05.予言者と王
正直に言って、私は呪いも含めあまり魔法に詳しくない。
奪うためにエルヴィーラに育てられたのだ。力はつけさせられたが、力の使い方は詳しく知らない。あまり強くなられて自身が倒されることを恐れたのだろう。
「私が犯人だろうとそうでなかろうと、呪いを解いてやる。もともと私はそのためにここに来たのだしな」
「……」
呆けているエミリオにもう一度そう言えば、エミリオは考え込むように目を伏せた。
どうでもいいが、そろそろ降ろして欲しい。
とうに地面に着したというのに、エミリオは依然私を抱きかかえたままだ。逃げられないようにという意図なのだろうが、ずっと男の腕に収まっているというのは落ち着かない。
変に動いて信用をなくすわけにもいかないから、自分からは動けない。いくら協力すると言っても先程のように拷問にかけられたら堪らないからな。
「……分かりました。ひとまず、その言葉を信じます」
「そうか。それは良かった。それなら降ろしてくれないか」
「逃げませんか?」
「信じるんじゃなかったのか? 心配なら手でも繋いでやる」
パッと左手をエミリオの顔前に出せば、エミリオはそっと私を降ろしてその手を握った。まさか本当に繋ぐとは。
「先に言っておく。私はこの呪いの解除方法を知らない」
エミリオの瞳に警戒の色が宿る。本当かどうか怪しんでいるのだろう。
「では、どうするのですか」
「まずは呪いを見たい。国王がいいな。たぶん国王が呪いの大本に一番近い。予言は国王の死だったからな。そこに焦点を当てている可能性が高い」
「陛下を呪い殺すことが目的だと?」
「そうだ。王は国で一番偉い奴だろう? そいつを殺すのは、魔女なりの宣戦布告のようなものだ。国を滅ぼすぞっていうね」
宣戦布告というより決意表明と言った方が近いかもしれない。起こるのは戦争ではなく殺戮だから。
「エミリオ、王はどこにいる? 案内しろ」
「……分かりました。ですが、怪しい真似はしないでください。もし、したら」
「脅しか。だがお前に何ができる? 私の命を脅かすことなど――」
怪しい真似などする気はないが、魔女を相手に何かできると思っている態度が気に食わなくて、鼻で笑おうとした。だが。
「私は舌を噛み切ります」
「は、はぁ!? 何だそれは? お前の命如きで私を脅せると思ってるのか?」
「はい、思っています」
慌てる私に向かって、エミリオは当然だと言いたげな真顔で頷く。
私は目を逸らし、誤魔化すように舌打ちをした。
「調子の狂う奴だな。もういい、案内しろ」
「こちらです」
エミリオは繋いでいる私の手を引いて歩き出した。
その横顔を盗み見れば、一瞬目が合った。向こうもちらりと見ていたのだろう。
エミリオはずっと私を観察している。魔女を相手にしているとは思えない程冷静に。
エミリオが私を追って窓を飛び降りたのは賭けだっただろう。だが、あの一件で私の性質は全て伝わってしまったような気がする。現に今、エミリオの命を盾に脅された。それが効くと伝わってしまっている。
……これだから私は出来損ないなんだ。
残虐になりきれない。散々人を殺してきたのに、罪悪感がずっとついて回る。魔女のくせに、できる限り多くの命が救われて欲しいと甘さを残してしまう。いくつかの戦場では、そうやって兵士ではない人をなるべく生かし、エルヴィーラにバレて叱られた。そんなことをするからいつまでも甘さが残るのだと。
だが、そんなことをしなくては、壊れてしまいそうで怖かった。自分を保てなくなりそうで。
「貴女のことはエルと呼べばいいですか?」
「唐突だな。好きに――いや、エルは嫌だ」
エルヴィーラのエルだろう? そんな名前で呼ばれるのはごめんだ。つい最近まで身体を奪われていたというのに名前まで奪われて堪るか。
「では、なんとお呼びすれば?」
「知らん。お前が適当に決めろ。エル以外でな」
ルドヴィカとは名乗らない。名乗れない。今そんな名前を名乗ったらまた怪しまれるだけだ。エミリオからすれば明らかに他人の名を騙る不審者になる。
「分かりました。では、ルナで」
またえらく可愛らしい名前になったものだな。
「参考までに訊くが、なんでそうなった?」
「とある魔女から月長石を貰ったんです。それだけです」
「……魔女繋がりってことかぁ?」
とある魔女が私であるということは気づいていないだろうが、そう言われると何か勘付かれているようで冷や冷やする。
「まあ、そんなところです」
エミリオはじっと私の顔を見つめて、意味深にほんのり口の端を上げた。
連れて行かれた先は国王の病室ではなかった。
宝飾品がたくさんついた少々派手目な調度品が置かれた豪奢な部屋だ。しかし、室内は泥棒にでも入られたかのように荒らされている。
「なんだ、この部屋は?」
エミリオの意図が分からず睨み付けるが、エミリオも目を丸くして部屋を見回していた。
「酷い有様ですね。この状態では、衣服が無事か分かりませんね……。ルナにまともな服を着て貰いたかったんですが」
「服? ああそうか。忘れていた」
そういえば私の服は裂かれていたのだったな。
やたらと胸が大きいせいで、手で押さえていない状態だとほとんど隠せてないな。恥ずかしいとはあまり思わないが、堂々と見せて歩くものでもない。マシな服があるならそっちに着替えた方がいいのだろう。
「ここは予言者エルに与えられていた部屋です」
王城内に部屋まで与えられていたのか。室内を見る限り贅沢な暮らしをしていたのだろう。
エミリオは繋いでいた手を放す。
「私はここで待っていますから、もう少しマシな服を着てきてください。この際、布を巻くだけでもいいです。とにかく、目のやり場に困らないようにしてきてください」
魔女は女ではない。だが、女の身体をしているのは確かだ。人間の男がそういう目で見てしまっても致し方ないことだろう。
「分かった。このままでは少々みっともないからな。だが、私は服がどこにあるのか知らんのだが」
「おそらく寝室にあるのではないでしょうか」
「そうか」
歩き回り、天蓋付きの大きなベッドのある部屋を見つけた。
そこからまた部屋が続いており、そこが衣装部屋のようだった。
今着ている村娘のようなワンピースもあれば、貴族のような派手なドレスもあった。ドレスは手足頭のない欠陥人形みたいなものにかけられていた。
散らかってはいたが盗まれてはいないところを見るに、泥棒が入ったのではないようだ。とするとこの荒れ様はエルヴィーラの仕業か。そういえば昔から整理整頓というものができない人だった。いつもいつも私が片付けをしていた。
思い出しながら床に散らばった衣服を拾い集め一カ所にまとめ置く。
「まったく、腹の立つ……ああ、これでいいか」
私は適当なワンピースを身に着け、エミリオのもとに戻った。
「待たせたな」
「いえ、では行きましょう」
エミリオが私の手を再び握る。まだ繋ぐか。
「逃げやしないのだがな」
「念のためです。前科がありますから」
片手が塞がれるのは煩わしいが、魔女を信用しないその態度は評価してやろう。
エミリオが連れて来た扉の前には一人、兵士が立っていた。私の顔を見て殺気立つが、エミリオと手を繋いでいるのを見ると困惑顔になった。
「侍医補佐のエミリオ・コルラード・カヴァリエリです。陛下の診察に参りました」
「いや、しかし……そこの女は魔女だったのでは?」
「……。いえ、彼女は予言者を騙った魔女エルではありません。似ていますが」
苦しい嘘を吐くなと思った。
どう見ても私は予言者エルその人だろう。間違いなくこの身体はそう騙った人物なのだから。
「彼女は呪いを解くことに協力してくださるそうです。責任は私が持ちます。入れてください」
堂々たる態度でエミリオが言い切れば、兵士は扉の前をどいた。
責任を持つと言ったが、エミリオは偉い奴なのだろうか。
王の寝台は、エルヴィーラに用意されていたものよりも大きかった。
苦しげにしわのよった王は、痩けた人間特有のギョロリとした虚ろな目を私に向けた。
「おお……エル、戻ってきてくれたのか」
血管の浮き出た震える手が、徐に私の頬に向かってくる。私はその手を掴んで引き離す。熱い手だった。
虚ろだったはずの王の瞳は熱に浮かされたように蕩けているように見えた。腹立たしい表情だ。
「王よ、気分はどうだ? 蔦模様は浮かんだか?」
苛立ち混じりの低い声音で訊くが。
「エル……エル……! 助けてくれ。その柔い手で余を癒やしてくれ……!」
縋るような瞳と声。
「余は其方を信じておる。余は其方の予言通り死ぬのだろう。ならば最後はエル、其方に看取られて死にたい。どうか、手を放さないでくれ……!」
私は手を放し、指を振った。
王は絶望した顔をしたと思うと、目を閉じ眠った。
「何がエルだ、気色悪い……」
エルヴィーラはよっぽど甘い言葉をかけて王に取り入ったのだろう。随分とエルに執心しているようだ。
眠らせた王の胸元をはだけると、話に聞いたとおり黒い痣のようなものが浮かんでいた。以前エミリオに聞いた話だと、三日後に痣が浮き出たらしいが、まだ三日経っていないはずだ。進行が早いのか。
「昨夕、とある魔女の作った薬を試していますが、効果は僅かに思われます」
近くにあった小さな机には確かに私が昨日リエトに届けさせた魔素吸収剤が置かれている。瓶の蓋は外れ、橙色だったはずの中身は青っぽく変色している。魔素を吸い取ると、色を変えるものなのだ。
魔法は魔素がなくては使えない。こうやって置いておくだけでこの周辺の魔素を吸い取り、呪いの効果を薄めてくれているはずだ。
だが、呪いの進行具合はそれでも早い。
「エミリオ。この薬は他にもまだあるか?」
「はい。あと二瓶ほど」
「二つとも蓋を開けてここに置いてくれ」
十数本をリエトに届けさせたが、ここに三つしかないということは、残りは別の患者のいる場所で使われているということだろう。
「あちらの部屋にあるので取ってきますね」
繋いでいた手を解き、エミリオは隣室へと出て行く。
残された私は瓶を手に取り、青っぽく変色した液体を呷るように口の中へと流し込んだ。
どろりとした食感に体に悪そうな程の甘さ。喉の奥へ押し込むと、ぞくぞくとした寒気が背中を這い上がってきた。
「ぐっ、……ごほっ」
咳と共に血が口から飛び出す。
頭がくらくらして、よろけた。その身体を誰かの手が支えた。
「ルナ!?」
エミリオが驚いた顔で私を覗き込んでいる。支えてくれたのはエミリオか。
「大丈夫ですか、一体何が……」
「問題ない。吐血までするのは予想外だが、おおむね予定通りだ。瓶は持ってきたな? 蓋を開けてそこに置け」
指示をすればエミリオは従ってくれた。
私は吐いた血を使って簡易な魔法陣を机に描く。丸と三角だけの子供の落書きみたいなものだ。
「よし、エミリオ部屋から出るぞ。これから数時間この部屋には誰も入れなくなる」
「は……? え……?」
理解の及んでいなさそうなエミリオを引っ張って隣室へ行く。
指を振って、閉じろと念じる。
これでこの部屋は閉じた空間だ。どんなものも入ることはできない。魔素すらも。
「魔素がなければ魔法は効力を持たない。ただ瓶を置いておくよりも密閉空間の方が効果はあるはずだ」
空間を閉じるなど普段の私ではできない。魔素を豊富に含んだあの液体を摂取したからこそできる力技だった。
「だが、人は空気がなくては生きられない。新鮮な空気すら遮断してしまうから、この密閉状態を保てるのは数時間だ。王を窒息死させるわけにはいかないからな」
早口に説明しながら、廊下を目指す。王の病室はいくつかの続き部屋の先にあったのだ。
「エミリオ。お前は儀式の場所を突き止めたか?」
「え? いえ、探していましたが、まだ」
「それなら、探していない場所は? 案内しろ。早く!」
「は、はい」
私がまくし立てるように叫ぶと、エミリオは困惑したような、それでいて心配そうな顔をして頷いた。
私の身体が動けるのは、あと一時間程度。
――ここからは、時間との戦いだ。