墓場を愛する従姉妹姫と留学中の王妹 4
「ケリーの親戚だって?」
恰幅の良い大家さんは、怪しむ目つきでわたしたちを見た。
「遠縁ねえ……。聞いたことがないけど、あんた、まさか、どこぞのろくでなしの差し金じゃないだろうね!?」
ろくでなし?
わたしは気になりながらも、素知らぬふりで答えた。
「わたしはラクシュの人間なんです」
申し訳ないが、勝手にラヴィの故郷の名前を使わせてもらう。
「王都に来たのは、今回が初めてなんですよ。お嬢様が王都に行かれるんで、頼み込んで連れてきてもらったんです」
ね、お嬢様?
と、振ると、ラヴィは見事に話を合わせてくれた。
「ええ、そうなんです。でも、王都についてみたら、リジィの大叔母様はすでに亡くなられてしまったと聞いて……。彼女一人では心配で、わたくしも一緒に参りましたの」
「ふうん……、ラクシュか。あっちはあんたみたいな東の人間が多いらしいね」
じろじろとラピスを見ていう大家さんに、わたしはとっさに口を挟んでいた。
「お嬢様はラクシュの生まれですよ」
大家さんに悪意はないのだろう。あまり見ない黒髪だから、無意識に“よそ者”だと認識しただけだ。
でもそれは、ラヴィにとっては、悲しいことじゃないだろうか。この国の人間なのに、よそ者扱いされてしまうことは、わたしだったら少なくとも、嬉しくはない。
わたしは、できる限りにこやかにいってみせた。
「お嬢様はこの国で生まれ育った方ですよ。オーランドの人間です」
大家さんは少しだけ気まずそうな顔をした。
「そうかい。それで、あたしに、何の用だい?」
「実は、ケリーおばさんが、大変お世話になった方を探してまして」
一種の賭けではあったが、わたしはあえて踏み込んだ。
「ぜひ一度会ってお礼を申し上げたいと思っているんですが、名前も住所も知らないんです。ケリーおばさんとは、たまに手紙でやり取りしていただけなので、そこまでは聞いていなくって。ただ、なんでも、ケリーおばさんのことを、師匠と呼んで慕っていたとか……」
大家さんは、ああと、納得の声を上げた。
「なんだ、あんたたち、ダンを探してたのかい!」
大家さんの顔から、完全に警戒の色が消えた。
わたしは内心で、ホッと胸をなでおろした。墓荒らしが口にしたフレーズを、知らないといわれてしまう可能性もあったけれど、よかった、賭けには勝てたようだ。
立ち話もなんだからと、大家さんはわたしたちを管理人室へ招いて、お茶を淹れてくれた。
「あたしもケリーには世話になったんだよ。ほら、彼女、軍人だっただろう? 迷惑な店子に話をしに行くときは、よくケリーがついて来てくれてね。うちの旦那なんか全然ダメさ。弱腰で逃げ腰、何の役にも立ちゃしない。その点ケリーはちがったよ。彼女が後ろにどんと構えていてくれるだけで、どんな店子だって縮み上がったもんさ」
大家さんは、生来、話し好きな人柄だったらしい。
わたしたちがあれこれと質問するまでもなく、ミス・カーソンについて教えてくれる。
大家さんは、わたしたちにお茶を勧めながら、自分も一口飲んで、悲しげにため息をついた。
「ケリーがこんなに早く亡くなるなんてねえ……。現役時代は鬼軍曹と呼ばれたって、よく笑ってたのに。『鬼軍曹が今や、鬼ババアさ』なんていうから、あたしはよく『あんたにババアはまだ早い、あと50年は生きるだろ』って返してたんだよ。それがねぇ……」
大家さんがしんみりという。
わたしはさすがに申し訳ない気持ちになっていた。これは偽物の親戚が聞いていい話ではないだろう。ラヴィも同じ気持ちのようで、居心地悪そうにうつむいている。
しかし、大家さんは、わたしたちの沈黙を誤解したようで、慌てたようにいった。
「すまないね、自分の話ばっかりしちまったよ。聞きたいのはダンのことだったね」
「ダンさんという方は、ケリーおばさんとはどういった関係だったんでしょうか?」
「ダンはケリーが保護した子だよ」
保護した子。
冷たい手が、するりと、胸の内側を撫でていくようだった。
過去がわたしを引きずって、連れて行こうとする。
わたしは、精一杯、大家さんの話に意識を傾けた。
「もう20年も前になるのかねぇ。戦地から帰ってきたケリーが、男の子を抱えていてね。驚いたよ。ケリーは、若い頃に旦那を亡くして以来、独り身だったからね。あんた、あたしたちの若い頃は、女が一人で生きていくのは、今よりもうんと大変だったんだよ! まして、旦那に先立たれちゃあね。ケリーが軍に入ったのだって、ほかに働き口がなかったからさ。……まあ、それで、話を聞いてみたら、男の子が親とはぐれて迷子になっていたところを、ケリーが見つけて保護したんだっていうじゃないか。……戦地でのことさ。はぐれたんじゃなくて、親がいなくなっちまったんだろうってのは、あたしもケリーも、ダン自身もわかってただろうよ」
ダンはケリーによく懐いた。
しかし、彼女は、ダンを養子にすることはなく、孤児院に預けたのだという。
「ケリーは、休暇中はよく孤児院に手伝いにいっていてね。ダンも、ケリーの部屋によく遊びに来てたよ。でも、遊びに来たら帰らなきゃいけないだろう? 帰るときのダンの背中が、あんまり寂しそうでねえ。一度、ケリーにいったことがあるんだよ。引き取る気はないのかい?ってね」
今思えば、余計なことをいったよ。
大家さんはそう呟いて続けた。
「ケリーは、それこそダンよりも寂しげな顔をしてねえ。自分は兵士だから、いつ戦場で死ぬかわからないっていうのさ。自分がいつ死んでも大丈夫なように、ダンがちゃんと暮らしていけるようにしておかなきゃいけない、それには孤児院のほうがいいんだってね。ケリーには、頼れる親戚もいなかったからねぇ……。唯一いたのは、あのロクデナシの義弟だけさ。あれじゃ、後を託すなんてできやしないよ」
義弟について話すときだけ、大家さんの声には憤りが混じった。
「あのロクデナシ、ケリーが生きてる頃から何度も金の無心に来てたんだ。ケリーも、昔は、死んだ旦那の弟だからって、無下にもできなくて、いくらか渡してたみたいだけど、ダンが来てからはきっぱり断ってたのさ。そうしたらあの男、さんざん悪態ついて、暴力まで振るおうとしたんだ。もちろんケリーが、剣の柄でぶん殴って、一発でのしちまったけどね。あれは爽快だったよ。……それっきり姿が見えなくて安心してたのに、ケリーが亡くなったら、いったいどこから話を聞きつけたのか、あのロクデナシ、真っ先にやってきたんだ。まさか! 弔いなんかしやしないさ。あのロクデナシは、ケリーの部屋にあった物を、片っ端から持っていっちまったんだ。形見分けだなんてほざいてたけど、実際は、質屋にそっくりそのまま持ち込んだんだよ!」
憤慨していた大家さんは、気持ちを落ち着かせるようにお茶をすすると、そこで初めて、にんまりと笑って見せた。
「だけど、ケリーのほうが一枚上手さ。あの金庫だけは、ケリーの遺言状があったからね。うちの店子には憲兵だっているんだ。あたしがとっとと憲兵に預けてやったよ。鍵の持ち主が現れるまでは、金庫は憲兵の預かり品だ。あのロクデナシだって手出しできやしないさ」
そこまでいって、大家さんはふと、表情を曇らせた。
「あんた、まさか、ケリーから鍵を預かってるんじゃないだろうね?」
わたしは慌てて首を横に振った。
「何も預かってないですよ。鍵って、金庫の鍵ですか? 鍵がなくなってしまったんですか?」
「それがねぇ……」
大家さんは複雑そうな顔でいった。
「ケリーの遺言状には『金庫を開けた者に中身を譲る』って書いてあったんだ。だから、あたしはてっきり、ダンが鍵を持ってるんだと思ってたんだよ。ケリーがお金を残すとしたら、相手はダン以外考えられないからね。わざわざ金庫に隠したのは、ダンが赴任地から戻ってくるまでの間、ロクデナシに盗られないようにと考えてのことだろうってね。でも……」
大家さんは、不可解そうに首をかしげた。
「ダンは、もう、戻ってきてるんだよ。五日前だったかな、うちにも挨拶に来てくれたんだ。そのときに、あたしは金庫の話をしたんだよ。 ─── だけど、今朝、店子の憲兵に聞いてみたら、まだ誰も金庫を開けられてないっていうじゃないか」
※
帰りの馬車の中で、わたしとラヴィは首をひねっていた。
ダン青年が、ミス・ケリーを『師匠』と呼んでいたことは大家さんに確認が取れた。
ダン青年は、ミス・ケリーを追いかけるように軍に入り、彼女に師事したのだという。ミス・ケリーは、息子同然のダン青年が軍人になることに難色を示したが、やがてダン青年の熱心さに折れて、彼に個人的に訓練をつけてやるようになったのだとか。
そこから考えると、あの墓荒らしは、まず間違いなくダン青年だろう。その意味では、すでに謎は解けたのだが ─── 。
「でも、鍵はどこへいったのかしら?」
ラヴィが、むむむと唸りながら呟いた。
「ダンさんが、大事な人のお墓を暴いてまで探していたのは、きっと鍵よね?」
「その可能性は高いな。ただ、そもそもがおかしな話ではある」
「金庫の鍵を棺に入れるというのが、まず変よね。それに、あの大家さん、葬儀に立ち会ったとおっしゃってたもの。棺の中に鍵があったら、大家さんが気づいているはずよね」
「可能性としては、大家さんが嘘を吐いているか ─── 」
「それはあまり考えたくないわ。優しそうな方だったもの」
ラヴィが目を伏せていう。
わたしは頷きつつもいった。
「でも、彼女が実は鍵を隠し持っていて、ほとぼりが冷めるのを待っている可能性もある。もしくは、『ロクデナシな義弟』が持っているか」
しかし、義弟が持っているなら、とうに金庫は開けられているはずだ。
わたしは考え込みながらいった。
「あるいは、まだ誰も手にしていないのか ─── 、いや、それはちがうか。あのとき墓荒らしは『ない』と叫んだんだ」
当てが外れた。ここじゃなかったのか。そういった類の嘆きではなかった。
あるはずのものがない。あの墓荒らしは、だからこそ嘆いていた。
─── くそ、あいつか……ッ!!
─── 俺、こんな馬鹿な真似までしたのに……また間に合わなかったなんて……ッ!
墓荒らしが、そう悲嘆に暮れていたことを思い出す。
「ダン青年には、“鍵は棺の中だ”という確信があったんだ。だから、棺の中に鍵が見つからなくても、どこかほかの場所にあるとは考えなかった。誰かに先に取られたのだと判断した」
おそらく、その誰かとは、ロクデナシな義弟のことだろう。
「だが、大家さんは、棺の中にあるとは気づかなかった。つまり……」
眉間にしわを寄せて考え込み、それから、あっと、短い声が零れる。
ラヴィもまた、目を輝かせた。
「つまり、鍵に見えない鍵なのね!?」
「そして、ミス・ケリーが日頃から身に着けていた何か、だろうな」
わたしたちは顔を見合わせて、会心の笑みを浮かべた。
「すごいわ、リジィ! 物語の中の探偵みたいよ」
探偵。
あぁ、たしか、浮気調査などを行う職業だったか。
ラヴィは、座ったまま、小さく身体を跳ねさせて、興奮した口調で言った。
「大家さんに話を伺っているときから思っていたの。だって、リジィ、すごく落ち着いていたわ」
「表面だけだ」
「それに、侍女の振りがとっても上手だったわ! なんていえばいいのかしら、話し方や、態度が、いかにも、みんなが思い描く『初めて王都へ来た侍女』という感じで、さまになっていたわ!」
そこまでいって、ラヴィはハッとした様子で青ざめた。
「ごめんなさい、わたし今、あなたに失礼なことをいってしまったかしら……?」
「いや」
わたしは笑みを保ったまま、首を横へ振った。
「褒めてもらえて嬉しいよ」
長年の練習の成果が出たということだろう。
見る人も聞く人もいない独り芝居。正気を保つために、わたしではない誰かになりきって過ごすという、狂気じみた真似だ。
塔の中で、わたしは、わたしがわたしであることを直視することがつらかった。現実を見続けるのはあまりに苦しかった。『幽閉されているわたし』について考え続けていたら、いずれ頭がおかしくなるだろうと、ぼんやりとわかっていた。
だからわたしは、わたしではない誰かの振りを、一人でよくしていた。
声を出すことを忘れてしまわないように、声を出した。
表情を作ることを忘れてしまわないように、頬を動かした。
身体がなまってしまわないように、狭い部屋の中で可能な限り動いた。
牢獄の壁を前にして、頭の中にしか存在しない幸福な景色を見つめた。
そうやって、わたしは気が狂ったような芝居を繰り返していた。さまざまな人間になりきった。
そう逃避することで、わたしは何とか正気を保っていた。
……けれど、そんな話をしても、ラヴィを悲しませてしまうだけだろう。
聞いて楽しい話ではない。
だからわたしは、ただ、曖昧に微笑んだ。
※
午後は、勉強の時間だ。
ディゾルドに頼んで、家庭教師をつけてもらった。
わたしでは支払えない家庭教師への謝礼金を考えると、胃が痛むようだったけれども、わたしはあまりにも無知だ。わたしの立場で、物知らずのままでいては、いつディゾルドやラヴィに迷惑をかけてしまうかわからない。
空が茜色に染まる頃まで勉学に励み、その後は庭に出て運動した。
教養も体力もなさ過ぎて、自分に嫌気がさしてくるが、何事も一朝一夕では身につかない。地道にやっていくしかないだろう。
途中から、執事見習いのパルマが、朝と同じようにわたしに付き合ってくれて、体力作りのための訓練メニューも考えてくれたので、大変ありがたかった。
しかし、訓練後に、汗をかいたでしょうと浴室まで案内されたのは困った。適当な布を貸してもらえれば十分だと断ろうとしたが、すでに浴室には女性たちが待機していた。
湯浴みをお手伝いいたしますと微笑みながら迫ってくる女性たちは、妙な迫力があって、正直なところ少し怖い。
昨日に引き続き、今日も必死でお断りして、何とか一人で入浴をすませた。
夕食のためにダイニングへ入ると、またしても、いるはずのない姿があった。
わたしが、深く深く首をかしげていると、男はいやそうにいった。
「その『なんでお前がいるんだ?』という顔をやめてください。傷つきますからね。俺、繊細だから傷ついちゃいますからね!」
「リジィ、陛下も陛下なりに、墓荒らしについて調べてくださったのよ。少しくらい話を聞いてあげましょう?」
「今、格下扱いされたよな、俺? おかしくない? あれ? 俺、この国の最高権力者だよね? 国内外のあらゆる情報が俺のもとに集まってるんだよね?」
「だって、わたしたちの情報は、わたしたちが直接聞いた、生の情報ですもの!」
「なにそれ自慢? リージェと楽しく過ごしたっていう自慢なのか、ラピス? 俺がむさ苦しい髭面のオッサンどもに囲まれている間に、二人で仲良く楽しくやってたっていいたいの? 死ぬほど羨ましいわ!!」
わたしは、二人の会話を聞きながら、とりあえず席に着いた。
そして、ディゾルドをじっと見つめた。
「ちょっと、やめてくださいよ、リージェ。その『知っていることをさっさと吐け』みたいな眼で俺を見るの!」
「すごいな、お前は。心が読めるのか」
「酷いッ! あんまりだ! むごすぎる!! 俺は今日も一日、むさい男どもと恐ろしい女性たちに囲まれて、癒しどころか砂漠より干上がりながらも、必死に王様のお仕事をがんばってきたっていうのに……! 少しくらいいたわりと愛が欲しいです! とくに愛が! 愛が欲しいです!!」
ふむと、考えて、わたしは立ち上がると、テーブルを回って、ディゾルドの傍に立った。
「リ、リージェ……!?」
ディゾルドが妙に動揺する。
わたしは、柔らかな栗毛色の髪を、よしよしと撫でて囁いた。
「いい子、いい子。よくがんばったな」
ディゾルドが、なぜか、くぐもった呻き声を上げて、テーブルに突っ伏した。
「……どうした?」
ふわふわとした栗毛色を撫でながら尋ねる。
ディゾルドは、いったいどこから声を出しているんだ? と、疑問に思うほど、おどろおどろしい声でうめいた。
「馬鹿げた期待をした自分を殴りつつ、昔と同じ子犬扱いなのに喜んでしまう自分を呪っています……ッ」
子犬だとは思っていないのだが、たしかにこうやって労わっていたのは、子供の頃の話だ。
王となった男にはふさわしくなかったかと、手を引っ込めようとしたとき、すっと手首を掴まれた。
そのまま、ディゾルドの唇近くまで、持っていかれる。
彼の吐く息を、肌で感じそうなほど近い。
ディゾルドは、不思議そうな顔で、囁くようにいった。
「なにか、いい匂いがしますね、リージェ」
肌を、彼の唇が、かすめた。