも俺はこの人をきれいだと思わずにはいられなかったのだ。
容姿だけではない。背筋をすっと伸ばして立ち、まっすぐに人を射抜くその眼差しが、俺の目を引いた。見とれてしまったのだと気づいたときには、自分の気が緩んでいるように思えて悔しかったものだ。
惹きつけられて、離れられなくなるのは、あっという間だった。
俺は母親の身分が低く人質に出された王子で、リージェは血筋こそよかったものの後ろ盾のいない王女だ。あの頃、俺たちの世話を焼こうとする大人も、俺たちに取り入ってくる大人もいなかった。
だから俺たちは、出会えるまでは寂しくて、出会えてからは幸福だった。二人一緒なら、孤独は自由へ変わった。大人たちの眼が厳しくないのをいいことに、俺たちは朝から晩までともに過ごした。
……あの頃、俺は、夢を見ていた。
いつかオーランドへ帰らなくてはならない日が来たら、さっさと王子などやめて、臣下の礼を取りどこかの公爵になって、手柄を立てて、イアスの王女を妻に望める立場になるのだ、と。
王女であるリージェの結婚は、政治的な意図により決められる。なら俺は、イアスにとって最も利益のある結婚相手になってみせる。そんな風に意気込んでいた。
あの頃は、王になるつもりなどなかった。王位争いなんて面倒なことに巻き込まれて時間を無駄にするのもごめんだった。俺はただ、リージェを妻に望めるだけの地位と権力があればいいと思っていた。
……馬鹿馬鹿しい夢だ。俺はただの無知な子供だった。一国の王女の身の安全が、王にならずとも買えると思っていただなんて。
「ディゾルド」
「はい」
リージェが、ためらいがちに唇を開く。
「わたしは、これから、多くのことを学んでいくつもりだ。イアスのこと、オーランドのこと、そして……、ディゾルド国王についても」
「ええ」
「わたしは、できるなら、お前自身からも話を聞きたい。……もちろん、話せる範囲で構わないから」
わかりましたと、いうつもりだった。
リージェの聞きたいことはわかっている。彼女の知る俺は、王子たちの中で最も身分が低く、最も玉座から遠かったはずだ。どうして俺が王位についているのかと、疑問に思うのは無理もない。
それでもリージェは、今まで聞かないでいてくれた。俺があまり話したがっていないことを、聡明な彼女は察していたからだ。
だが、いつまでも知らずにはいられない。家庭教師は事実を教えるだろう。だからこそリージェは、俺の口からも聞きたいと望んでくれている。世間が語る事実よりも、俺の目を通して見た真実に寄り添うつもりでいるのだろう。
……わかりましたと、いってしまえばよかった。笑顔を浮かべて、仮面を張り付けて、軽い口調で「あなたに望まれるなんて光栄です」とでもいって、誤魔化してしまえばよかった。
けれど、リージェの瞳が、俺を射抜く。
俺の心の奥底まで見透かすような眼差しに、俺は情けなく笑った。
「……すみません。俺は、血生臭い話を、あなたに聞かせたくない」
世間が語る事実よりも、俺が知る真実のほうが、はるかに血に塗れている。
※
翌朝、わたしとラヴィは、表向きは、ガリウス将軍の遠縁の娘とその友人という設定で、憲兵の詰め所へ向かった。
「実際、わたしとガリウスは、遠い義理の親戚ではあるのよ」
ラヴィが、しかめっ面が治らないとでもいうように、自分の頬をぺちぺちと叩きながらいった。
「ガリウスのお祖父様と、陛下のお祖父様 ── つまり先々代の国王陛下は、ご兄弟なのよ。先々代の国王陛下は亡くなっているけど、ガリウスのお祖父様はまだご存命よ。隠居されていて、表舞台にはめったに顔を見せないけど」
なるほどと頷きつつ、わたしは気になっていたことを尋ねた。
「ラヴィは、将軍が苦手なのか?」
明るく活気にあふれた黒の瞳が、珍しくどんよりした。
「リジィに先入観を植え付けてしまうのはよくないから、あえて褒めるけど、頭はいいわ。陛下の右腕よ。仕事はできるわ」
でも、と、ラヴィは暗い声で続けた。
「わたしのお茶会に招きたくない人物ナンバー1よ……」
※
詰め所に一歩足を踏み入れるなり、年配の男性がすっ飛んでくる。
「これはこれは! ガリウス将軍閣下の御親戚の方でいらっしゃいますね!? 話は伺っております! さあ、さあ、どうぞこちらへ!!」
わたしの前で、今にも揉み手をせんばかりにそういわれて、困惑する。
しかし、ラヴィにとってはよくあることのようで、不快さを見せることもなく、優雅に一礼してみせた。
「このような不躾なお願いを聞き入れてくださって、心から感謝しておりますわ」
「いえいえ、とんでもございません、お嬢様!」
年配の男性が声を一際張り上げる。
耳が痛くなるほどの大声に、小さく顔をしかめたとき、軽い声が割って入った。
「ボス、それじゃお嬢様方が怯えちまいますって」
見れば、妙に人懐っこい笑みを浮かべる男が、近づいてくるところだった。
こういう男性を、野性味あふれるハンサム、というのだろうか。そう思った途端『俺のほうが美形ですよ!!』と訴える大型犬の声が脳内に響いた。完璧に幻聴である。
どうしてあの男は、妙に外見を争うようになってしまったんだろうか……。
十分に甘く整った顔立ちをしているのだから、気にすることもないだろうに。
野性味あふれるハンサムは、自信ありげに年配の男性にいった。
「レディの対応なら、俺に任せてくださいよ」
「ランスト、いや、しかしな」
「年頃の娘の気持ちはわからん……って毎日嘆いてるオッサンには、レディのお相手は厳しいでしょ?」
「この野郎……」
年配の男性は頬を引きつらせたが、実際、わたしたちの扱いに困っていたらしい。
わたしたちに愛想笑いを浮かべてから、ランストと呼ばれた青年の首根っこをぐいっと引っ張って隅に連れて行く。そして、恐らくは声を潜めているつもりで、青年に言い聞かせていた。
「いいか、くれぐれも失礼のないようにしろよ! ガリウス将軍閣下の親戚の娘さんだ。間違ってもいつもみたいに『一杯飲みに行かないか?』だの『俺の手料理をご馳走してやろうか?』だのほざくんじゃないぞ! お前があのお嬢様方に指一本でも触れたら、文字通り俺もお前も死ぬ! 即刻斬首だ! まさかお前は、俺の家族を路頭に迷わせるつもりじゃないだろうな!?」
「やだなぁ、信用してくださいよ、ボス。俺がそんな危ない橋を渡る男に見えますか?」
「危ない橋に自分から穴をあけて進む阿呆にしか見えんわ!!」
……丸聞こえである。
詰め所には、年配の男性とランスト氏以外にも、数人の憲兵の姿が見えたが、だれもが沈痛な面持ちでうつむいている。二人の会話がわたしたちまで筒抜けであることはわかっているが、今さら注意もできないといったところだろうか。
しかし、ランスト氏以外の立候補がいない所を見ると、彼はそれなりに優秀なのだろう。あるいは、わたしたちがそれほど持て余されているのかもしれないが。
年配の男性に一通り説教をされてから、ランスト氏はわたしたちのもとへ軽い足取りでやって来た。
「それじゃあ、金庫までご案内しましょう。将軍閣下の御親戚のご令嬢と、そのご友人のお嬢様」
まずラヴィへ微笑み、それからわたしに軽やかにウィンクしてみせる。
直後に彼の背後から「ランストーッ!!」という怒声が響いた。
わたしとラヴィは、こっそりと顔を見合わせた。
※
「これが金庫ですよ」
そうテーブルの上に置かれたものに、わたしは少々戸惑った。
ラヴィも同じ気持ちだったらしい。金庫をしげしげと眺めていった。
「意外と小さいのね」
ラヴィの屋敷のキッチンにある深鍋より小さい。金庫といっても、持ち歩けるタイプなのだろう。
「小さいけど、頑丈でね。なにをしてもひび一つ入りませんよ」
ランスト氏が含み笑いをしながらいう。
「故人の義弟が、そりゃあもう頑張ってイロイロやってますけど、開く気配は今のところありません。昨日なんか、ついに力技を諦めたらしくて、祈祷師だとかいう怪しげなオッサンを連れてきて拝ませてましたけどね。拝んで開くタイプの金庫じゃなかったようです」
くくくと、ランスト氏が思い出し笑いを零す。相当シュールな光景だったのだろう。
「その義弟が、なにか、装身具のような物を持ってきたことはなかったかしら? 鍵には見えない何かを、鍵穴に差していたことはない?」
「ああ……、俺は見てませんが、同僚が、ネックレスを差しこんでいるところを見たそうですよ。あの義弟、ついに頭がイカれたかって話してましたから」
「それだわ!」
ラヴィが声を弾ませた。
「わたしたち、そのネックレスを探していたの。実はそのネックレスは、ミス・ケリーのお墓から盗まれた可能性があるのよ!」
「墓荒らしってことですか?」
ランスト氏が目を丸くする。お嬢様からは想像できない単語だったのだろう。
将軍からある程度事情を聞いているのかと思っていたが、そうでもないらしい。
憲兵の青年は顎をさすって、思案顔でいった。
「あの義弟の住所はわかりますが……、お二人だけじゃ到底行かせられません。かといって、俺が行ってくるのでお二人は留守番……というのは、納得してもらえなそうですね」
仕方ないな、と憲兵の青年は軽い口調でいった。
「三人で行きますか」
「行きますわ!」
「よろしくお願いします」
ラヴィが意気込んで立ち上がり、わたしが頭を下げたときだった。
誰かが、わめいているような騒ぎが、聞こえてきた。
ランスト氏が、にんまりと笑う。
「こりゃいい。訪ねて行く手間が省けましたね」
※
あなた方に万が一のことがあったら俺の首が飛ぶので、離れていてくださいね。
ランスト氏にそういわれて、わたしとラヴィは、十分に距離を取った扉の影から、こそこそと見守っていた。
「わたしの金庫はどうした! いつまで待たせる気だ!? わたしが小隊長の親戚だということを忘れたんじゃないだろうな! お前たちが仕事をさぼってばかりだと、小隊長に報告しておくぞ!」
ソファでふんぞり返って、憲兵相手にわめきたてているのは、白髪頭の男性だった。
服装だけ見れば、どこぞの紳士にも見えるが、横柄に怒鳴りたてる口調に嫌悪感がわく。
ミス・ケリーに暴力を振るおうとしたというのも納得だ。自分より弱い立場の相手だと思えば、平気で踏みにじるような人種だろう。
ランスト氏は、義弟の恫喝に怯んだ様子もなく、猫のように足取り軽やかに近づいていった。
「これはこれは、お待たせしてしまって申し訳ありませんね」
「ふんっ、今さら謝っても無駄だ。この詰め所には、市民をないがしろにする役立たずしかいないと、小隊長にはよく話しておく」
「まあまあ、そういわずに。実は、例の金庫について、重要な情報提供があったんですよ」
「鍵のありかがわかったのか!?」
「残念ながら、鍵についてはわからなかったんですが、興味深いお話があるんですよ」
「なんだ、さっさといえ!」
そこで、ランスト氏が、にやりと笑ったのが、わたしにも見えた。
まるで秘密を告げるように、義弟の耳元へ口を寄せて、楽しげにいう。
「実は、ケリー・カーソンの墓が、墓荒らしにあったそうなんです」
義弟は、あからさまに、肩を揺らした。
「そっ……、それは、また……、不謹慎な真似をする者がいたものだな! どうせ、そこらのチンピラどもだろう。棺の中に、なにか金品でも入っていないかと、不届きなことを考えたにちがいない!」
「まったくです。実は、故人のネックレスが盗まれたそうでしてね」
義弟が、今度は硬直した。
ラヴィが、呆れた声で呟く。
「あのランストという男、どう見ても面白がってるわね……」
同感である。
ランスト氏は、たった今気が付いたとでもいうように、大きく眼を見開いた。
「そういえば、あなたも、ネックレスをお持ちでしたね! たしか、ネックレスで金庫を開けようとしていましたっけ?」
「きっ、貴様、わたしを疑っているのか!? 不愉快だ! この件はすぐに小隊長に報告してやるからな!」
「あれ、いってませんでしたっけ? 小隊長はすでにご存じですよ?」
ランスト氏がとぼけた顔でいう。
一方で、義弟はさあっと顔色を失くした。
「実は俺は、小隊長から、この件を一任されているんですよ。あなたの処遇も含めてね」
「そっ、そんな話は、知らん……」
義弟の声が尻すぼみに小さくなる。
ついでに、威張り散らしていた態度も、見る見るうちに縮こまっていった。
ランスト氏は、いっそ優しい声でいった。
「どうします? こちらでネックレスをお預かりしましょうか? それとも、今ここで、墓荒らしの容疑者として取り調べを受けていきますかね?」
※
義弟はすごすごと帰っていった。
もっとも、ランスト氏が「別件でも名前の挙がってる男なんで、もう少し泳がせておきますね」と笑顔でわたしたちにいっていたので、あの義弟はまたこの詰め所に来ることになるのだろう。
そのランスト氏だが、実際は小隊長に話を通してなどいなかったらしい。
勝手なことをいってと年配の男性に絞られていたが、本人はケロッとしていた。
「大丈夫ですって。小隊長だって、奥さんの実家に気を遣ってるだけで、本音じゃさっさと縁を切りたいと思ってるでしょうよ」
「お、ま、え、はっ!! そんな調子だから、しょっちゅう左遷になってるんだろうが! 実力はあるんだから、少しは口と態度を慎むことを学習しろ!」
わたしもラヴィも、ランスト氏のことは特に心配はしなかった。
それよりも、ネックレスだ。
ネックレスは、シンプルな作りだった。一本の細いチェーンから、5本の飾りが下がっているだけだ。金庫の鍵にはとても見えない。5本の飾りには小さなおうとつがあるが、鍵にしてはあまりに細く小さい。
ラヴィが不安そうに、ネックレスと金庫を交互に見つめた。
「本当にこれが鍵なのかしら……?」
「判断できるのは、一人だけだろうな」
ラヴィが力強く頷いた。
「ええ。そうね。そのために取り返したんだもの!」
※
ランスト氏が同行を申し出てくれたおかげで、ネックレスと金庫の持ち出し許可が下りた。
三人でダン青年が滞在中の宿へ押しかけて、会わせてほしいと頼む。
憲兵姿のランスト氏がいるおかげだろう。宿屋の主人に不審がられるどころか、呼んでくるから待っていてくれと、お茶まで出された。
ミス・ケリーの葬儀や部屋の片づけも済んでしまっている今、本来であれば、彼は任務地であるオーリアに戻らなくてはならない頃合いだ。しかし、彼は帰るどころか、除隊することも考えているらしい……というのは、昨日ディゾルドから聞いた話だ。
昨夜のことを思い出すと、わたしは、わたし自身に腹が立つ。
血生臭い話を聞かせたくない、と、いわれて、わたしは正直なところ、むっとしたのだ。
そんな風に守られる必要はないと思った。何を聞いても平気だと思った。何があってもわたしはお前の味方で、だれが非難しようとわたしはお前の側に立つ。お前があやまちを犯したなら一緒に頭を下げるし、誰かがお前に石を投げるならわたしが盾になってやる。……そう思った。
わたしの思考ときたら、まったく、10年前から何も変わっていない。
今のディゾルドは、わたしの両手で守れた小さな少年ではないのに。
一方で今のわたしは、無知で無力で、一つ間違えれば彼にとって有害になる存在だ。ディゾルドを守るどころではない。わたしはまず、自分が彼の政敵に利用されないことを考えるべきだ。そのための立ち振る舞いや、身の処し方を学ばなくてはならない。
……何より、わたしたちには10年の隔たりがある。
昔のように、心を開いて話してくれと望むには、長すぎる時間だ。わたしだって、ディゾルドに聞かせたくないと思う話が多くある。あの10年間のほぼすべてが聞かせたくない。聞いても楽しい話ではないからだ。ディゾルドを無駄に悲しませてしまうだけからだ。
─── あぁ、ディゾルドも、こんな気持ちなのかもしれない。
10年ぶりに再会したわたしたちは、お互いのことをわかっているようで、何一つわかっていないんだろう。10年の空白から、お互いに眼をそらしたまま、新しい思い出を積み上げようとしている。
……でも、わたしは、ディゾルドのことを、知りたいと思うんだ。
そう物思いにふけっていたとき、ぎしりと階段が軋む音が聞こえた。
顔を上げれば、憔悴した様子の青年が下りてくるところだった。
彼こそ、ミス・ケリーが望んだ、本当の相続人だ。