墓場を愛する従姉妹姫と留学中の王妹 2
わたしは、ラヴィに案内されて、墓地での最高のお茶会スポットへとおもむいた。
夜の墓地は静かだ。
星灯りだけが、わたしたちの足元を照らしてくれる。
立ち並ぶ墓石を眺めながら、小道を通り抜けると、まばらな木立へ入る。
つまずかないように注意しながら、さらに進むと、ぽっかりと開けた場所にたどり着いた。
そこで、わたしは、目を見開いた。
─── どうしてディゾルドが、ここにいるのか。
それも、護衛も付けずに、たった一人でだ。
ディゾルドは、わたしたちの姿を認めると、身体を起こして嬉しそうに手を振った。
彼は、長方形の敷布の上に寝転がっていた。近くには、筒に入った灯りが置かれ、茶器や防寒具も用意されている。お茶会の準備は万全といったところだ。
しかし、繰り返すが、なぜ王が一人でこんな場所にいる。護衛がまったく万全じゃない。
「お待ちしてました、リージェ。寒くはないですか? 昼間は温かくても、夜になると肌寒くなりますからね。肩掛けやひざ掛けもたくさん用意してありますから、気兼ねなく使ってくださいね。あぁ何なら俺という人型湯たんぽで暖を取っていただいても!」
「王が一人でなにをしている」
ディゾルドはきょとんとした顔でわたしを見上げる。
そして、面白そうに唇を上げた。
「もしかして、リージェ。俺を心配してくれてます?」
「心配はしていない。腹を立てている」
「俺を心配しているから怒っているんですよね、わかってます。俺は賢い男なので、あなたの気持ちはちゃんと理解しています。……でもねえ、リージェ」
ディゾルドは、今度は恨めしげな目になって、わたしを見た。
「俺がいなかったら、あなたとラピスの二人きりですよ? 念のためにいっておきますが、ラピスは剣は一切使えませんよ? いくら人の寄りつかない墓場とはいえ、悪い連中がいないとも限らないんですからね。夜中に、麗しの令嬢が二人きりなんて、その方がよほど危ないじゃないですか」
「だが、お前はラヴィをとめなかった。ラヴィの口ぶりからしても、今までにも何度も行ってきたことだと察せられた。それに、……いや。とにかく、姿は見えなくとも、彼女には護衛がついているんだろうとわかった。だからわたしは大丈夫だと判断したんだ」
そこまで一息に言い放って、わたしはディゾルドを睨みつけた。
「王が護衛も付けずに来ることなど、判断材料に入れていない。お茶会は中止だ」
「リージェ、まあ落ち着いて」
これが落ち着いていられるか。
わたしはそう頭に血を登らせたが、ラヴィにも宥められて、仕方なく敷布の上に座る。
ぐるぐると喉の奥で唸っているわたしに、ディゾルドは思案顔でいった。
「あなたが俺の身を案じてくれるのは、とても嬉しいんですが……」
「ちがうといっている」
「うんうん、腹を立てているんですよね、わかります。 ─── でも、リージェ。俺に護衛は“ついている”といったら?」
ディゾルドが、眼をすがめて私を見る。
まるでわたしの反応を探るような目つきだ。
わたしは憮然としていった。
「いないだろう」
「それは、見える範囲にはいないという話ですか? それとも、眼以外の“なにか”で感じているんですか?」
思いもよらないことをいわれて、わたしは押し黙った。
どう答えたらいいか、わからなかったのだ。
すると、ラヴィがわたしの肩を抱きしめて、庇うように強い口調でいった。
「陛下、それではまるで尋問ですわ」
ディゾルドは、ハッとした表情を浮かべて、慌てたように手を振った。
「すみません、リージェ。つい……。言いたくないことならいいんです。ぶしつけな質問をして申し訳ありませんでした」
「……うまくいえない」
わたしは、少しばかり投げやりな口調で答えた。
「わたしにも、よくわからないんだ。勘のようなものだ。ただ、人がいるかどうかだけが、何となくわかる。それだけだ。たいしたことじゃない。それに、人数が多いと格段に精度が落ちる」
「集団の中にいるときは、あなた、鈍いですもんね」
あっさりといわれる。
眼差しで尋ねれば、困ったような顔で肯定された。
「ええ、実をいうと、薄々そうじゃないかと思ってました。イアスからオーランドまでは短い旅路でしたが、あなたは……、とても気配に敏かったので」
人気がない場所という条件付きですけどねと、ディゾルドが軽い口調でいった。
「でも、夜の墓場なんて状況下なら、あなたのその“感知”は全開で使えるはずだ。ラピスの護衛の気配はわかるんでしょう? だからあなたは、ラピスは安全だと判断したんだ」
わたしが答えるより早く、ラヴィが驚きの声を上げた。
「まあ! すごいわ、リジィ。ジェマが来てくれているのがわかるの?」
あぁ、ジェマというのは、わたしの護衛のことよ。
そう付け加えられて、わたしは眉間にしわを寄せた。
「わかるというほどじゃないんだ」
「見えるわけじゃないんですよね。ただ、何か感じるんでしょう?」
ディゾルドは、得意げで、それでいてタチの悪い男の顔をした。
「でも、俺の護衛の気配は読めなかった。だからこそ、俺が“絶対的に”一人だと確信して、腹を立てていたんだ。心配のあまりにね。ちがいますか?」
ニヤニヤと笑われて、わたしはむっつりと口を閉ざした。
ラヴィがわたしを慰めるようにいう。
「ジェマの気配がわかるだけでも、素晴らしいことよ。わたしにはちっとも感じられないもの。それに、陛下の護衛がわからないのは、無理もないことだわ。陛下の護衛は、……なんといえばいいのかしら……、少し特殊なのよ」
珍しく、憂いがラヴィの面立ちに浮かぶ。
今日出会ったばかりの彼女だけれど、ここに来る間もずっと明るく活発だったから、わたしは内心で驚いていた。
ディゾルドが、わたしたちの気持ちを読んだように、わざとらしくふざけた口調でいった。
「だって、ねえ? 俺の護衛は、札束をバーンと積んで雇ったんですよ? いくらあなたが気配に敏くても、そう簡単に気づかれるようじゃ困りますよ。あいつをクビにして、リージェを護衛に雇わなくちゃならないでしょう?」
わたしは答えずに、ふんと鼻を鳴らした。
陶器の美しいティーポットを取って、わたしとラヴィの二人分の紅茶を注ぐ。保温用の布に包まれていたポットは温かく、注ぐと真白い湯気があがった。
王の護衛については、二人とも、深く詮索して欲しくないのだろう。
彼らが秘密にしたいことを、無理に聞き出そうとは思わない。
わたしはむしろ、安堵していた。
わたし自身、いつからこんな“感知”が身についていたのかわからない。今になって考えれば、あの塔で、気も狂わんばかりに、七日に一度の訪れを待っていた日々が、わたしの感覚を鋭敏にしたのかもしれない。仮定の話だが。
実際には、気づいたのは、塔を出られてからのことだ。オーランドへ向かう途中だった。兵士たちの隊列の中では、さほど働かなかったが、休憩時間などに、少し列を離れると、人の気配が妙にクリアに感じられた。最初は錯覚かと思ったが、やがてその正確さに気づいた。
ディゾルドのいう通りだ。わたしはわたしの感知の正しさを知っていた。だから、彼が“本当に”一人でいることが不安だった。
けれど、わたしごときでは感知できないほど優秀な人間が護衛についているなら、それは本当にありがたいことだった。
ラヴィが、仕切り直すように、藤で編んだバスケットを広げていった。
「素敵なお茶会には、美味しいお菓子がなくっちゃ! たくさん作ってきたのよ。はい、これは陛下の好物のミートパイね。こっちはリジィのリクエストのアップルパイよ!」
お礼をいって受け取る。
ありがたく頂こうとしたところで、眼の前の男が、まじまじとこちらを見ていることに気づいた。
「……なんだ?」
「あなた、アップルパイが好きだったんですか?」
「……まぁな」
「聞いてないです、俺! 一度も聞いてないです! 俺のリージェ辞典の中にアップルパイなんて一文字も出てきませんよ!?」
リージェ辞典ってなんだ。
「俺がいくらあなたに、好きなものや欲しいものを聞いても、『ない』としか答えなかったじゃないですか……ッ! 俺だってアップルパイくらいいくらでも用意したのに!! アップルパイの山を築いてみせたのに!! いや、今からでも遅くないか? 最高級の林檎と小麦とバターを取り寄せれば、あっ、ラピス、アップルパイにはほかに何が必要だ!?」
「やめろ」
わたしはため息とともにいった。
「ディー。お前はもう少し、言動に気をつけなさい。王なのだから、散財してはいけない」
「アップルパイ程度で大げさすぎません!? アップルパイなんか百万個作ったって国は傾きませんよ? うちはそこまで貧乏国じゃないですよ!? 俺はこう見えても金集めは大の得意で」
「お前自身や、ラピスのような親しい人々ならともかく、わたしに金を使うべきではない」
「俺とあなたの仲じゃないですか! この上なく親しい間柄ですよ!! いやもちろん、俺はもっと距離を縮めるのもいつでも大歓迎で、両腕を広げてお待ちしてますけど!?」
わたしは重々しく頷いた。
「たしかに、わたしとお前は、姉弟同然だが」
「エッ……? 俺、まだ弟枠だったんですか……? エッ……? 子犬枠から抜け出したことを喜ぶべきなんですか……?」
「お前のことは今でも大型犬のように愛らしいと思っている」
「いやー!! やめてください!! 犬枠はいやです!! 人間枠がいいです!! 弟枠どころか、俺でよければぜひ、あなたと生涯を共にする枠に立候補したいと考えています」
「だが、世間の眼はちがう。わたしはあくまで敵国の王族だ。親愛を向けるべき相手ではない」
「ねぇ俺の話聞いてました? 聞いてないですよね? 今完全にスルーしましたよね? 俺はいま最高に格好よく決めたのに……!!」
ディゾルドはなぜか、打ちひしがれた様子で顔を覆っている。
ラヴィが悲しげな瞳でわたしを見た。
「リジィ……。心配しなくとも、陛下は浪費家ではないわ。そんな無能な王じゃないのよ?」
「いいぞ、ラピス。もっといってやってくれ」
「今は少し舞い上がってしまっているだけなの。いえ、もしかしたら、一生舞い上がってるかもしれないけど」
「やめて。もう黙ってラピス」
「それに、陛下のような凶悪な大型犬はいないわ。いたら怖いもの」
わたしはそこで首をかしげた。
─── 凶悪?
改めて、ディゾルドを見やる。
柔らかな栗毛色の髪に、情けなく落ち込んでいる薄緑色の瞳。
ご令嬢たちが放っておかないだろう、甘く端整な顔立ち。
鍛え上げられた身体に、軽やかな動作。
ぞくぞくと肌を粟立たせるような、甘やかな低い声。
……うん。どこからどう見ても。
「大型犬のように愛らしい青年だと思う」
「犬に例えるのはやめてください!!」
ディゾルドが憤慨した。
─── わたしが“なにか”を感じたのは、そのときだった。
なにかが、いる。近づいてきている。
こんな夜更けに、人が寄りつかないはずの墓場に!
二人には護衛がついているはずだと、頭の片隅で思う。けれど、人の気配は確実にするのだ。護衛がすでに動けない状態になっていたら?
剣先が届くほど近くではない。だが、弓矢なら ─── !
とっさに、ディゾルドを押し倒した。彼の身体に覆いかぶさる。
同時に、声を潜めてラヴィに叫んだ。
「伏せろ!!」
だが、暗殺するなら、王の従兄妹姫よりも、王本人にちがいない。
……あぁ、どうか、わたしの身体が盾になれますように。この薄っぺらな身体でも、弓矢を留められますように。わたしの身体を貫くだろう矢じりが、この腕の中の温かな人を、髪一筋ほども傷つけませんように。
わたしは、ひどく久しぶりに、神に祈った。