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07.魔女の火刑



「さあ、見てご覧。素晴らしい眺めだ。これでお前はまた一歩、魔女へと近付いたわけだ」


 顔に少し皺のある女が眼下の景色を指差して、気味の悪い笑みを浮かべた。


「……」


 私は女の指を辿るように視線を下げ、火に包まれ燃え上がる小さな村だったものを見つめた。

 ――私の、生まれ故郷。


 私はつい先程、この手で両親を殺めた。女に誘導されるままに魔法を使って。

 そうして初めて、魔女の持つ残虐性の正体を知った。

 人を傷つける魔法は、自身もまた傷つける。心を傷つける。

 両親が倒れて動かない姿を目の当たりにして、私がやったことを目の前にして、心が黒く塗りつぶされるかのようだった。恐怖に囚われ、絶望に呑まれたのだ。

 それからの記憶はなく、気がついたら箒に乗って空を浮かんでいた。

 眼下を見下ろした私は、はっきりと理解した。私が、村を燃やしたのだと。真っ暗になった心が魔法を暴走させたのだと。

 女は嗤う。


「お前は筋がいい。箒の扱いもこんなに早く習得してしまうとはね」


 女がほめているのは箒の扱いなどではない。筋がいいというのは、両親を殺し、生まれ故郷を燃やしたことを指している。そんな賛辞はいらない。欲しくなかった。


「黙って」


 私はもっと人間でいたかった。こんな残虐性を持っているなど知りたくなかった。

 私は女を睨む。誰よりも憎い魔女。


「私は、お前を許さない」


 女は愉しそうに不気味な笑い声を上げた。


「いいねぇ――それでこそ魔女のする目だ」


 ――私は、魔女になどなるものか。

 もう人間には戻れないが、この女のような魔女になど、なるものか。





 冷たい水がピシャリと顔にかけられ、私は目を覚ました。

 酷く不快な夢を見ていた気がする。どんな夢だったのかは、目の前の光景のせいで一瞬にして忘れてしまったが。

 目を覚ましたら知らないところだったという経験は、これで四度目だ。だが、兵士たちに囲まれているというのは初めてで、どうやら今回の犯人は違うらしいとなんだか可笑しくなって笑えた。


「おい、笑ってるぞ、こいつ……状況が分かっているのか?」


 体格の良い兵士が怯えたように近くの兵士にそんな言葉をかけていた。

 私は再び兵士たちに捕まったらしい。運がないな。

 両手は後ろ手に縛られ、足もまた縛られ、冷たい床に転がされていた。

 相変わらず学習していない。指は動かせる。


「また私に拷問まがいのことをする気か? そんなことしなくとも――」


 ピシャリと再び水がかけられ、気管に入ってむせた。喋ってる途中で水をかけるな。

 兵士が一歩私に近付いて手を伸ばしてきた。


「拷問? もうそんな段階じゃない。――処刑だ」

「何を言っている? 私が死んだら呪いは――」

「解けないって? そんなの嘘に決まってる!」


 荷物のように軽々と担がれる。


「大体、魔女の言葉を信じる方が馬鹿だったんだ」

「呪いは魔女が死ねば解ける。いつだってそうだ!」

「そういえば五十年ぐらい前にどっかの国でそんなことあったな」

「ああ、あったな。魔女の火刑で国が救われた話」


 口々に好き勝手なことを言う兵士たち。

 まだ二十年しか生きていない私が五十年も前のことなんか知るか!

 確かに術者を燃やせば呪いは解ける。その認識は正しい。

 だが、この状況においては微妙だ。

 術をかけたのは確かに私の身体だが、精神はエルヴィーラだった。この場合、術者の身体だけ燃やしても効果があるのかどうか。あればいいが、なければ私は死に損だ。王都も沈む。

 今そんな形で死ぬわけには行かない。私は指を振るった。

 ――けれど。


「なんでだ……」


 いくら指を振るっても魔法は発動しなかった。


「まさ、か……」


 魔素を胎内に入れすぎた副作用か。もしくは、胎が壊れて、魔素を溜め込めなくなったか。

 冷たい汗が頬を伝った。

 魔法が使えない。そのことが恐ろしく思う日が来るとは思わなかった。

 ずっと、魔女になんてなりたくなかったと言いつつ、私は散々魔法を使ってきた。頼ってきた。

 魔法があるから大丈夫だと、魔女であるから何も怖いものなどないと、傲っていたのだ。

 矛盾だらけだ。

 魔法なんて使えない普通の人間がいいと思っていたのに、いざ使えなくなると怖くて仕方がない。

 兵士たちはこんなに大きかったか? 屈強だったか? 怖かったか?

 自分がずっとちっぽけで弱々しい人間になったような錯覚がした。

 常にあった自信も余裕もするするとしぼんでいく。

 身体が震えた。自分の身体じゃないみたいだ。みっともない。

 太い木の棒に身体が縛りつけられた。足下にはよく燃えそうな薪の山。

 このままだと、燃やされて死ぬ。燃やされて、死ぬ……死ぬ――? 私が? 死?


「あ――ハハッ? ハハハハハハッ」


 もう、わけが分からない。笑いが込み上げてきて、止まらなかった。


「私が死ぬだと? 私が! ハハハハハハッ!」


 これは、本当に私が喋っているのだろうか。


「さっさと火をつけるがいい! 魔女の火炙りはきっと耽美だろうさ!」


 妙に冷静な部分と、狂ったように荒ぶる部分がぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。


「ハハハハッ! 最高だな、最高だ! 人間も魔女も変わらない!」


 兵士の一人が足下に火を灯した。


「気に入らない存在は消す。誰も彼もが同じなんだ! 魔女だって、人間だって!」


 火はすぐには燃え広がらない。徐々に徐々に勢いを強めていく。


「理不尽! そう、理不尽なんだ、世の中は! 魔女は裏切るし、裏切られる――もう散々だ、そんなことは!」


 煙が目にしみて、ポロリと涙がこぼれた。


「ハハッ、もう終わりだ。やっと、魔女を終わりにできる――」


 魔女になんてなりたくなかった。人なんて殺したくなかった。街なんて焼きたくなかった。

 私はもっと普通に、両親の下で普通に生きて育って死にたかった。

 人の手で炎に焼かれて死ぬなど、なんと皮肉なことだろう。たくさんの人間を炎の中に沈めてきた私が、私自身も炎の中に沈むのだから。


 もう目を開けていられない。目を閉じる。

 真っ暗だ。真っ暗。それなのに、目の前にはメラメラと赤い炎が立ち上っている。まるで、ずっと昔に生まれ故郷を燃やしたときみたいだ。暗い闇の中に浮かぶ残酷な炎の赤。あの光景を私は忘れたことはない。私の初めて犯した罪。何よりも重たく、絶望と憎しみを生み出した光景。あの日ほど世界が暗く見えた日はない。自分に対する恐怖を抱いた日はない。

 あの日、憎しみを抱いた先は、許さないと決めた相手は、エルヴィーラだったのか自分自身だったのか今でもはっきりと分からない。


 一つ分かるのは、私は殺されるのなら見ず知らずの人間ではなく、私が殺してしまった家族か村の人間に殺されたかった。私が裏切ってしまった人たちに殺されたかった。

 ――だからきっとこれでいいのだろう。

 私は救われるべき人間ではないのだから。そもそも人間ではないのだから。

 魔女なんて退治されるべき化物でしかないのだから。


「……」


 沈み行く意識の中で、ふと浮かんだのは最近交流のあった二人の人間の顔。

 ――私の推測が外れていたときのため、もう一度儀式の跡がないか探すと言っていたエミリオは、まだ王城内を駆けずり回っているだろうか。

 ――それとああ、何故今まで思い出さなかったのだろう。リエトは、無事だろうか。まだ家に着いていないと思いたいが、もしもエルヴィーラに鉢合わせて危害を加えられていたら――それは、駄目だ。私が最も恐れていたこと。


 既にほとんど消えかけていた私の意識は、何かが焼き切れるようにプツンと飛んだ。



 *



 ――途轍もない衝撃だった。

 大地が震えたかと錯覚するほどの衝撃と揺れだった。

 風圧も凄まじく、王城の窓ガラスという窓ガラスは吹き飛び、壁や柱も抉れて瓦礫となった。


「ヒ、ヒヒ……! さすが、ルドヴィカだ」


 箒に跨がり、空高くに浮かび上がっていた老婆の身体も少し煽られ揺れた。しかし老婆は愉しげに唇を歪め、しわを深める。


「だが、まだまだそんなものじゃないだろう……? どうせならもっと派手に、好きに力を使うといい」


 絶望と憎しみと恐怖で正気を失った魔女は強い。

 その経験をすればするほど強くなる。代わりに正常な精神はどんどん失われていく。それが魔女を強くする。残虐にする。


「ルドヴィカ、お前はもっともっと強くなれる……!」


 急下降した老婆は王城の広場で木にくくりつけられた金髪の娘に近寄る。娘は虚ろな目をしていたが、老婆を見ると途端に激しい炎を燃やすがごとく瞳に変わった。

 老婆は娘の耳元で囁いた。


「あたしは、強くなったお前の身体が欲しいんだ。もっともっと強くなっておくれ……」


 娘の憎悪と恐怖とが混ぜ合わさった瞳がギロリと老婆を睨む。


「憎いかい? 殺したいかい? ならば、殺せばいい。あたしは生半可な力じゃ殺せないよ。さっきみたいな爆発まほうじゃあ、傷もつかないねぇ」


 ヒヒヒと気味悪く笑えば、娘は自身を縛りつける縄を木ごと焼き払い、金の髪をなびかせ老婆と対峙した。娘もまた炎に巻かれたはずだが、一切火傷を負っていなかった。


「エルヴィーラ……」


 娘が発したのは怨霊の怨嗟のような低く不気味な少し掠れた声だった。


「――死ね」


 短い言葉と共に手を横薙ぎに振るう――直前。


「ルナ!」

「ルドヴィカ!」


 二つの声がその場に割って入った。

 魔女と魔女の戦場に現れたのは、年若い青年と、それよりももっと若い少年。

 青年は城の中から、少年は門の外から現れた。

 全く別の方向から現れた二人の声に挟まれた娘は、ピタリと動きを止めた。

 二人とも宙に浮いている娘のもとに駆け寄った。


「ルドヴィカ! 駄目だ、その魔女を殺すな!」


 少年が娘に向かって叫ぶと、娘は瞳を大きく見開いた。瞳に燃え盛っていた炎が揺らぐ。


「ルナ! 落ち着いてください、そのまま貴女が魔法を使ったら貴女は二度と引き返せなくなります! 本当に、誰も救えなくなります!」


 青年は少し冷静に諭すような声をかけた。娘の瞳から険が抜ける。憎しみの炎が鎮まっていき、ポロリポロリと涙がこぼれ落ちた。


「なんだい、ルドヴィカ? お前の憎しみはその程度か。ならば――」


 老婆の視線は娘から二人の男へと移る。


「――この二人を消そうかねぇ?」


 老婆が指を振るった。

 娘はすぐさま反応し、二人の前に立って手を広げた。その瞳は静かで、口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。


「ルナ!?」

「ルドヴィカ!」


 たくさん落とした娘の涙が淡く光る。それは寄り集まって彼ら三人のまわりに薄い膜を張った。

 血液も魔法の道具となるが、涙もまた魔法の道具となる。

 薄く柔らかく見えた涙の膜は、老婆が降らせた雷を、氷の槍を、炎を、竜巻を、全て防いだ。


「ルドヴィカ、なんだその力は――!? あらゆる魔法を防ぐなど、そんな魔法――」


 老婆の顔には喜色が浮かび、攻撃はどんどん過激で大規模なものになっていく。堀の中の王城がみるみる破壊されていく。老婆はそれに頓着せず、実験をするようにいろんな魔法を娘の張った膜に当てる。


「このままでは、王城が……! いえ、王都が破壊されかねません……」


 老婆の強大な魔法を前にして、青年は悔しげに顔を歪めた。何もできない不甲斐なさを、また彼女に護られている現状を嘆くことしかできない。なんとも情けない。


「……ちぇっ、やっぱりお前はいい奴だよ、ルドヴィカ」


 少年はがっかりしたような、それでいて嬉しそうな複雑そうな表情を浮かべ、娘の隣に立った。


「リエト」

「助けてやるよ、ルドヴィカ」

「馬鹿、お前に何ができる。後ろに下がってろ」


 少年は不敵に笑い、人差し指を一本立てた。


「できるさ、魔法ぐらい。俺は騎士になる男だからな!」

「馬鹿か。騎士になる男が魔法など使えるわけないだろう」


 娘が呆れた視線を返すのも気にせず、少年は指を振るった。


「――眠れよ、魔女」


 老婆の身体が傾いで、力なく箒から落っこちた。


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