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03.師匠と弟子



 森の出口に降り立った私は、植物の繊維を編んで作った少し重めの袋をリエトに渡す。中には橙色のジャムのような液体がつまった瓶がいくつか入っている。

 瓶どうしがぶつかるカチャカチャとした音が鳴った。


「リエト、悪いな。頼んだ」

「おう、任せろ!」

「いいか、王都には絶対入るなよ。門の前までエミリオが来ると言っていたからそこで袋ごと渡してさっさと帰ってくるんだぞ。何かあったらすぐに連絡しろ」

「分かってるって。意外と心配性だよな、ルドヴィカ」

「無駄口叩いてないでさっさと行け」

「はいはーいっと。じゃ、行ってきまーす」


 軽い調子で出発したリエトを見送る。

 ひとまず魔素を吸収してくれる薬は完成したが、結局、私は未だに森を囲む障壁を壊すことができないでいる。

 森の中を探し回り、あらゆる石版を浄化し壊したはずなのだが、障壁は揺らぐことなく私を阻む。

 障壁を壊せない限り、私は森から出て行くことはできないので、薬をリエトに届けてもらうことにしたのだ。私だったら箒で空をひとっ飛びだったのだが、リエトではそうもいかない。

 ここから王都まで徒歩で半日――いや、子供の足だ。一日かかるかもしれない。

 なるべく早く届けたいところだが、リエトは馬に乗れないし、馬車を調達している方が時間がかかる。結局現状では徒歩が一番速いという結論に至った。


『――ルドヴィカさん。聞こえますか』


 白っぽい石がぶるりと震え、エミリオの声が響く。


「ああ。エミリオか。ちょうど今リエトを送り出したところだ」

『分かりました。リエト君が王都に近付いたら教えてください。迎えに行きます』

「頼んだぞ。で、何の用だ?」

『はい。それが……例の予言者を名乗る女性が、行方をくらましたようです』

「ほう……? 国王が呪いに倒れたのは昨日のことだったよな?」


 昨夜エミリオから国王が倒れたと聞いた。呪いの感染者と同じく、高熱を出し寝込んでいると。翌朝に怪しい女が消えているとなれば、疑わないわけにはいかない。犯人だと言っているような分かりやすい行動が引っかかるが、相手は魔女だ。バレたところで人間相手ではどうにもできないと思っているのだろう。


「術者が離れたとなると呪いがほとんど完成した可能性が高いぞ。リエトが届ける薬を真っ先に国王に使ってくれ。効くかは分からんが気休めにはなる。国王を死なせるなよ。おそらくそいつの死が呪いを完成させる」

『分かりました。最善を尽くします』

「頼んだ」


 呪いの完成とは対象者の死を意味する。今も呪いに苦しんでいる人々は、国王の死をきっかけにばたばたと死ぬだろう。そうなれば王都は死の都となる。この国もおしまいだな。

 国をかき乱し、じわじわと滅ぼそうというのは、実に魔女らしい手口だ。さらに戦争でも起きれば喜び勇んで戦場を引っかき回しに行くのだろう。

 禄に身動きの取れない我が身が恨めしい。

 私を森に足止めさせるエルヴィーラへの憎しみが積み上がっていく。

 今すぐに己の顔を引き裂きたい気分だった。


「くそっ、エルヴィーラ……」


「――あら、呼んだ?」


 背後から若々しい女の声がして、反射的に私は箒に跨がり地を蹴った。一瞬にして空へ飛び上がると、先程まで私がいた場所で小規模な爆発が起きる。風に煽られながらもうもうと土煙を上げる地面を見下ろす。瞬間、背中に衝撃。


「よそ見は駄目よ、お婆ちゃん」


 声は再び背後からした。


「エル……ヴィー……ラ」


 雷に打たれたような衝撃に身体が痺れ、私は箒から転がり落ちた。地面に向かい真っ逆さまに落ちていく。全身が痺れ言うことを聞かない。魔法は、指が振れなければ使えない。


「相変わらず、非力な弟子だこと」


 酷くつまらないものを見る目が、私を見下ろしていた。

 箒に腰掛ける彼女の容姿は美しく、輝かんばかりの長い金髪が風に煽られなびいている。凹凸(おうとつ)のはっきりした身体は若々しく、年老いた私の身体を嘲笑うかのようだ。

 そして瞳の奥に狂気を孕んだ目は、間違いなくエルヴィーラ・レナータ・アルボーニその人のものだ。

 私を森に追いやり、閉じ込めた張本人。私の――師匠。

 地面に身体が叩きつけられる直前、私の身体はふわりと浮き、エルヴィーラが指を振るった。


「お休みなさい、出来損ないのルドヴィカ」


 意識がぷつりと途切れた。



 *



 目を覚ましたら知らないところだった、なんて体験をしたのはこれでもう三度目だ。

 犯人は全て同じだ。


「エルヴィーラ、ここはどこだ」


 起き上がろうとした身体は、しかし動かない。手枷足枷があるというわけではなく、痺れているのだ。頭部に痺れはなく、目と口を動かすことには差し支えないが。

 私が寝かされているのは暗い空間だった。

 暗く冷たく少し湿っぽい。

 ごつごつとした固い感触が背中に当たるので、ベッドではなく地面に転がされている状態のようだ。


「ああ、起きたかい、ルドヴィカ」

「生憎と動けないがな」


 皮肉っぽく笑ってやれば、エルヴィーラは汚いものを見るように眉間にしわを寄せた。


「ここは、森の中に作ったあたしの秘密基地さ。なかなか趣があるだろう?」


 どこが。

 私の家の方がよっぽど清潔で生活感があって素敵なのだが。何より自慢の特製キッチンがあるからな。あんなもの誰にも作れないだろう。私以外には。

 エルヴィーラの悪趣味は今に始まったことではない。無視することにする。


「随分その身体を楽しんでいるようだな、エルヴィーラ? あの気色悪い喋り方は何だ?」

「ふふ、これね。だって、こんな美女よ? 年寄りくさい喋り方なんてしてたら変な目で見られるじゃない」

「その容姿だからこそ気色悪いと言っているんだ」


 つまらなそうな顔になったエルヴィーラは、トンと私の寝そべる足下あたりに何かを置いた。


「自分の身体を気色悪いと言うなんてねぇ。まあ、いいさ。あたしはもう満足した。お前もそろそろ飽きてきただろう? 森の暮らしなんて」


 エルヴィーラが私の足下に置いた何かを挟んで私の反対側に立つ。


「何をする気だ……?」


 明らかに何か魔法を使おうとしている。いや、これは呪いではないか。寝そべる床に赤い文字の羅列があることに今更気づく。

 エルヴィーラが呪文を唱え始める。一度、聞いたことのある呪文。


「エルヴィーラ? まさか――やめろ! また私の居場所を奪う気か!?」


 叫んだところでエルヴィーラは止まらない。

 麻痺した私の身体は動かない。

 せめて指だけでも動かせればと、指に動けと命令を送るがピクリとも動かず――私の意識は宙に浮いた。

 高いところから落とされたようなヒュッと寒気が走る感覚があって、私はどさりと膝をついた。

 血で描かれた魔法陣についた手は、しわがよって血管の浮いた老人のものではなく、瑞々しい若い女のもの。

 目の前では、ローブ姿の老婆がゆっくりと起き上がる。


「あ――ああ……! エルヴィーラああぁぁ!」


 激情のままに指を振るう。

 狭い空間が一瞬にして青紫色の炎に覆われた。けれど鎮火されるのもまた一瞬だった。


「まだ魔女になりきれてないルドヴィカじゃあ、あたしの相手にはならないねぇ。もっとあたしを憎むといい。でなけりゃ、ルドヴィカはあたしに勝てないよ」


 瞬きをする間で凍りついてしまった室内で、老婆は嗤う。醜く顔を歪めて。

 それがエルヴィーラの本来の姿。

 そして私の本来の姿は、先程までのエルヴィーラのもの。

 魔法陣の中央に置かれた鏡に私の顔が映っている。

 つり目で強気な容姿をした金髪の娘。それが、私。


「私で遊んでいるつもりか、エルヴィーラ!? 何が目的だ! 勝手に私の身体を奪い、また返すなど! お前は私の身体が欲しかったのではないのか!?」


 私が森に引きこもったのは、エルヴィーラに身体を奪われたからだ。エルヴィーラの老いた身体となってしまった私はショックのあまり、人と会う必要のない森に逃げたのだ。

 そうして森で過ごす内に私は今の暮らしをすっかり気に入った。リエトも転がり込んできて、魔女とはかけ離れた穏やかな暮らしに満足していたというのに。それなのに、また奪われた。


「欲しかったさ。欲しかったが、もっと面白いことを思いついてしまってねぇ」


 しわのよった顔を不気味に歪め、気味の悪い笑い声を出す。


「そのためには若い魔女の血がたくさん必要なのさ。ルドヴィカ、お前程の適任はいないだろう?」

「――私を、贄にするつもりか」


 エルヴィーラが指を振るより早く、私は指を振った。

 竜巻が幾つも室内に荒れ狂い、エルヴィーラを呑み込む。

 私は背を向けて走り、出口に続いているだろう近くのはしごを登る。

 エルヴィーラの秘密基地は地下空間。古い井戸の中を少し広げた場所だった。

 森の中に何故か井戸があるのは知っていたが、枯井戸だと気にしていなかった。

 石版といい、枯井戸といい、不注意な自分を呪いたくなるが、相手がエルヴィーラだ。私避けの魔法をかけていたのだろう。

 ――弄ばれている。

 私はエルヴィーラに捕まって以来、ずっとあの女の玩具だ。

 ここ数年はエルヴィーラから解放されて、ようやく幸せに過ごしていけると思っていたが、やはりあの女は私を邪魔してくるのだ。


「エルヴィーラ――やはりお前は殺す……!」


 元の姿は動きやすいが、突然の変化に頭がついて行かない。違和感が大きい。私はよろけながら、逃げるように森の中をさまよった。



 *



「ただいまー、ルドヴィカ」


 翌日の昼過ぎ。

 王都までの使いを終えたリエトは、すっかり自分の帰る場所となってしまった家の扉を開けた。

 家主のルドヴィカ・エリアーナ・ヴィスコンティは、どっかりと椅子に腰掛けてゆったりと紅茶を飲んでいた。

 キッチンの鍋ではぐつぐつと何かが煮込まれていた。また何か薬か呪いを解くものを作っているのだろう。


「ああ、帰ったか、リエト。無事のようで何よりだ」

「まあな。はいこれ。借りてた石」


 ルドヴィカの魔法がかかった連絡用の白っぽい石を、テーブルの上にコンと置いた。


「ルドヴィカさー、森の入口付近がなんか土抉られてたんだけど知ってる?」


 リエトは一度荷物を置きに行こうと、自室の扉に手をかける。


「いや、知らないが気になるな。見に行ってみるか」


 ルドヴィカが席を立ち上がる。


「なんだ、ルドヴィカがやったんじゃないのか。俺は一人残されていじけたルドヴィカがやったもんだとばかり――」


 冗談めかして笑ったリエトが振り返ると、間近にルドヴィカがいた。

 何の用かと首を傾げれば、ルドヴィカの冷たい瞳がリエトを見下ろし――


 ――指が振るわれた。


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